お前のためを思って言っているほど人のことを思いやってない言葉はない

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お前のためを思って言っているんだ!という言葉がある。唐突だが、私はこの言葉が非常に嫌いである。なぜならこの言葉の使用者は

相手のことを思っている気持ちなんて微塵もないからである。

実際、相手のことを本気で思いやる気持ちがあるのならまず相手の気持ちを完全でなくともできる限り理解して話を聞くだろうし、こんなきつい言い方はしないはずだ。寄り添うのなんて面倒くさいと思っている奴がお前のためを思って言っているという言葉を使っているのを私は見てきた。今日はなぜこの言葉が負荷になってしまうのかを考えてみる。

お前のためを思って言っているというのは自分の中の善意の押し付けでしかない

このお前のためを思って言っているということは

あくまで自分の考えの範囲での善意の押し付けでないかと思う。

私がこのサイトでよく言っている俺が乗り越えられたんだからお前も乗り越えられるという考えに似ているような気がする。相手を正しい方向に導いてやっていると言いながらやっていることは自分は正しい道を選んできたんだということの正当化なのだろう。

お前のためを思っているというのは裏を返せば俺はこの選択をして正しかったからお前も深く考えずにこの道を選べばいいんだ俺が保証する。と言う風にも見える。だが、実際は保障などしてくれるはずもない。その道がたまたまその人に合っていただけであり、他の人にそのやり方を強要したところで成功や安定が得られる保証などどこにもない。それでいて結果が出せなければお前の努力不足、お前が悪いという自己責任論を振りかざす。

結局この言葉を多用する人間のすることは自分の価値観の押し付けに過ぎない。相手の気持ちに寄り添う気がない、相手の気持ちを考えるのが面倒くさいからお前のためを思ってい言っているという言葉を乱用する人はどうぞ放っておいてください。考えを押し付けあわないと付き合えない知り合い、友人関係などこっちが気を使う必要が出てくるので疲れてしまうだけだ。

もし自分が無職状態などの自分の力だけではどうしようもない状況下にいる時に○○をしろ、これはお前のためを思って言っているんだなどと言ってくる知り合いや友人がいたら距離を置いた方がいい。こういう状況の場合大体相手側は非難されない立ち位置にいる上に心の奥底では自分の正当化とこいつよりはましな場所にいるという考えを持っている。ただでさえつらいの状況にいる時に説教なんて受けたらより自責の念に駆られてしまう。

こんなお前のためを思っていると言う言葉を添えて裏では俺を嫌わないでくれなど思っていて保険をかけているような奴は信用するにも値しない。こんな偽善の言葉をまともに受け取る必要なんかないし、こんなこと言われなくても自分の事は自分で決めればそれでいいと私は強く思っている。

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