悪いことの後には良いことがあるを信じられないわけ

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皆様は「嫌なことがあった後には良いことがある。」と言う言葉を生きていて一度は耳にしたことがあるだろう。聞いたことがないという人の方が珍しいのではないだろうか。

しかし、私はこの言葉はあまり信じていない。今日はなぜ私がそのように考えているのかを書いていくことにする。

人生良いことばかりの人間もいれば悪いことばかりも人間もいる

私はここでも何度も書いている通り大学時代以外はほぼいじりもしくはいじめのターゲットの立場にいた人間である。ストレス解消やうっぷん晴らしのために他の人間を攻撃する人間共からの理不尽な攻撃に耐え続け、面倒な役職を押し付けられることもあるのだからこれは悪いことであろう。

実際、私がここまで生きてこられたのは不登校にならずいじめに耐えきればこの後の人生は楽になると考えていて、元々はこの言葉を心のどこかで信じていたからなのかもしれない。しかし、私に待っていたのはその逆である先の見えない闇のような人生だった。

結局は大学の最後に研究で苦しみ、就労活動には意欲的になれるはずもなく、NNTで卒業した結果、ニート生活を数年送ることになった(この辺のことはここなどに書いてある)。その後は就労支援所に行ったが優秀な部類として扱われつらい思いをしながら上の役職をこなし、何とか施設を出て就労するも結局仕事は続かなかった。

私自身、こんなに辛いことばかりなら引きこもりたいという思いが今でも強くあるが、厳しい父親がいるのでそれは許されないし、私が引きこもりになれば引きこもり叩きに今以上に過敏になるのは目に見えている。

若い頃の苦労は買ってでもしろとかいう言葉はあるが、私はこの言葉大嫌いである。実際、苦労を買ったところで楽になるはずもなくどこ進もうとしても新しい苦労がのしかかってくる。それでしなくてもいい苦労で消耗してしまっていれば、いずれは精神が壊れる。

その結果、いじめをやった人間や苦労を回避した人間の方が精神的に健康的に生きていることの方が多い。いじめは許される犯罪なのでどうしようもないのだろうけど。なんなんだろうこれは・・・え、そもそもいじめに耐えることは苦労に入らないって?ああそうですか。

このように悪いことがいじめを受け始めたときから継続して発生し、精神を壊してしまったこともあって、ニート生活をしていた20代中盤のころに私は悪いことの後にいいことがあるなんて嘘っぱちじゃないか!と感じてしまい、それ以降はこの言葉を信じていない。

こういう時、アフリカの子供を持ち出したり、お前よりもっと苦しんでいる奴がいるんだとか言って説教をしてくる奴はいるが・・・私だって仕事があって最低限の収入を貰えるだけの身体がある身ではあるけど、いじめで受けたダメージが大きすぎて幸せを感じる前に死にたい気持ちがすぐに沸いてくるんだからな?そういう綺麗ごとみたいなのはもうたくさんなんですよねえ。

人間は自分の経験したことしかわからない

私はこれらの経験から

人間は自分が身をもって体感・経験したことしかわからないからなのではないかと思っている。だから、いじめられた経験がない人間がいじめから立ち直れない人間に説教をしたりするのだろう。

同じように、嫌なことがあった後いいことがあった人はこの言葉を信じられるのだろう。しかし私はそうではなかった。嫌なことがあった後には落ち込んだ状態が続いて、また嫌なことが起こるということの繰り返しだった。だから嫌なことがあった後にはまた嫌なことがあるかもしれないと考えて生きている。生きづらいがこれはどうしようもない。

私にとって唯一のいいことだった毎クールの女子キャラたちとの出会いもJK中心の女子キャラアニメが異世界系や男中心の作品、ドラマチックなストーリー重視の作品に入れ替わってしまい、ギャルゲー原作アニメは絶滅状態で見る数も減って・・・そのいいことが薄れたせいでここ最近は人生の詰みを感じてしまうことも多い・・・これからは女子キャラも自分で競って決めて作る時代なのかもしれないな。

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