私の嫌いな言葉 その2

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今回は久しぶりに私の嫌いな言葉について書いていこうと思う。今回取り扱う言葉は

死ね、無駄、邪魔の3つとする。

これらの言葉はいじめをする時や相手を責める時にもよく使用されるものだと思う。また、自分自身が何かにイラついているとついつい飛び出してしまう言葉でもあるのではないだろうか?そのあたりを考えて読んでみてほしい。

死ねについて思うこと

死ね。見るだけ、聞くだけでも縁起の悪さが見えるこの言葉は、うかつに人に行ってはいけない言葉の一つであると認識している人も多いはずだ。しかし、現代の子供の中には友人関係にある相手に対しても挨拶代わりに死ねというような奴が増えているそうだ。悲しいものである。そんな死ねの意味を改めて定義してみることにする。なお、死ねという言葉は死ぬの命令形なので今回は死ぬの方の意味を取り扱う。

し‐ぬ
死ぬ
《五自》
  1. 生物としての活動がとまる。
  2. ものの働き・価値がなくなる。
    出典:google百科

この言葉を乱用する人間とはできれば関わり合いになりたくないものである。というのも2の意味で考えれば、死ねという言葉はお前には価値がないと言っている意味にもとらえることができる。つまりは相手の存在自体を否定しているのと何も変わりがない言葉だと言えるからである。

死ねという言葉を日常的に相手に対して使っている方は悪ふざけだろうが、相手が不快だからだろうがすぐに使用を辞めろ。確証はないけれど、軽い気持ちでも真剣にそう思っていても死ねっていう奴は早死にする。私はそう思うのである。

無駄について思うこと

人によって興味のあることないことはそれぞれ違うが、ここで改めて無駄という言葉について調べてみることにする。それによると意味は以下のような物であるそうだ。

むだ
無駄・徒】
  1. 《名・ダナ》

    役に立たない(余計な)こと。効果・効用がないこと。

     「出費の―を省く」

    出典:google百科

無駄の意味はこの例文で使われているように出費の無駄を省くなどと言う行為は効率性や使用する金銭を安く抑えるという意味で使われているので問題はないと思う。問題なのは人が特に迷惑をかけていないのに好きでやっている行為に対して無駄と決めつける場合での無駄という言葉である。

私が思うに人間という生き物は、たまたま自分の生きる時代に自分の持つ能力が生かせるに状態に生まれたという奇跡を無視している奴も多いように思う。特技は合っても見つけられない、生かせない人はたくさんおりそれによって上手く生きられず苦しんでいる人も多い。

そういう人にはこの記事この記事を読んでもらいたいと思う。誰か貴方に対してがその行為は無駄だ!と言ってもそれが自分が心からやりたいと思うことで特に他人の迷惑にならないことなのなら精一杯やったほうがいい。

やらずに後悔するよりやって後悔する方がいいと思うし、無駄を切り捨ててばかりいるとそのうち非難ばかりする人間と同じ心が空っぽの思考停止人間になってしまうことだってあるのだから。楽しくてやっていることに無駄なことなどない!私はそう思うのである。

邪魔について思うこと

邪魔。これが嫌いなのは私自身がよく言われていたということもある。というのも現代の人間は狭い場所で多人数の活動を強いられがちである。そんな中で体系が太く行動の遅い私のような人間は場所を取る、すれ違えないなどの理由で邪魔に思えてしまうのだろう・・・

だが、最近は本当にそういう理由で邪魔だと言ってもいいのだろうかと考える。というのも私がかつて行ったとある職場では、階段や通路に狭い場所が多く、2人以上が通行できるほどのスペースがなく、1人しか通行するのが難しい場所が多い所だった。その職場の皆さんは誰一人邪魔なんて言葉を口にせず、譲り合って道を通ったり、階段を上ったりしていたのである。私はそんな皆さんの姿を見て、驚きを隠せなかった。

