私が職務質問された時の話を詳しくしようか

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またあの季節がやってきた。2学期の始まりといういじめを受けている子どもたちが自殺してしまう時期が。親や教師に理解がない場合は説教されたり学校行けと無理矢理苦登校させられたり、外部に必死に助けを求めようとしても門前払いされ方法を検索しようとすれば最近の子供は根性なしだからいけないなどと偉そうに語っている腐れ質問サイトが出てくる。そりゃあ死にたくもなるよな。

そんな子供たちの助けにはならないと思うが、前にここで少し語った職務質問された時の話をしようかと思う。人間のせいで精神障害背負って未だに傷つき続けている私のような人間でもまだ生きてるっていうことを証明するために。

私が職務質問された時の話

その時、私は運転免許の更新に鴻巣市へ来ていた。埼玉県では鴻巣にしか免許センターがないからである。埼玉県民は違反講習を受ける時は住んでる場所がさいたま市だろうが秩父市だろうが所沢市だろうが春日部市だろうが鴻巣まで行く必要があるのでなかなか厄介だ。まあ他の県の免許センターは大概郊外にあるから主要鉄道の沿線沿いにある埼玉はまだましかもしれないが。昔は大宮にもあったと身内から聞いたこともあったが今はないのでどうでもいい。一応違反さえしていなければ地元の警察署でも更新してくれるが私が警察にあまり行きたくなったのと地元とは言え市の中心部にあるので限界集落エリアに住む私からすれば遠いのである。

当時更新場所に免許センターを選んだのは当時通勤していた職場と鴻巣が近かったからである。半休を取って鴻巣に向かい免許更新の手続きを終え、帰りがけに鴻巣の駅周辺の中心地をウォーキングし運動してから帰ろうと思いつく。早速中心地に向かい、駅前付近を歩いていると私の前にいた人間がこちらに寄ってきて呼び止められた。老年近い警察だった。正直当時何を話したのかはそこまで覚えていない。ただ身分証の提示を請求され、長い話をされて、君だけじゃなくて他の人にも声かけてるのだの言われたことは覚えている。だが私は・・・

言い訳してんじゃねえよそれなら他にも人はたくさんいただろ!私が歩いている人間の中で一番怪しそうだから声かけたんだろ!

という気持ちでいっぱいだった。私はこの時間帯であれば(人間たちの偏見で)普通に会社で仕事をしているはずの成人男性。それが午後の時間に駅前付近を歩いていれば怪しい人間だと思われてしまってもおかしくはないだろう。この時はリモートワークなど普及してなかったし。人間が嫌いな部分を常に顔に出しているのもあってなのでその辺りを読み取られてしまったのかもしれないが。営業職のふりでもしておけばよかったのだろうか。それとも私が知らないところを歩くのが好きであるがゆえに鴻巣の町中を歩こうと思ってしまったこと自体が駄目だったのだろうか・・・?

とはいえ悪いことばかりではなく、免許センターがあり警察が比較的多くいる鴻巣であれば私のような人間でも比較的安心して暮らせるのでは?と感じた部分もあった。

なぜ職務質問されたのか考えてみる

今になって考えてみると私が免許の更新に行った数日前に川崎登戸通り魔事件が発生していた。私のこの事件への印象は加害者が自殺したこともあってワイドショーで憎しみをこめて好き勝手に発言したコメンテーターの言葉を間に受けた人間がSNSでやり場のない怒りを暴走した結果引きこもりへの差別が加速した事件という印象が強い。この事件が起きたことで同じ事件が起こらないよう全国で警察の監視が強化されていた可能性がある。運悪くこの事件は私の誕生日である5月27日の翌日に発生していたのである。免許の更新は自分の誕生日を基準に2ヶ月前後なのでこれは最悪のタイミングと言えるだろう。

そもそも、私は今でもこの事件の時に好き勝手発言していた人間たちへの憎しみが消えない。私は当時理解のない発達障害支援センターから無理やり出て、理解のない友人周りに心無い説教を食らいながらもニートを脱却して障害枠で働き始めて数年だった。この時にこの事件が起きてしまったのである。まあ肩書きは毎日行動が取れなくても常に求職者だったからニートって書くのもおかしいが。

何より一番辛かったのはワイドショーで志らくとかいう落語家を筆頭にコメンテーター共から放たれた「死にたければ一人で死ね」という残酷な言葉だった

子供たちを殺傷したことは許されることではないし、犯人だけに向けて言った言葉だと言えばそれまでだ。だが、ワイドショーだろうが大半の人間が未だに見ているテレビでの発言力はすさまじいものだから自分が思っている以上に影響力があるということをコメンテーターは知っててほしいし、この言葉で引きこもりへの差別がより加速したのは間違いないだろうし、これをきっかけに追い詰められた無敵の人が増えたのは間違いないだろう。それにその後のコロナ煽りを見ていると人間って変わらないんだなと呆れたのも事実だ。これ以降私はワイドショーをテレビ番組で一番のゴミだと考えるようになったのは言うまでもない。

そんなの言葉をいじめの歪な認知で受け取ったお前の被害妄想だ!と言われればどうしようもないことだが、結局このことは死にたければ一人で死ね発言とともに私の心にいじめ加害者がやったことと同等の傷を残し自分が生きててはいけない人間であるという強い認識が生まれてしまったのも事実なのである。おまけにこの考えは4年経った今でも継続中。完全に二次障害である。

こんな人間でも生きてはいられるよ、説教は日常茶飯事だけど

というわけで私みたいな職務質問されがちな人間でもなんとか生きてはいるよという意味を込めて職務質問された時の話を書かせていただいた。

私は何があっても生きろというような心無い大人たちのような発言はする気にはなれない。私自身がそう言われて生きてみた結果、精神障害を負い、結局人間たちから叩かれるようなどうしようもない人間になってしまったからだ。

いじめや暴力だけでなく、安全地帯にいる人間が無意識に放つ言葉の暴力の恐ろしさも身に染みて知ってしまった今、生きろなんて言葉は言えるはずもない。

それにしてもどうしようもない死にたいと思いながらも生きてるだけの人間が職務質問された経験を書いたところで自殺止めようなんて大抵の子供たちは思わないよねえ・・・何もできなくてすまない。

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