吊るし上げほど人間の人格を壊すものはないと思う

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皆さんは周囲の人間に行動を非難され、学級会などで吊るし上げにされた経験はあるだろうか?

私はある。吊るし上げは何度注意されてもいたずらを繰り返す悪ガキのような連中には効果があるのかもしれない。

しかし、協調性を盾に協調性のない(もしくはそのようなことに興味を持っていない)人間に対して使用すると集団の圧力と噛みあってものすごく精神的苦痛がかかってくる。

今日はそんな吊るし上げについて私の経験も踏まえて書いていく。

吊るし上げで心は簡単に壊れる

まず、つるし上げはスケープゴートと似ているという人も当然いると思うが、吊るし上げとスケープゴートは私は以下の定義で分類している。

スケープゴートはいじめや迫害などの簡単には罪にならない行為で特定の誰かを追い詰めて集団を安定させて秩序を保つという保守的な目的で行われるもの。

一方で吊るし上げは帰りのHRを利用し誰かの気に入らない一面を取り上げてそこをクラス全員で非難するある意味弁護士のいない裁判(魔女狩り)のようなものという認識だ。

どちらにしろ誰かを追い詰めて、集団の安定性を保つという点は共通していることだろう。

吊るし上げの怖さは、否定してもほぼ教室全員の圧力で実際にやっていなかったことだとしてもやっていたことにされるという冤罪と一緒の恐ろしい仕組みである。

この吊るし上げはみんな仲良くしましょうがもたらした弊害だと思う。学校の体制は未だに事なかれ主義であるので集団を乱すものを厄介に思うのは生徒でも教員でも変わらない。

男が個室トイレに行けば排泄物を連想させるようなあだ名をつけられて馬鹿にされる風潮だって未だになくなっていない(男子トイレが全て個室化していれば防げるのだろうが)。

吊るし上げが発生するのは、主に小中学校などにある帰りの会や学活という科目で行われることが多い。私は小学校時代自由奔放さが今よりも大きかったので、集団行動が大っ嫌いだった。人より先に帰宅する等の事もあった。そのことを指摘されて吊るし上げになりましたとさ。個より和を重んじる学校からすれば私が悪いんだろうし、人間に興味もあったから矯正しないと嫌われる恐怖もあったけど。

担任教師?お前が悪いことをしたんだから反省しなさいの一点張りだよ。こんな仕打ちを受けたのに教師を目指したことがある私ってほんと馬鹿。教師になりたいと少しでも思ったことがある自分をぶん殴りたい。

おかげで指示がないと動けなくなり、別の教師に自分で判断して動け!とか説教されたり、(都合の)いい人間を演じて生きることになった。そういう風になっても馬鹿どもは運動ができないという私の弱点を突くのは変わらないし、集団行動で私の動きが遅ければ指摘してきた。

周囲の奴らはそんな私をやさしい人間だと評価した。教師たちはそんな私の通信簿には真面目な生徒ですと書いてくれた。

実際はお前らが納得するようないい人間を演じていただけですから!

事なかれ主義や公的世界仮説を振りかざしてで心を潰す人間なんか大嫌いだ。学校なんてやっぱり奴隷向けロボット人間製造工場だ。

吊るし上げは人の心をいとも簡単に壊せる。私の心は小学校の時点ですでに壊れてしまっていたのかもしれない。

反省は自分でした方がいいと思ったときにすればいい

私は反省という物は

自分であれはまずいことしたなどと思った時だけすればいいのではないだろうか。

しかし、集団で○○が悪いことをしてました反省して謝罪してくださいと集団の圧力を利用して追いつめるのは卑怯なんじゃないだろうか。もはやいじめと何も変わらないように思うのだけど私は・・・そのような行為を実行する人間こそ集団の力と教師の黙認に甘えているのではないだろうか。

私は発達障害の身であるがゆえに成長という言葉を耳にする。だが、人間の中には現状を維持して無理なく行きたいと思っている人間もいるわけであり、強いるのって何か違うように思う。

前にも言ったけど、この世に本当に正しいと言えることなんて一つもない。人間が常識という基準を作って正誤を勝手に当てはめただけだ。

勝手な基準で正しい間違いを決めてそれを当てはめて犠牲者をどんどん増やしているくせに自分は正しいことをしているんだみたいな態度を取るにはどうなのか。こっちからすればふざけるなだよ!

ほんと、学校に関わる方向を目指さなくてよかったと思う。私は納得できた内容だけを受け入れ、必要と思うこととやりたいことだけをやっていくことにする。

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