昔から強くなれと言われるのが嫌いだった

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私はいじめにあったり、理不尽な扱いをすると決まってこう言われる。

「お前ができるようになればいいだろ!」だの「強くなって見返せ!」みたいな言葉だ。

そう言われるのが今でも大嫌いだ。そんな言葉を聞き続け力のない自分が悪いのだと自分を責める日々が続いた。そして、私に待ち受けていたのは・・・攻撃されたことで永遠に苦しむことになる二次障害だったのである。今日は私が思う本当の強さについて語ってみようと思う。

私が思う本当の強さ

私が思う強さは腕力の強さでも精神の強さでもなく

自分は自分のままで良いと受け入れられることだと思う。

要するに悟りに近い強さを習得することだ。かつてイナズマイレブンでは煽られても逆上しない心の強さが本当の強さだとよく言っていたが、似ているようで少し違う。人間は弱肉強食を持ち出して腕力と精神と忍耐以外の強さを否定してくるがそうやって噛みついてくる時点で私は弱い奴認定させてもらっている。自分の価値観を押し付けてくる人間なぞ弱いから吠えているだけだとしか思えない。

この意見に対して、道徳的なこと言ってんじゃねーよやられたらやり返して強くなれという人もいるだろう。確かにそれも一理あるのかもしれない。だがな、暴力などによる克服は罪悪感や一生の後悔を植え付けるかもしれないんだよ。後悔せずにスカッとできるのならそういうやり方をしてもいいさ。だがな、暴力を受けるなどした被害者っていうのは人を殴り返すことすらためらう心優しい人が圧倒的に多いの。そんな奴が暴力には暴力で解決だ!なんて考えることなんてほとんどないでしょうに。それにやられたらやり返せなんて昔の時代で頭止まってんじゃないの。

弱者は死ねと平気で思っているような人間はその考えを一生変えようとしないどころか、死ぬまで盲信し続けるだろう。その結果、コンビニや飲食店の店員さんに怒鳴り散らしたりたりして精神を安定させ、ストレスを解消するような人間へとなっていくのだろう。

そう言ったこいつなら何をしてもいいという人間を作り出し、暴言を吐いたり見下して精神の安定を保とうとする人間こそが一番弱いのではないかと思うのだ。

強くなれと説教すれば加害者や外野、権力者には都合がいい

なぜ人間は被害者にばかり矯正や成長を求めるのか。それはやはり・・・

そっちの方が自分たちにとって都合がいいことこの上ないからではないかと思う。

人間は多数派の考えに属することで安心する生き物。たかが20年程度しか生きていない私でも色々な人間にあってきたからそれぐらいわかる。少数派の考えに対して間違っていると主張し、自己責任論や精神論を用いて説教。それで相手が変わればそれは俺のおかげ!みたいな感じで豪語する。そんな思考になっているのだろう。私は自己責任を振りかざす人間ほど無責任な放任主義野郎が多いような気もするが。

この国の権力者のほとんどは以下のような意見を言っても以下のような反論をしてくる場合がほとんどなのではないだろうか。

「いじめで苦しみ学校を中退せざるを得なかった」→「いじめごときで中退したお前が悪い」

「仕事を探している身なのに何もしないニートと同列に扱われるのが辛い」→「無職は甘え、死ぬ気になればどんな仕事だってできんだよ」

「どれだけの面接を受けても落とされ、非正規職にしか就けず金銭的に生活が苦しい」→「正社員になる努力が足りなかったお前のせい」

・・・こういう意見を聞くたび頭が痛くなる。彼らは理解できないのだろう。最低底に落ちたことなどないのだから。彼らは分からないのだろう。全ての人間が努力だけで成り上がれるわけではないことを。彼らは信じているのだろう。自分の意見が通らなかったことがほとんどないから、自分の考えが絶対に正しいということを・・・

そして今日も弱者に向けて都合いい自己責任論を振りかざし、国をろくに動かしもしないのだろう・・・もう救いようがないこの国。

私からの警告:これでいいやは辞めよう

そんな絶望だらけの状況で何をしたらいいのか。私が思うにまずすべきことは

○○(誰か)をみんな支持しているから私もこれでいいやという思考を捨てることだ。

選挙とかがそうだ。この国の人間はほとんどが思考停止しているから皆ろくに考えもせず自民党へ票を投じる。しっかりとした明確な意見や考えがあるのならそれでもいい。だが、ろくに考えもせずこれでいいやと思って票を投じるのは思考停止の証なのかなって思ってしまう。

これでいいやは都合いい人間になってしまう第一歩。人と違う意見を尊重できる強さ。それを身に着けることで少しずつ自信もつくし、強くなるというのは運動や武道をやって見返す選択肢を選ばなくても身に着けることはできる。この一見大したことなさそうに見える強さでも場合によっては理不尽と戦えると私は思うのである。

大多数が認めないと言っても、自分の考えに自信や誇りを持てることこそが真の強さなのではないのだろうか。だから私は理不尽な精神論で攻撃されて苦しんでいるときに腕力や運動で強くなれ!と言われるのが今でも嫌いである。人の苦しみも理解しないで平気で傷つける言葉をかけられるお前は何様なんだよと言いたい。

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