私は昔から辛いのは皆同じと言われることに違和感を持っていた

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皆様は誰かに悩んでいることや行き詰っていることを言った時に

辛いのは皆同じだからみたいに言われた経験はないだろうか?私は何度もある。

私だけ何かも知れないが、こう言われてしまうと自分の気持ちを一蹴されたように感じてしまい、ああ誰にこれを話してもどうせ辛いのは皆同じって言われるだけなんだ・・・と思いこむ癖ができてしまい、あまり人に話せなくなってしまった。

皆同じなんて幻想だ

私は皆同じなんていう考えは

痛みも喜びも感じ方は人間によって違うのだから辛いのは皆同じなんて言うことは幻想だと考えている。

人間の中にはちょっとしたことで生きるのが嫌になってしまうほど落ち込むタイプもいれば、逆にパワハラやいじめを受けてもそれを受け流すことができ、何とも感じていない人間もいるだろう。なので皆辛いのは同じなんて言われても意味が分からないと思ってしまう。

そして何よりこう言われてしまうと、大半の人間は頭の中に「この人に何を言っても無駄だ・・・」という考えが生まれ絶望感で満たされることも多いだろう。勇気を出して辛いことを伝えても辛いのはみんな同じなんだよなんて返されてしまえばもう誰かに言うの辞めよう・・・と思うようになってしまって当然だろう。

だからと言って話を真面目に聞いてくれる人間を探すのも至難の業である。辛いということ貴方が〇〇しているのが良くないと説教されてしまうこともあるし、間違ってもネットの質問サイトみたいな匿名を逆手にとって無法地帯になっているような場所を使ってしまえば皆同じだと言われる以上の最悪の結果が待っている。「貴方は人生を甘く見すぎ」などの説教、「俺の方が辛い」などの不幸自慢など挙げればきりがない。

私は自分の辛い気持ちを伝えた時に皆辛いのは同じだと何度も言われてきたが、身近な人やネット自分の経験談を書いている人などが金(ギャンブル依存)、空白期間、無職、病気、精神障害など一人一人違う様々な症状に苦しんでいるのを見るとみんな同じなんて幻想にすぎないんだろうなと思わざるを得ない。

皆同じは集団主義の一種?

私は皆同じという考えは集団主義の一種なのではないかと考えている。皆自分と同じであると思い込むことで精神を安定させたり、安心感を得たり。そう思うことで救われる人間も少なからずいるのも事実なんだろう。

しかし、何でも皆同じで解決するのはどうなんだろうと私は考える。勇気を出して決死の思いで悩みを打ち明けたのにもかかわらず、「辛いのは同じなんだ。だから耐えるしかない」みたいな回答をされてしまったが最後に人に相談なんかするもんじゃないという考えが生まれ、悩みがあっても誰にも言えず溜め込むようになったりするのである。実際私も打ち明ける相手はかなり選ぶようになってしまったし相手によほどの信用がない場合は、相談もしないようにしている。また、自分が辛いと誰かに打ち明けられた場合は相手の状態や状況を聞きだし、可能な限りの解決へつながる可能性のある方法を相手に提案するようになった。皆辛いのは同じなんて口が裂けても言えないから。

苦しみも、抱えている悩みも一人一人違う。だから全てを皆辛いのは同じで簡単に片づけようとすることは愚かな事でもあると言える。これを人間全体が理解するにはまだかなりの時間が必要になってくるのかもしれない。

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