信用できる人間は自分の物差しで決めていい

Pocket

皆様には信用できる人間ってどれぐらいいるのだろうか?逆に信用できない人間はどれぐらいいるだろうか?私は信用できる人間はごくわずかで信用できない人間は世界に溢れていると言った状態だ。私のように人間から好き勝手言われたり、いじめにあったりした場合は信用できない人間で溢れ返っていることが多いだろう。

そんな私は信用できる人間は自分の感覚や尺度で決めてしまっていいと考えている。この人信用できると思えば信用すればいいし、逆に少しでも信用できないと感じれば信じなくたっていい。今回はそのことについて書いていく。

マイナスの言葉をかけられれば人間なんか信用できなくもなるよ

私は信用できる人間が多くなるか少なくなるかは

自分が歩んできた過程でプラスの言葉を多くかけられるかマイナスの言葉を多くかけられるかで大きく変わると思っている。

プラスの言葉で思いつくのは頼りになるとか、かっこいいとかそう言った類のものだろうし、そう言われれば嬉しくもなるし自信もつく。逆にマイナスの言葉は大量に太いだのキモいだの頼りないだの言われるだけで嫌になる言葉が多い。そして自分はダメな奴だと責めるようになり自身もなくなっていく。

私は当然ながら性別が足枷になる特性を大量に背負って生まれてきたので身内以外にはマイナスの言葉ばかりをかけられた。そりゃあ人間の特性を見れば頼りない男なんて一切魅力はないだろうし、カッコ悪いものにはそう言いたくなるのが人間の性なのでどうしようもないだろう。この辺りは自己暗示や自己肯定でなんとかなるだろ言われることも多いが、自分自身が心から自信を持てるようにならない限りは難しい。

人間から評価されるのが面倒になってしまった私

そんな感じで人間に合わせても責められたり攻撃をされるということを知った結果、人間合わせて生きるということに無意味さを感じるようになってしまいそれ以降は

人間の行動や反応に対して敏感になり、信用できるかできないかを自分の考えを言ったときの反応で判断して自分の物差しで決めるようになってしまった。それに加えて人間嫌いも徐々に悪化して行っている。

だが、これはもうどうしようもないことであると私の中で完結している。人間というのは考えが違って当然だからよっぽどのことがなければ相互理解なんて幻想でしかないし、自分に見せている側面だけを持っているわけじゃない。自分にとっては信用できない人間であったとしても別の誰かにとっては信用できる人間であるということだって考えられるのだ。自分の主張が通らないと店の店員に暴言で不満をぶつける人間が家では頼れる親であったりするように(だからと言って赤の他人であっても暴言をぶつけることは最低だと私は考えるが)。

それに人間界の評価というものは案外不安定なもの。昔は太めな女性が健康的だと扱われてモテていたように今後逆のものが評価されることもあるかもしれない。

だから私はそんな不安定な評価に振り回されるぐらいなら人間への信用を自分の物差しで測ることにすると決めたのである。それで今は結局信用できる人間に対して信用できない人間が1000倍ぐらいの人数になっている。だけど別にいい。同族であるはずの人間からマイナスの言葉を大量に投げつけられて嫌われてきた人間嫌いの私が今更信用できない人間が増えようが増えまいが関係ないさ。今後、人間という生き物がいい方向に変わってくれれば信用できる人間も増えるかもしれない。まあそんなのは難しいか。

スポンサーリンク
スポンサーリンク
スポンサーリンク

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする

スポンサーリンク
スポンサーリンク

コメント

  1. 一力 より:

    ハンドルネーム変えたのでわかりにくいですがよろしくお願いします一力です

    私も記事に書いてあると同じ、自分の物差しで決めてます。
    ただ私の場合は、その人に信用しよう、友人になろうと思っていても、私自身が、よくない行動を起こしてしまってみたいで、
    例をあげるなら
    ・約束を破ったことにたいして、私は破らないように言われたことを、やるよう(約束を守る)にしてやったのに、その人たちにとっては「破ったなこの野郎裏切り者」と言われたことがありまして
    このように、自分の思ったことと他人の思ったことと違うタイプと

    ・裏切り行為に対しては、みんなと共に終わらせる合格させること(例えで言うと学校でよくある再テスト)があったのですが、
    私がクリアしたら皆から何故か責められると言うタイプと

    ・その他にある友人から資格勉強をやらないか、どこかに出かけないか?と誘われた時に起きた出来事ですが、乗り気ない時に断ると色々言われたりして、断れずに、行って色々あって挫折すると(挫折したときの断り方が問題あったのかもしれないですが)
    呆れられることがありました。
    今のように誘いには断れず、後々に自分が壊れて、相手を困らせるタイプ

    私はこの三つのタイプのように
    相手を困らせてしまっているので、そこが悩みです。
    私は困らせてるつもりはないし、信用できないような行動はしてないのですが、
    自覚がないのかなて考えてしまったことありました。

    改めて人間関係は難しいと感じました。

    • zyoken より:

      一力様 コメントありがとうございます。
      前者はおそらく相手の行動に対して自分の有利になるように意見を変える人間であるか、都合の良い方向に意見を曲げる人間のように思えます。
      中者は同調圧力の強制のように感じます。補習で一力様だけが合格でそれ以外が不合格というのであれば、その人間たちが合格の水準に達することができなかったのが悪いのであって、裏切りとかではないはずです。私も高校時代生物のテストや情報処理検定の試験で似たような経験をしたことがありますので、こういうタイプの人間は非常に厄介だと感じます。
      後者は一力様なら何でも言うことを聞いてくれるという前提で動いている可能性があります。物事をやりたいかやりたくないかは自分の自由で決めていいことですので、断るという選択肢もあっていいはずです。このタイプだけは誘いを断る勇気というのも必要になってくるかと思います。
      あくまですべて私から見た考えなのですいません。人間というのは同じ行動でも人によってとらえ方は違うので難しいですよね。だからこそ自分で信用できるかできないかを決めてしまってもいいのではないかと私は考えています。