嫌いなものは嫌いなままでいいから好きなものを大切にしよう

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好かれる嫌われるというのは人間にとって重要なことであると思う。好かれれば自分が受け入れられていると安心でき、逆に嫌われてしまえばその場所に居るだけで辛くなってしまう。

しかし、この好かれる嫌われるは周りに合わせるなどをすることで、ある程度はなんとかなってもそれ以上は自分の力ではどうしようもないことなのではないだろうかとも思う。自分が好きでも相手が自分のことを嫌っていれば良い関係なんて築けるはずもない。

私は好かれる嫌われるに囚われるよりも理解してくれる人を大切にするのがいいと思っている。今日はそれについて書こうと思う。

自分が嫌いだと思うのならそれでいい

人間という生き物は欲望に走ったり、完璧であることを求めがちだ。だからこそ小さいころから食物の好き嫌いなどをはじめ、嫌いなものの克服を強要してくる。私も幼少期は偏食家だったので、昔は我慢して食えなんて教員によく言われたものだ。

しかし、その結果はどうだろうか。全ての人間が好き嫌いの指導を受けたところで全ての人間から完全に嫌いな食べ物がなくなるわけではない。むしろ逆にもっと嫌いになってしまい大人になってに避けたりする人なんてざらにいるのではないだろうか。私は未だにスイカなどのウリ科の臭いの強いものが好きではない。

人間の好き嫌いだって一緒なのではないだろうか。どんなに媚びても自分を嫌う人間はいる訳だし、逆にどんなに悪態を見せても理解して寄り添ってくれる人もいる訳である(無論後者の人間の方が圧倒的に数が少ない訳だが)。

だから私は嫌いな人間や物をどう好きになるか、どうしたら分かり合えるかを考える時間よりも理解してくれる人を大切にして、自分の好きなことを考える時間を増やしたほうがよっぽど有益になると思っている。

自分がこれ(この人)は嫌いだな・・・って思うのならそれでいいのだ。自分が合わせようと思うと自分が疲れてしまうだけなのだから。

自分を理解してくれる人大切にしよう

今期私が視聴している作品の中で女子高生の無駄遣いという女子キャラを用いたギャグアニメがあるのだが、その6話でロボちゃんが人に嫌われるのが怖くそればかりが気になってしまうと言ったマジョちゃんにこんな言葉をかけている。

「全ての人間に好かれるなんて無理なこと。理解してくれる人だけ大切にすればいい。」

ロボちゃんに限った話ではないが、女子キャラクターというのは人間の弱い部分をそれなりに克服した可愛らしい生物であると同時に時折、素晴らしい言葉で気づきをくれる存在でもあると思っている。

だから私は誰がなんと言おうと女子キャラの研究を止めるつもりはないし、知りたい範囲で彼女たちの謎を追求していくつもりだ。なぜなら私はそれほどまでに女子キャラクターが大好きであるしだからこそなぜクズな行動を取る個体がいるのかを考察したり推しが犠牲になるダメージを抑える方法を考えたりもするのだ。

彼女たちには色々な知識(正しい方向に生かせる知識とは言ってない)も教えてもらったりした恩もたくさんある。彼女らがくれたものは命と同等ぐらい大事と言っても過言ではないと思っている。

確かに嫌われてしまうという事はとても傷つくことである。だが、嫌ってくる人間にどうやって好かれようかと考え周りに合わせて辛い思いをして生きるよりかは好いてくれる人や理解してくれる人を大切にした方がいいと私は思うのである。

好きな物を大切にしていればそこから新しいつながりが生まれて、自分を理解してくれる人や自分の好きなものが同じく好きで話の合う人に会える可能性だって出てくるのだ。そのようなつながりを探していった方が精神的な負荷も減るし何より素敵な出会いがなあるかもしれないではないだろうか?

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