前置きが長くなってしまったがここで邪魔の意味を定義してみようと思う。

じゃま
邪魔
  1. 《名ノナ・ス他》

    妨げること。妨げになるもの。

     「仕事を電話で―される」

  2. 仏教

    《名》

    修行の妨げをする悪魔。
    出典:google百科

元々は2の意味で使われていたらしいが、仏教の信者でない人は1の意味で使う人が多いのだろう。

現代の人間は学校の教室やオフィスなど、狭い場所での活動を強いられがちである。そしてそれに加え、その狭い場所に10~50人ほどの人間が同時に活動しているわけであるのだから、窮屈さも感じるのだろう。

ただ、この言葉は完全に使用してはいけないということはないようにも思う。邪魔という言葉が問題なく通る条件としては相手が明らかな悪意をもって自分の行動を妨害してくるという場合である。例としては

・自分が通ろうとした所に相手がわざと立ちふさがって通行を妨害する。

・自分が集中してやっていることに対してちょっかいを出して妨害してくる。

などのようなことをされた場合には使っても問題ないだろう。

最後に

今回は明らかにかけられただけでも傷ついてしまいそうな言葉を選んだので、読んで不快になってしまった人はすいません。だが、自分にとっては何とも思わない言葉や考えで傷つく人がいるのもまた事実。死ね、邪魔、無駄は特に相手を傷つける傾向が強いと思っている。この3つの言葉を使わない様心がけるには以下の意識が必要不可欠だろう。

どんな理由があろうと死ねという言葉を日ごろから軽々しく口にしない。

人を邪魔だと思ったら、邪魔という言葉を使わずに通る場所なのでどいてほしい事を伝える、もしくは相手を先に通す等して譲り合う。相手に通行を妨害されてない限りは邪魔だと無暗に言わない。

無駄かどうかの判断はやっている本人が決めること。自分にとっては無駄でも相手にとっては有益な可能性だってある。人がやってることをあざ笑わない。

少しレベルが高いかもしれないが、これらの事を心がけるだけで環境の良さが高まるようにも思う。この3つの言葉が常日頃から飛び交っている言葉の暴力の戦場みたいな場所なんて私は耐えられない。相手に暴言を吐いて傷つけてまで自分が得をする環境よりも相手も自分も気持ちよく過ごせる環境を作る方が無駄もないし、気持ちよく過ごせるようになると私は思うのである。

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コメント

  1. 二次元だけが癒し より:

    これらの言葉を使う輩が大勢いますよね
    「死ね」なんて言葉軽々しく使うな相手の気持ちを考えろと言いたくなります。
    「無駄」とは言いますが、そんなものは勝手に人間が決めたものではないのかと思います。どう足掻いても死ぬのだからせめて迷惑を及ぼさない限りはやりたい事をやって満足して死ぬのが正しいとは思うのですがこの国では難しいですね。

    • ジョニー小林 より:

      二次元だけが癒し様 コメントありがとうございます。
      私はこのような言葉を安易に軽く使う人間は信用しないようにしています。死ねなんて言う人間は論外ですし、無駄と邪魔を駆使する奴らは本当に必要な教育を受けてきたんだろうかと疑いたくなります。
      無駄に関しては特に嫌いな言葉で、その理由としては女子キャラクター作品でもアニメ化しても話題にならない、有名になれなかった作品は多々ありますが私は有名な作品よりもそこまで有名にならなかった作品の方に魅力的な女子キャラが多いように感じるタイプなので(そう思った結果始めたのが1クールに1回やっている今期の推し達の記事だったりします)その作品に対して無駄な作品とか言う意見を見てしまうと私ではどうしようもないことに対して虚しさを感じてしまうのです。この世界に意味がないなんてことはないし、意味がなく生まれたり、アニメにならない作品などないと私は思っているので悪い意味で無駄という言葉を使う人間とは関係を築こうとは思えなくなりますね。