いじめられる人間は隙があるから悪いという意見について

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いじめられる方が悪いという醜い意見を振りかざす人間の中には、

いじめする側に隙を見せるから悪いなどということを言っている奴が一部存在している。

私から正直言わせて貰えば隙ってなんだよとしか言えない。学校も社会も平和そうに見える戦場なのか?人間はやられる側が防衛しなければならないほど悪事を平然と働く野生動物と同等の生き物だったのか?そういう考えが生まれるのであれば、私は人間という生き物を信用することができなくなる。私は元々信用していないけど・・・

盗みの話を書いた時にも言ったが私は悪事をやられる側ではなく実行する方が悪いと思っているので、この手の理由には嫌悪感を感じる。なので今回はいじめをされるのは隙を見せるのが悪いという意見について私が思うことを書いていく。

武器を持てば逮捕、警戒心むき出しにすれば嫌われる

そもそも、学校会社問わず日々の生活で隙を見せないようにするってどうすればいいのだろうか。怖がらないようにするとか大げさなリアクションを取りすぎないようにするとかそういうことなのだろうか。だが、怖い物は怖いし、驚くものは驚くのは当然の反応であってそれがなぜ隙として扱われていじめてもいい理由になってしまうのだろう?

それに私のような内向的なタイプの人間の場合隙を見せないように行動し続けるのは精神がものすごく負担がかかり疲れることである。気を休められないと毎日が戦場になってしまう。

だからといって武器や刃物を持てば銃刀法違反で逮捕へ一直線だろうし、常に警戒心をむき出しにして疑い続けていれば接しづらい奴として扱われ嫌われてしまう。

私もそうなのだが警戒心を最大にするということは常に神経を張ってなければならず、警戒心というのは行動に表れてしまうことも多いので、少しでもぼろが出てしまえば人間たちからも嫌われてしまう最悪の要素でもある。

何度か言っているが私は人間性悪説の方を支持しているので、良い人間はポケモンの色違いと同じぐらいの確率でしかいない存在だと思っている。なので悪い人ばかりじゃないんだよ。って言われても初めて会った人間をしばらくの間は信用できない。信用したら急に態度を変えられて酷いことをされれば隙を見せるからだと言われたのならどうすればいいのだ。

結局、利用されやすい、嫌われやすい人間は人を攻撃して快感を得られる人間などと同じように一定数存在していてそれはどうしようもないのだろう。そして弱い部分を突いていじめに発展させる人間は身勝手なだけだ。

結局いじめられる方が悪いと同じ意見にしか思えない

色々と調べては見たが、そもそも私から見ればいじめられるのは隙を見せるのが悪いという意見は

・いじめられる方に原因(本人にはどうしようもないこと)があるから悪い

・いじめする側もいじめられる側も同じ穴のムジナでしかない

・原因を矯正する努力ができないから悪い

というようないじめる側やいじめにあったことがない無責任な第三者が言うような意見と何一つ変わらないような気がする。人間は何かを責めて優越感を得ないと生きていけない生物なのだろうか。子供大人学校社会、どこを見てもいじめが行われている現状を見るとそうとしか思えなくなるし自己責任論でやったもん勝ちの現状にはうんざりする。もはや大半の人間たちが弱い物や劣った者はいらないと暗に意志を示しているんじゃないかと思うと恐ろしい。

もうそんな状態をこれからも続けるのなら幼少期から基本科目に防衛技術という授業を作っていじめをされた時への防衛対策や危険な人間と出くわしてしまったときの対処法について学ばせた方がいいんじゃないだろうか。講師として警察の方を招いたり、実際に子供たちに演じさせる演劇を入れたりすれば、その過程でいじめの醜さに気づく子供たちも多く出てくるだろう。かつて実際にそう言う実験をしていたという記事を見たこともある。

だがこんな授業が実際にあった場合、安全な教育機関としては終わってると感じてしまうけれども・・・

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