被害者を追い詰める公正世界仮説

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最近私はこんなまとめを見つけた。

httpss://togetter.com/li/897779

このまとめで語られている公正世界仮説というのは、良いことは良い人間に対して起こり、悪いことや不幸なことは悪い人間に対して発生するという秩序が存在すると言う考えであり、人間がいじめられる方にも原因があると言って人を責める背景にはこの更生世界仮説という考えが働いていることがあるのである。つまりは被害や悪いことにあった人間は悪い人間だからひどい目に合うという、被害者叩きを正当化するようなとんでもない考えである。

この考えを提唱した人間は誰だか知らないが、正直とんでもない考えだなと思う。なぜなら、人に悪いことが起こるのはその人にすべての責任があるという押し付けみたいだと私は感じるからだ。こんなの信じている奴がたくさんいるから泣き寝入りして苦しむ被害者がたくさんいるのだと私は言いたい。

今日はこの公正世界仮説について私が思うことを書いていく。

公正世界仮説が正しいと仮定した場合の私の事例

この公正世界仮説という秩序があくまで正しいとした場合以前私が書いたいじめや嫌がらせの内容と照らし合わせるとこういうことになってしまう。

・テストで高得点を取ったら低い点を取ってしまったいじめ人間に平均点上げてんじゃねえよ調子のるなお前のせいで俺が補修になるだろと言われ怒られた。

→「私はテストで点数の低い人間が赤点にならないよう手を抜いて平均点を下げ、多くの人間が補修にならないようにしなければならない。それができないならいじめは正当化される。」

・算数の道のり(距離)、速さ、時間の法則で自分の苗字がみ(もしくはき)で始まるものであったというだけで全裸で事故にあうと言うようなバカみたいな覚え方を提唱された。

→「馬鹿な覚え方が提唱されるのは私の苗字がみで始まるのが悪い。嫌なら苗字変えろ。それができないのならいじめは正当化される。」

・中高にかけていじめにあった。今でも記憶から消えずに実質泣き寝入り状態で生きるのもつらい。

→「いじめられる方が悪い。自分にも悪いところがあるからいじめにあうんだ。だからいじめは正当化される。」

悪いことは運の悪い人間に起こり、良いことは運のいい人間に起こる。無駄な努力なんてない。

私はこんな弱者を追い詰める秩序は非常にばかげていると思うし、この考えに心酔して前面に押し出している知人や友人がいたらすぐにでも縁を切ると思う。それはこの考えが

凶悪犯に殺された人間に向けて殺される方が悪いと言っているようなものだからだ。

私はこんなバカげた秩序など信じるよりも、悪いことが起こるのはたまたま運が悪かっただけ、良いことが起こるのはたまたま運が良かっただけだと思っている。運悪くいじめをする人間に出会ってしまいいじめにあってしまった・・・それでいいではないのだろうか。この考えを用いていじめなどにあった人間をお前にも原因があるなどと言って責めたところで生まれるものなど責めた側に対する憎しみと恨みの感情だけだ。

同じように報われない努力は努力ではないということもないと思っている。私も現に文章作成をしているが、私と同じような立場の人が少しでも気持ちが楽になるような内容を書くことを常に考えて作成している。これを努力してないとは思ったことがない。

誰が考えたか分からない事なかれ主義を象徴したような秩序に従っているような人間は私でも正直言ってかなり軽蔑する。確かに被害者側にも悪いケースがないわけではない(被害者だった人間が先にいじめをしていたなど)のでこの考えすべてが間違っているとは言わない。

だが運動ができない、顔が不細工だとかの理由で発生するいじめや、パワハラにあってPTSDに苦しんでいる場合でもこの考えを用いて加害者を無理やり正当化し、被害者を責めるのは辞めろ!

人間なんて感情で動くものだから仕方ないなどと言っている限りは泣き寝入りして傷つけられ、最悪の場合自殺に走ってしまう被害者はこれからも増え続けるだろう。私に言わせれば何人もの被害者を腐らせてしまうこんな考えには同意できないし、ゴミより価値がないと思う。

やはり私は人間という生き物を好きになれそうにはない。いじめ被害者としてはこういう考えにはものすごく嫌悪が沸くし生理的に無理だ。人間じゃないならお前はなんなんだと言われたら人もどきのクズだと答えたほうが何万倍もましだ。普通でなくて何が悪い。普通なんて言う考えは自分のことを受け入れられない奴が保身のために使うくだらない表現だ!

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