女子キャラクター中心の日常系作品に需要があると思う理由

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日常系作品女子キャラクターが中心の萌え系作品はやれ美少女動物園だのクソアニメだの言われることが多く、名作や神作と言われることは少ない。私はそれでも女子キャラクター中心の日常系アニメがなくならないのは一定の層に需要があるからだと思っている。

今回は私が女子キャラクターが中心の日常アニメに需要があると思う理由を書いていく。

日常系は生きるだけでも辛い人間にとっては薬のような物

私は日常系作品の役割は

何気ない日常を見せることで生きるのが辛い人間にとっての薬のようなものだと思っている。

日常系作品の女子キャラクターたちには別ジャンルの作品に比べて棘のある発言をする子やシリアスな過去を抱えている子が少ない。物語自体もハードで刺激や厳しさのあるものはほぼなく(厳しい性格のキャラがいる場合はあるが)あったとしてもたまにおこる擦れ違いの喧嘩ぐらいなのでキャラの死や仲間割れを心配する必要もない。

女子キャラクターたちの可愛さや何気ない日常を過ごすシーンを見て癒しを貰う。それだけでも十分に役割を果たしていると思っている。

難民の存在が需要がある証拠ではないだろうか

また、日常系で女子キャラクターアニメ作品の放送が終わると難民と呼ばれる状態になってしまう人間が一定数存在している。この表現、実際の難民の皆様からすれば大変失礼な表現であるとは思うのだが、私は・・・

日常系ロスから難民になる人は心の底から日常系の作品を愛しているのではないだろうかとも思っている。

難民になるということは依存してしまうまでに日常系作品を愛しているということであり(そんな自分に酔っている場合も一定数いるとは思うが)、1期が終わっても2期3期が始まるまで待っていたり、代わりの作品が見つかるまでずっと探し求められるというのある意味では愛の形の一つではないだろうか?

私も日常系作品は好きなのだが、特に特定の作品の難民になった経験は一切ない。というのも私は女子キャラクターの研究と一次創作をメインに活動しているため、そこまで作品に執着する必要もない傾向にあること何かの信者になるということはしたくないということとまた新しい仲間(女子キャラ)を探しに行こうと思うことが多いからである。

とはいえ、日常系作品の難民になってしまうほど依存してしまう人がいる時点で十分に需要があると私は思っている。

女子キャラクター日常系作品についてのまとめ

日常系は似たような作品が多いという意見もあるがよく見れば作品ごとに女子キャラたちの目的やコンセプトなどは全然違っている。

・部活で自分の興味あるもしくはあることがきっかけで興味を持ったことに勤しむ。

・可愛さを前面に押し出した女子キャラたちのほんのささやかな日常を切り取ったもの

・自分の夢や目標に向かって邁進し続ける子たちの過ごす日々を視聴者の視点で追っていく

などよく見てみれば結構違いが見えてくるものであり奥が深い。違いが分かりやすいジャンルのアニメとはまた違う楽しみ方もできるということだ。中身がなさそうだからといって侮るなかれというものだ。

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コメント

  1. 二次元だけが癒し より:

    自分も日常系作品のキャラクターの方が好きですね。全部がそうじゃないですが、日常系作品の女の子の方が他ジャンルの作品(ライトノベルやギャルゲー等)のキャラクターより穏やかだったりする場合が多いです。自分はあんハピ難民ですね。花小泉杏ちゃんの前向きさと笑顔に救われていました。

    • zyoken より:

      二次元だけが癒し様 コメントありがとうございます。
      時にはアニメ監督にも中身がないと馬鹿にされがちではありますが、女子キャラ系作品の中で一番の癒しの効果を持っているのは日常系だと思っています。私は監督としては日常系にはなかなかいないタイプの子(強気系や思考がぶっとんでいる子など)もある程度欲しいので女子キャラが死なないバトル系までであれば手を出したりするのですが。あんハピ難民なのですね。私は色々と事情があって途中で見なくなってしまったのですが・・・難民になれるほど好きになれる日常系作品があるのもいいですね。