批判され続けた私は一般的なことと反対にある考えをするようになった

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批判、見下し、いじめ。この3つは何かを攻撃しなければ生きて行けないクズ人間が簡単に優越感に浸れるためのストレス解消法であると言える。

だが、私のような批判、見下し、いじめやられる側からすればクズ人間が行う最悪の害毒だと思っている。というのも私が人間嫌いになり、発達障害の二次障害で常に精神的苦痛を味わっているのはこの3つが主な原因だからである。私ははっきり言うと身内と支援者さん、一部の友人とカウンセリングの先生たちを除けば人間に悪意を向けられたことしかない。

私がAと言えば他全員はBといい、Aを選んだ私を批判しいじめる。正直考えの違いだけでここまでされるとやってられない。そんなことが繰り返された結果私は多数派が正しいということを正しいとは思えなくなってしまった。今日はそのことについて書こうと思う。

批判され続け、一般的に正しいと言われていることと逆のことを自分の考えとするようになった

大多数に正しくないと言われ続ければ、誰もが自分で自分を責めるようになるだろう。そして私の場合はそのことによって自信を無くし、一般的に言われる普通のことを求めなくなっていき、自分が正しいと思っていることを前面にして振りかざすようになった。例として生まれたのは以下のような理論である。

男は結婚し家庭を持つことで一人前になる→一人前の称号なんていらないし私は結婚しない。そもそも私は脳に異常があるわけで。もし子供が男で私と全く同じ性格かつ脳の特徴を引き継いでしまったら、その子供がいつ終わるかもわからない地獄の道を歩むことになるから。

もっと大人になって成長しろ→私の成長はいじめと迫害によって精神が崩壊し、16の時に完全に停止した。私はしょせんその程度の人間でしかないんだよ。今では女子キャラクター以外のものに価値なんて感じない。社会に依存できているからって調子に乗ってんじゃないぞ。明日あなたがクビになる可能性だってあるのだから。

いい年して夢追いしてる才能ない理想主義者なんて気持ち悪い現実を見ろ→現実を見るのが普通なら私は誰に批判されようとも理想主義者であり続ける。長生きなんざ願い下げだし、食料がなくなるなどでいつ死んでも構わない。私みたいな人間に現実見ろという前につまらない批判をしている時間を自分が長生きできるためのスキルアップにでも使ったらどう?

・・・例を挙げれば批判されたことによってそんな意見を振りかざす異常で女々しい私に対して弱者だと煽る人間はたくさんいた。

弱者ですが何か?それ以前に今の自分に満足いかず、批判をしているそこのあなたも自分が弱者と変わらない立ち位置であることに気づいたらどうなんだ?私はもう普通の人生なんていらない。結婚もいらない。男らしさもかっこよさもいらない。幸せな老後なんてなく孤独死すると思っている。

ここまで普通の人生を放棄している私のような人間に噛みついてくる人間は、あまり言いたくないがクズを通り越して哀れだと思う。弱いものを傷つけて楽しいですか?本当は結果が出せなくてそんな自分に不満があるのではないですか?多数派に甘んじて優越感に浸って、少数派の生き方を批判して楽しいか?

少数派を人より劣ると判断して批判する暇があるのなら、大好きな自分磨きでもしたらどうなんだ?多数派に甘んじて社会に依存できているからって人を批判するようなことをしている時点でそっちの方が人間として劣ってる!

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