私が実際に受けたいじめについて~中学3年生編その2~

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今日は前回書ききれなかった中学3年生時代のいじめの話について続きを書こうと思う。
前回説明したとおり、私が中学3年生の時に受けたいじめは主に以下の4つである。

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  • 修学旅行で無理やり班長にされ、班員には不満をぶつけられて帰り道では公開処刑に。
  • 授業中に筆箱を奪われ、近くの女子生徒の机に置かれる。
  • 運動会の組体操で、タワーやピラミッドがうまく作れないときは男全員で私を責める。
  • 自分の気持ちが進路どころではなくなり担任になった国語の先生と何度も口論に。

今回は2~3番目に書いた運動会や筆箱を奪われた時のことについて書いていこうと思う。

1、成功しなければ意味がない!体育会系に説教される運動会

運動会の見ものの一つである男生徒による組体操。確かにみている側や成功させた教員側からすれば一致団結の象徴と言える素晴らしいものなのかもしれない。しかし、力がない上に受給力もなくただ体重の重い私からすれば地獄の塔でも作っているようにしか思えない。

当時の私は体重が重めなので非力でもあるのにもかかわらず土台にされる。それは仕方のないことだろう。しかし私のいた中学校の場合、組体操が少しでも失敗するとすべて私のせいにされるのである。組体操最大の奇問であるピラミッドやタワーの土台がうまくできなければ、「お前がしっかり支えてないのが悪い!」だの「今度タワー(ピラミッド)を崩したら承知しない。」など私にばかり言ってくるのである。責める理由は当然ながら私が運動会で足を引っ張る存在だからである。

見かねた体育の先生が一回私たちに「タワー危ないから2段でやるか?」と提案してくれたこともあった。私はその提案に賛成だった。しかし、体育会系たちはこう言った。「3段でやらせてください!」と。当然ながら運動のできない私に拒否権などなかった。そしてそれが終わり先生が去ると上記の言葉で私を脅すのである。

組体操以外にも大縄跳びでひっかかればお前が飛べないと負けると言われて説教される、100mなどの徒競走で私が最下位を走れば何やってんだよと説教される、ムカデ競争で私のチームが転べば運動神経の悪い私が説教の対象になる・・・もうこんな状況では正直やってられない。ちなみにこれは中学3年時代だけでなく1年、2年でも同じようなことをされた。

このようないじめ運動会をされた結果、私の運動嫌いは加速して運動すること自体に拒絶反応がでるようになってしまったのである。

2、授業中堂々とした最下層クラスの最低な行為

私の中学校には数学でA、B、Cの3つの好きなクラスに分かれて授業を受けられる制度がある。

私はこの時真ん中のBコースで授業を受けようと思っていた。しかし、前回話した修学旅行で一緒の友人たちが私にもCコースに来てくれと強要してきたため、仕方なくCコースを選んだ。しかし、この選択は最悪の結果を呼び寄せた。

Cコースには1年生の時のいじめの主犯格がおり、しかも私の隣の席だったのである。当然ながらちょっかいを出された。主にやられたこととしては私の筆箱を奪って反対側の隣に座っている女生徒の机に置くという行為だった。私の私物を置かれた女子生徒は気持ち悪さからか泣き出した。私は女子生徒を責めるわけにもいかず、主犯格に怒鳴り散らすこともできず、ただただストレスをため続けた。先生はそんな光景を見ても何もしてくれず授業を進めることに専念していた。

結局今でも主犯格、女子生徒、先生への恨みは消えることなく私の心に残っている。このようなことから私は2学期にBクラスへ移ることにした。なんとかBクラスへは移れたが、主犯格に邪魔されたので基礎が理解できずに授業についていけず、テストでは人生で一番低い26点を取ってしまった。

そのことからどんどん自信を無くしていき、「自分は馬鹿で運動もできない上に気持ち悪いどうしようもない生徒なんだ」と思うようになっていった。成績もオール3という強みのない最悪の成績表になってしまい、そんな状況で高校受験に乗り出す羽目になったのだった。その結果高校でも苦しむことになってしまった。

まとめ 中学1年からいじめられ続け、結局消えなくなった中学校への恨み

・・・以上が中学校で私が受けたいじめである。私はその後中学校を見るたびにされたことを思い出しては恨みに駆られ、前を通れば怒鳴り散らしたりするような行為をするようになってしまった。おそらく私は友人にも、同級生にも、教師にも、嫌われていたのだと思う。だからと言っていじめをしていい理由にはならない。

クラスが40人いてそのうち1人をいじめることによって39人の安定は保たれるかもしれない。しかしいじめられた1人は精神病になり、社会でもうまくいかずにニート、引きこもりなどになってしまう可能性だってあるのだ。

この言葉は中学1年生の時の担任の言葉である。正直中学校で私と真摯に向き合ってくれたのは中1の時の担任だけだったように思う。それ以外はろくに対処もしてくれず、特に中学3年生の時の担任とは願書の書き方でかなりもめたし信用することすらできなかった。

結局私は大学までは卒業できたものの、発達障害発覚と人間への恐怖心と精神の不安定さから社会に出ることができず周囲に怒られながら、死にたい思いをして仕事探しをしなければならなくなったのである。

いじめに関しては高校時代も受けたので、今後は高校時代のいじめについても書いていこうと思います。

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