嫌よ嫌よも好きのうちを盲信している人間って多いよな

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人間は嫌がらせなどをされて心から止めろ!、嫌だ!などと大声で意志表示をしても・・・

嫌がってても本当は嬉しい(好きな)んだろ?だからもっとやってやるよ。みたいな勘違いの反応を返す奴が多くいるように思う。

こういう事を聞くと人間って悪意のある潜在的なサディストがすごく多いんだなって思ってしまうし、人間は脳にいじめることで快感を得られるという機能があるということを信じざるを得ない。

嫌いの逆は好きだと思うけど、嫌がっているが嬉しいの裏返しって違うと思うよ

私が思うに好きの逆は嫌いだとは思うけれど、嫌=嬉しいの裏返しって全然違うことだと思うのである。

例を挙げれば、私はポケモンのサトシやイナズマイレブンの影山の事が見るのも嫌なぐらい嫌いであるが、それぞれのコンテンツ(ポケモンのゲーム、イナズマイレブンのすべてのコンテンツ)自体は見てて楽しいので彼らを避けながら視聴している。幸い前者はアニメと映画以外で活躍しないし、後者は出番が限定的なのでサトシと影山を嫌うことでどっちのコンテンツも問題なく続いている。サトシと影山という存在が嫌いで、ポケモンにもイナズマイレブンにも彼ら以外に好きなキャラがいるから、好きの反対は嫌いであると思うのである。

しかし、嫌がるという反応を嬉しいことの裏返しと捉えるのはどうなのだろうか。何をどうすれば嫌がっている態度を嬉しい、好きの裏返しと認識できるのだろうか。そんなふざけた考えに多数の人間が同意すれば、悪いことでも正しいことになるとでもいうのか?

ふざけるな!信頼できるレベルの信頼関係も気づいていない相手が嫌がっているのならそれは嫌という意志を示しているにすぎない!

この考えを持ってくるやつは自分が間違ってないことを正当化したいだけ

これらのことから、本気で嫌がっている人に対して嫌いは好きの裏返しなんだよとか嫌よ嫌よも好きのうちだろ?なんて考えを持ち出す人間は

自分は悪いことをしているんじゃない間違ってないんだと自分を正当化したいだけだ。

嫌がらせする人間だけじゃない。迫害や差別感情を相手にぶつけてくる奴も同じだ。○○な奴はクズ同然だから差別しても構わないんだという考えを元にその感情をネットに書き込むも同じ。その先にあるのは自分の考えの正当化。それ以外に何もない。

成人しているのにもかかわらず嫌がらせやいじめを小学生男児の心理やいじめ加害者である中高生のような気持ちでやっている人間は救いようがない。嫌がらせやいじめはやってはいけない悪いことだ。

それを自己正当化しようと嫌がっているのも本当は嬉しいからなんだろ?みたいに言われても、何言ってんだこいつ・・・としか思えない。私はそんな人間からは何も学べないし、付き合う価値すら無い最底辺だ。私もそんな人間たちに下らない理由を振りかざして攻撃され、挙句の果てには私が悪いと責任転嫁した上にマゾヒストとして扱われたことがあるからそんな思いを持つようになった。

嫌よ嫌よも好きのうちなんて言葉を盲信して、相手の気を引くためやストレスの解消のためにいじめや嫌がらせをしているなんて・・・そんな人間には失望するし、何よりものすごくダサい!と感じざるを得ない。

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