なぜ最近はストレスフリーの作品が好まれるのか

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最近はストレスフリーのアニメ作品の方が好まれるという話をよく聞く。社会的に負け組だった主人公が異世界に転生して最強の力を手に入れて無双しまくり女子キャラにモテまくる異世界系(私は以前も言ったがそう言うのを見ると虚しくなるので自分の中ではストレスフリーに含まれない)、女子キャラの可愛さを描く日常系(最近は減っているが)、などがストレスフリーの作品だろうか。

先に結論を言ってしまえば、こうなってしまったのも現代社会が生きづらく窮屈だからだろう。先が見えない不安、毎日頑張っても報われない日々、金銭面でいつも不安にさらされる、ネットを見れば常に誰かが叩かれているのに加え自分も覚えのない意見に叩かれる・・・そんな現状なら、誰だってアニメの世界を見る時は平和な気持ちを得たいものだろう。

ギスギスした展開を見ればストレスが蓄積されるのは当然のこと

ストレスフリーの作品が好まれる背景で現代社会の生きづらさ以外に考えられる理由としては

重いストーリーや展開を見ていると見ている側がその先の展開に不安を感じたり、ストレスが蓄積されてしまうからではないだろうかと考えている。

私だってギスギスして仲たがいしている女子キャラたちを見るぐらいならお互いに違う感性を持ちながらも、良く楽しく活動をしている姿を見る方がいいに決まってる。女子キャラ人間以上に個性的な生き物である故にもちろん考え方は違っていいのだが、私の場合仲間割れされたらどっちを支持すればいいのかを一々考え始めてしまうし(そして大半は推しが所属した方を支持する結論になる)、これが何回も繰り返されると気づいたら疲労していたりすることが多いので結構大変なのである。こう思う私にストレス体制無いなと思ってくれても構わない。

そんな耐性は中学時代のいじめで破壊されてしまったたものですから。

それに楽しく過ごしている女子キャラたちは私に癒しや創作への活力などプラスの力をくれる。逆に言い争いやギスギスした女子キャラたちは疲労やストレスなどマイナスな力を投げつけてくるという大きな差もある。

しっかりとしたストーリーやドラマティックな物語を重視するならそれぐらいの重さは受け止めてやるさ問題ないぜと思える余裕や強い気持ちが重要なのだろう。しかしマイナスな感情を投げつけられると生きる気持ちが衰退していく私のような人間もいるわけで・・・

私から言わせれば、ギスギスはドラマを見ているのでそっちで十分なのである。

その一方でストレスフリーの作品は鬱展開やいい争いになる展開(何かあったとしても痴話喧嘩程度で済む)を心配せずに気楽に見ることができる。とはいえ、好みの幅は広いので難しいものである。

自分が何を大切しているかで決めればいい

だが、それでも私は見たい作品は世間の評価などに左右されることなく

作品を視聴する上で自分が何を大切にしているかで見る作品を選ぶのが一番大切なことである。

ドラマティックな引き込まれるようなストーリーが好きだというのならそれでいいし、ストレスを溜めずに好きな作品を見るのがいいならそれも一つの道だ。

自分が本当に好きなら何を言われてもいいじゃないのだろうか。私だってここで書いた通り最優先は推しにしたいと思える女子キャラクターがいるかどうかで選んでいるが、それでもいいんだと思っている。それが私の作品に求める一番大切なことなのだから。

世間の評判よりも自分の意志を信じよう。

とはいえ、一寸先は闇な現代社会では不安な気持ちや不快感を感じないストレスフリーの作品が流行るのも無理もないなと納得してしまうところである。私も今の段階では女子キャラ>物語で精神的に余裕もないのでそうなってしまう。しかし、推しにしたい女子キャラがいてもその作品の物語がガバガバすぎたり、制作陣から女子キャラたちへの愛が感じられないと、私のような推しキャラ重視の場合でも呆れてしまうこともあるので・・・難しいものである。

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