私が引きこもり叩きについて思うこと

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今日晩御飯の支度をしながら何気なくバンキシャを見ていたら引きこもりの特集がやっていた。Twitterを眺めると案の定引きこもり当事者を情けないだのさっさと追い出せだの生活保護受けるなだの世間は甘くないだの当事者を馬鹿にする引きこもり叩きも多かった。

引きこもりに近い状態にあった私から言わせてもらえば、こいつらはそういった暴言が当事者を生きづらくしているのが分かっているのだろうか?と疑問に感じた。

また、番組によれば現代の引きこもりの定義は以下のようなものであるようだ。

・基本家から出ない

・趣味のための外出はする

・近所のコンビニには行く

これらのことから勤務をしていなければ私も引きこもりであると言うことになる。それにこの定義は働いてなければ引きこもりという扱いになると言っているようなものであり、求職者というポジションが無くなるのもそう遠い未来ではないだろうなと感じた。

私もウォーキングはしているけど人間と関わったりはしないし、女子キャラの研究のために遠征はよく行っているし・・・唯一近所のコンビニにはいじめの加害者に似た感じの奴がいたからもう数年は行ってないが。

正直そんな私も一歩間違えれば引きこもってた可能性があった。なのでそれを踏まえて私が引きこもり叩きに対して思うことを書いていく。

引きこもり叩きはいじめと変わらない

私は引きこもり叩きは明日は我が身という概念を持たず怠け者を制裁しているんだという正義でない正義感にかられた人間たちからのいじめだと思っている。弱い立場の人間に対して叩きを平然と行える人間は想像力の足りない人間なのだろう。

引きこもりを叩く人間は

・自分はしっかり働いているのになんであいつは引きこもるのが許されるのか

・なんであいつは中年になっても仕事していないんだいい年して恥ずかしくないのか

などという自分勝手な正義感や怒りなどで動いているようにも見える。こんな人間がわんさかいる状態では社会や世間が怖くなるし、出づらくなるのも当然のような気がする。

それに引きこもり当事者の事情も知らない人間が暴言を用いて口出ししていい問題なのかなっていつも思う。

働かない人間というのは大昔からいたはずである。働きアリの法則にもあるようにグループの中の怠けるアリを除いた働くアリだけを別のグループに移してもその働くアリの2割は怠けてしまうものなのである。人間も同じでどんな仕組みを作っても2割は怠けるようにできているのではないだろうか。1億総活躍社会など引きこもり事情を詳しく知らない人間が勝手に作り出した幻想だ。

それと暴言を使って引きこもり叩きをしている人間は満たされていない状況なんだろう。満たされていれば引きこもりの人間を認められる余裕が生まれることもあるだろうし、叩きなどという愚かな行為をしている暇もないはずだろう。こういう人間が無職になったらどんな対応をするのだろうということは少し気になる。

私も少しズレていれば引きこもっていた可能性がある

私はいじめを受けていたが様々な事情で引きこもることが許されなかった人間である。なので、帰れと言われようが学校には行っていたし、いじめ連中共に嫌な役回りを押し付けられ上手くいかなかったら殴られたり怒鳴り散らされた経験を持っている。

だからといって、引きこもっている人間を叩こうなんて考えたこともないし自分は辛い思いをしてまで学校や仕事に行っているのにあいつは引きこもれるんだなんてふざけるなとも思ったこともない。自分が引きこもれる現状にないからといって引きこもって苦しんでいる当事者を叩くなんて満たされない自分を癒し当事者を傷つけるストレス発散以外の何物でもない。

私ももし引きこもれる環境に生まれていて尚且つ今のように人間が嫌いでいじめの恨みを抱えているような現状であれば中学2~3年生ぐらいで引きこもっていたかもしれない。それ以前に自殺していた可能性も考えられる。

甘やかしすぎ、働かざる者食うべからずという私の大嫌いな言葉を用いる奴もいたが・・・こんな状態では平成が終わって令和になろうと社会不適合な人間たちの生きづらい時代は続くのだろうなと呆れる。本気でいなくなってほしいこういう人間。

最後に

最後に引きこもり叩きをするの人間にこの言葉を贈る。

当事者や親を叩いたりしたところで生まれるものは何もない。

私には引きこもり叩きをする人間がどのような気持ちでそのような行動をしているのかが全く理解できない。多数派の言うことがそんなに正しいのか。ただでさえ苦しんでいる人間に欠点を指摘し暴言を吐けばさらに苦しむということも分からないのか。分からないなら満たされていないがゆえにストレス発散に叩くことなどせず黙っていてほしい。

それで傷つき耐えられなくなって自殺に走る人間だっている。だが叩きをする人間は当事者が自殺してしまったら反省するどころか邪魔者が消えて清々したとか言うのだろう。人間って醜い。強者だけが生き残る世の中になったらまたそこから争いが始まって弱者が生まれるということも理解できないままなのだろうこういう人間は・・・

私が前に書いたこの概念が存在する理由も今日なんとなくわかった気がした。それとtwitterで暴言を吐いていた人間はすべてブロックさせていただいた。好きなものは愛でて嫌いなものはブロックするに限る。

いじめをされたときにさんざん暴言言われていたわけだしこれ以上叩きを見続けると一見正当性もあるように見えてしまうので、ただでさえ低い私の生きる気力がなくなってしまうだろうし。分かり合えない人間は関わらない、もしくは無視してしまうのが一番いいと思う。

だが、少なくとも私は「明日は我が身」ということを忘れないようにしたいものである。

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