皆さまの中で田舎や限界集落と呼べるような地域に住んでいる方はいるだろうか?私は何度も言っているがとある市に吸収合併されたゆえに市街地から歩いていけないほど離れた場所に住む過疎地住まいである。
私はこのような場所に持ち家住居を構える場合相当な覚悟が必要になると考えている。という見かけだけは元気に見える私のような人間にとっては地獄である。今回は過疎地に住居を構えることがハイリスクだという理由を実際に過疎地に暮らす私が書いていこうと思う。
目次
私が田舎に家を構えることをリスクだと思う理由
地域になじめないと地獄に変貌する
どんな場所に生まれ育とうが、自分がその場所になじめさえすれば問題ない。それは都会であろうが田舎であろうが同じことである。
自分がなじめさえすればの話なのだが。
ではなじめなかった場合どうなるのか。そこに待っているのは排他主義人間が大好きないじめである。田舎というのは都会よりも遥かに閉鎖的な場所なので異常だと思う人間を見つけると執拗に攻撃する・・・というか噂話のネタにするのだ。
「あそこの所のお子さんは働いてないらしい」
「あそこの家のお子さんは不登校らしいから怖い」
などのように様々なことが話のネタにされている。プライバシーなんてあったものではない、。何かあれば私の住む場所よりもさらに過疎地の限界集落と呼ばれる場所では地域自体が家族のように団結する存在であるものとされている場所もあるらしいので一人が好きな人間はさらに生きづらくなるだろう。
こういう実態を知っていくたびに精神障害持ちにとって田舎っていうのは排他的な場所でないかを慎重に選ばないといけないと住むのが難しい場所なんだなと思い知らされる。そもそも田舎ではやれることが限られてくるので
車がないとまともに移動すらできない
そして厄介なのがこれ。田舎は基本的に車社会であり、買い物なども車で長距離移動して市街地の店や郊外のショッピングモールに行くのが普通のことになっている。そのため高校卒業後に車の運転免許を取ることは必須となっている。私の場合通うことになった教習所で当時のゴミクズ共と再会し通うのも嫌になるまでが1セットであった。
一応幼稚園児~小学生ぐらいの期間で自転車というそこそこの距離を移動できる乗り物が解禁されるが、乗るのがなかなか難しい上に電動でなければ自力で漕ぐ必要が出てくる。私は最終的に最寄り駅や近隣の都市の市街地中心部までは行けるようにはなったが。
高校生になればバイクの一番下のランクになる原付バイクが解禁されるが、県によってはこれで登校するのを禁止している場所もある。私が住む埼玉県は当時一番厳しく取らせない買わせない乗らせないなどの言葉が言われていたので私も自分で乗るまではバイクは危険な乗り物だという偏見すら持っていた(なお、2019年から解禁されたようだが)。こういうのもロクな移動手段のない過疎地への不満を募らせる原因だと思う。
電車なんて1時間に一本やってくればいい方で快速は住んでいる地域の駅を通過、最近はワンマン化で乗れる人数も限られてきている。朝は満員電車で大嫌いな人間に挟まれてストレスがMAX。こんな状況では気軽に市街地や県庁所在地へ行くことだって難しいし、行きたい場所があれば親に頼んで車で連れて行ってもらうしかない。私の場合そうでもなかったが親が快く引き受けてくれないタイプだと・・・想像しただけで恐ろしい。
学校でいじめにあっても安易に転校ができない
前述のような環境の場所だから小中学校なんて1つしかないのが当たり前であり、自分で行きたい公立学校を選ぶことすらできない。市立?ないよ。私立?そんな場所に進学できる金はないよ。というのが当たり前だったので逃げ場なんてない状態である。そもそも公立から私立に転校することってできるのだろうか。逆はよくあるけど。
私の場合身内はすでに住居をローンで購入してしまっている状態なので引っ越しはできないし、学校は1つしかない上に理解もないので転校も気軽にできるもんじゃない。私が中学生だった当時は越境通学という手段も選べなかったのでいじめ加害者やそれに便乗するゴミクズ共と中学卒業までは最低でも一緒という地獄。もっといろいろな手段を教えてくれる大人が近くにいれば違っただろうに。
だが、それ以前にいじめ被害者の方が転校しなければならないことの方がおかしいと私は考える。教師や教育委員会は事なかれ主義の天才だし、加害して異常な人間を追いやることができる人間の方が世渡り上手で社会の戦力になると判断しているのだろうな。生徒を加害者と離すことも大事なので完全否定はしないが。
どこに住もうが自由なのは当然。だけど子のことは考えてほしい
人が田舎に住もうが都会に住もうがそれは人の好き勝手で自由に選んでいいことである。しかし、そこで子供を育てるのであれば、住む場所はよく考えてほしい。大半の人間はどんな環境でも自分の力生きて行けるようなで強い子を育てればいいと思うかもしれない。
だが、人間の子は必ず健常な五体満足で生まれてくる生き物ではない。障害を持って生まれることもあるし、私のように生きるのに根本的に向いていない気質の子は肩身の狭い思いをしたりいじめにあう可能性が非常に高いのである。苦労したところで私みたいな不気味な人間や引きこもってしまう場合だってある。
そんな四面楚歌な状況で身内にまで厳しくされたりいじめられる方が悪いお前が弱いのが悪いなんて言われてしまえば貴重な若い世代が見切りをつけてさっさと出て行ってしまい、一生その地域に恨みを持つようになってしまうことだってある。私は金が稼げない情けない人間なので今でも仕方なしに地元に住んでいるが地域でやっているイベントごとには一切顔を出さないし、勤務地も地元から遠く離れた遠方である。
都会であれば公共施設や支援施設、ショッピングモールなど居場所がない人間でも行ける逃げ場がそこそこある。何もないことが原因で学校のすべての人間が敵だった私には逃げ場なんてなかったし、学校は勉強しに行く場所じゃなくて人間の屑が弱い立場の人間を作り出し、誰かを叩いてストレスを解消し自分たちだけ助かるために行くような場所だと未だに考えている。
なので私は田舎に永遠の住まいである持ち家を構えるのはハイリスクなこと、田舎に持ち家を構えるときは安易に決めずに色々と降りかかるであろうリスクについて考えてほしいと思うのである。とはいえ、自分たちは大丈夫という根拠のない自信を持ち合わせて安易に考える人間のも多いし難しいか。