100社受ければ1箇所ぐらい受かるという考えについて

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私がまだ大学に在籍していて新卒で一般枠での会社の面接を受けていた頃よく

会社はたくさん(目安として100社とよく言われていた)受けていればそのうちの一社は受かるという言葉を聞かされていた。

実際、大学にいた当時の私周辺では何社も受けること自体が当たり前のようになっており200社以上受けた人間がいたし、200社までとは行かなくても50社は当たり前のように下手な鉄砲でも数撃てば当たる方式で大量の求人を受けている人間も多くいた。大学で私が所属していた研究室のメンバーの中で一番受けていなかったのは受けた数が25社程度だった私であろう。

そんな私はなぜ選ばず無鉄砲に受けるのかをずっと疑問に思っていた。とはいえ内定がないとNNT(無い内定)と馬鹿にされる風潮があるし、受ける数が少なければその程度で・・・というような態度をされるし、無職は普通の概念にしがみつこうとする人間には軽蔑されるのでどうしようもないのも事実だ。

なので今回は100社受ければ1社は受かるや落ちたらすぐに切り替えて次へ行けという言葉に対して私が思うことを書こうと思う。

私は10社受けるだけでも心に大きな負担があった

当然ながら一般の面接というのは何よりも内定をもらうことを最優先で動かなければならないため自分の本心を話すことはできない。なので嫌々経営理念を読んで共感した~だの答えたところで受かる気はしないだろうと思い、他の人間と同じやり方ではなくしたい仕事を前面に押し出したりして面接をしたが、その度に希望の場所への配属は約束できないと何度も言われ受け答えに詰まって落ちると言うようなことを繰り返してしまった。

それ以前に私は問題や動作を素早く処理すると言うことがとても不得意であったためSPIや正直に答えた性格適性検査で弾かれて面接までたどり着けることの方が少なかった。訓練はしたがどうしても時間をかけて解いてしまうのは直ることはなかった。正直面接官の方や人事の方から見れば私は一緒に仕事したくないと思える人間であっただろうと思う。

最近では企業に発達障害の人間を面接で落とすマニュアルがあるとのことなので演じられる人でないと突破すること自体が困難だろう。

また、私のいた大学では卒業研究が卒業の条件に必修であったのだがその研究でも良い成果が出せず発表できないレベルの物しか仕上がらずに、卒業できないと言われているほどの人間であった。そのような状況で切り替えろだの落ちた会社は縁がなかっただの言われてもそうなのかなんて思えるはずもなかった。もっと辛い(たくさん受けて落ちている)人間もいるので弱音なんか吐いたら、お前はまだ少ないだろなどと言われるのが嫌だったのもあってじっと黙っているしかなかった。

私は研究を死にもの狂いでやり、何とか発表できるレベルものができて研究が終わった末期ごろ、すがるような思いで待遇が良いとは言えないが面接のみで合否を決めるやり方をしている製造工場を受けた。そこで聞かれた中で唯一覚えている質問が「貴方はこれまで生きていて運がよかったと思えますか?」というものだった。

私はこれまでの経験をしっかり吟味したうえで「よくなかったと思う」と回答した。母親や祖父母は素晴らしい人たちだが、それ以外に恵まれることがなかったし兄弟とは仲が悪かった。中学~高校までは虐げられて過ごしていたのだから総合的に考えるとどうしても・・・と思ったので自分の思うように正直に答えたのである。無論この質問だけが悪かったとは言えないとは思うのだが、後日不採用の手紙が届いた。

数年後、この質問はパナソニックの創業者の松下氏が考えたものだと分かった。運がよかったと言えず、周りの人間に感謝もできない人間である私が全面的に悪いのだが私はもうパナソニックの製品を買う気が無くなった。

人に自分の基準を押し付けてはいけない

私がこれらの事から学んだのは人間にはそれぞれ基準というものがあり100社受けても大丈夫な人間もいれば10社受けるて落ちるだけでも心が締め付けられるような思いになってしまう人もいるのだからこそ私は

自分の基準を相手に押し付けたりしてはいけないと思っている。

私は前述のとおり周りに200社近く受けてやっと1社合格したという人間がいたので8分の1程度である25社ごときで辛いなんて言えなかった。というかそんなことを言ってしまったら最後周囲から袋叩きにされていただろうし、内定なしとなってしまった人間が集まるようなネット掲示板(不安だった当時よく行っていた)や藁にすがるような思いで通っていた新卒向けハローワークでもでも自分は(別の奴は)100以上の会社受けたのにお前は25社ごときで・・・というような言葉を言っている人間がやけに多いように見えた。

しかし、本当にたくさんの会社を受けた人間が一番偉いと言う風潮でいいのだろうか?会社の受けた数やもらった内定の数で人を判断していいのだろうか?死のうと考えたことのある私はこう言いたい。

自分がそれでどうにかなったからって誰でも同じことができるだなんて思うな。動けや攻めろでなんとかなっているのなら最初から悩んでいない。基準なんて言う物は人それぞれ違うもので違う物差しで比べたり測ろうとすること自体がおかしいのだ。心無い人間の言葉に惑わされて自分を責める必要なんてないのである。

私は数撃てば当たるで無鉄砲に突っ込む人間よりも自分のやりたい、できることが分かっている、興味がある方向に向かっていく人間の方が魅力的に思える。

それに死のうとしたことがある私は今でもろくでなしではあるけれど生きている。数だけが全てじゃないから思いつめる必要もないのである。他人と比べるよりも10社であっても必死で受けた自分を褒めよう。この世に本当に正しいことなんてないのだから。

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