迫害されてきた人間に君は悪くないと言っても遅い

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人間は一度でも迫害やいじめなどを受けて自己肯定感を築く機会を失えば、自分ばかりを責めるようになってしまう。

物理暴力もしくは精神暴力を伴う差別や洗脳ほど恐ろしいものはないと私は思う。今回は自己肯定感と批判について書いていこうと思う。

 迫害によって自己肯定感は簡単に失われる

人間、特に日本の人間は変な部分を持つ人間や一般とは少し違う趣味趣向を持っていると、そんな部分を持つ人を批判したりいじめや嫌がらせなどの精神・肉体的に追い詰めるなどして迫害をする。その行為によって、迫害された側は、私は犯罪にかかわるような悪いことをしているわけでもないのになぜいじめや批判を受けなければならないのだろうかと考えるような思考になっていく。この時点でいわゆる洗脳のようなものが始まっているのだ。

転校や進学、退学などでいじめや迫害が渦巻いていた環境から脱することができたとしても人間の脳というのは同じような目に二度と会わないようにするため、嫌な記憶を記憶しやすいとも言われている。私もこのことを自分の身をもって体感しており、嫌な記憶を忘れられるなんていうのは嘘っぱちだと思っている。

また、お前は気持ち悪いなどと言われ続けた場合、自分は人を不快にする気持ち悪い存在なんだという認識が生まれ、その考えは洗脳のように作用していく。この様な人間が成人になってからあなたは悪くないと言われても手遅れで、改めて自分は悪くないと言い聞かせようとしても、そう簡単に認識を変えることはできない。

私自身も自分が発達障害であることが分からなかった頃、様々な派遣会社で働いていたとき、どうしてこんな簡単なこともできないんだ。もっと早くやってもらわないと困る。使えない奴だなどと何度も言われた記憶が蘇る。いじめを受けた内容をもう十数年もたつのにも鮮明に覚えているし中学時代学年中から敬遠されてたこともいまだに忘れていない。いや、忘れようとしても忘れられないのである。

結局人間は少し知能が高いだけの野生の獣であることには変わらないのである。そういえるのは迫害やいじめ、批判を行う人間の大半は弱肉強食、自然界は弱い個体を排除するのが当たり前、働けない奴は皆殺しにしろなどという単語を使って批判をするからである。

こんなことを書いている私も人間だが、頭がおかしいことは自覚している。本当に人間は私の思考を多少なりとも分かってくれる一部を除いて信用できないし好きになれない。

 自己肯定感を取り戻すには?

自己肯定感を失った人間が必要になってくるのが、自己肯定感を育てて自分の自信につなげていくことである。これまでに私は未だに取り戻すことができない。下を見下すことも許されず、上を見上げても見下されるだけであった。方法としては以下のようなものがある。

自分をほめる、自分で自分を癒す。他人に評価を求めないようにする。

何でもいいので夢中になれることを見つけ、それに打ち込みその過程で取り戻す。

人の助言や批判は気にせず、自分の中で思考を確立していく。

しかし、これらの事は対策の一部に過ぎない。それにそう上手くはいかず、自己否定が続き永遠に自責の念にかられながら生きていかなければならない人間もいる。私もその一人だ。今は執筆とサイトの更新をやることで文章力がついてきたという自信はあるが、自責の念やいじめをされた記憶は消えない。

先ほど人間は野生生物より少しだけ上の知能を持っていると書いたがそれなら・・・

人間の一人一人の脳や思考の構造が違うことぐらいはわかるはずである。

多様性を認めろとは言わない。だが、人間には遺伝子構造レベルまで全く同じである個体はいないはずなのである。それを普通からかけ離れているだけで批判や迫害を行い、それを受けた側は自信を無くし、ニートや引きこもりになってしまう。その繰り返しによって私のような自信を持てない手遅れの人間が日本中にどんどんあふれていく。

そしていつか普通の人間の数を迫害された人間の数が上回ってしまう可能性だってある。ただでさえ少子高齢化の時代なのだから考えられる話である。

それはとても恐ろしいことではないだろうか?自分には関係ないと思っている人間にもいつかは被害が及ぶかもしれないのだから。

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