私は総合学習の時間が嫌いだった

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皆様は小学校や中学校だった頃、総合学習の時間という授業を受けたことがあるだろうか?よく午後の2時間分を使ってテーマに沿って調べ物をして発表をしたりするあの科目だ。

だが、興味のないことには全く意欲の湧かない私はこの授業でかなり苦しむことになった。なので今日は私が総合学習の時間が嫌いだったことについて書いていこうと思う。

当時は調べることに使える道具が少なすぎた

私がこの授業を受けていた当時、インターネットはまだ発展途上でそう簡単に扱えるものではなかった。代わりに学校にある微々たる本や資料を使って調べることしかできなかった。調べていることによって異なるが、調べていくうちに微々たる資料や本では調べたいことが書いてない場合があるという壁にぶち当たる。

となると次は町の図書館に行くことになるのだが、私の住む場所は限界集落みたいなものだ。大した本なんて置いていない小ぢんまりした図書館しかない(今は改築して大きくなったがこれも私が大人になった後なので時すでに遅し)。結局資料が見つからずに大きな町の図書館に親に連れて行ってもらってそこで借りたという事もあった。

それに総合学習の時間というのはグループ活動の時間でもある。1人で何かを調べるのではなくて、複数人でやることがほとんどだ。上記で言ったような気質を持っている私はその辺りでも躓いた。例を挙げると

・グループの人間とうまく関わることができずちゃんとやれよと何度も言われた。

・私自身が悪いのだがリーダーや取りまとめをやるのが不得意なので、調べ物を中心になって進行してくれる人がいないと必ず詰んでいた。

・上記の事で調べ物が上手くできずに教師に怒られたことが何度もあった。

等があり、班のメンバー(特に女性)と確執ができることも多かった。上手に情報収集できずに調べられない、それによって班のメンバーとの関係が悪くなっていくという過程を何度も繰り返したので、高校に言ってこの授業がないことを知った時は嬉しかったのを覚えている(高校では課題研究に苦しめられることになったが)。

ネットが今と同じぐらい発達していれば簡単に調べられたのではないかと思うこともあるが、これはもう私が生まれた場所もしくは時代を恨むしかない。上手く調べられず、グループのメンバーとはうまくいかず、教師に怒られる。そんなことを繰り返しているうちに私はこの総合学習の時間が来ることが憂鬱になっていたのだった。

唯一学ぶことができたのは主体性を持つことの大切さ

この科目が嫌いだった私が唯一学ぶことができたのは

自分主体で行動することの大切さである。

自分で調べて何かを発表するなどということは自分で何を調べるかなどの目的を決める必要がある。自分が決められたテーマの中で何を調べたいのか明確にするには自分がどのように調べていきたいかという考えを持つことが必要なのではないかと思うのである。

この科目は資料から調べてそれを発信する力があるか見る目的があるのだろうけど、私は小学3年生ぐらいになって急に○○について調べて発表しろ~みたいなことを言われても難しく捉えてしまったような思い出がある。私が初めて調べるよう言われたことは地元に関わりのある偉人だったが、その偉人のジャンルの中でほとんど資料が残っていない内容を選択してしまい、それが上記の資料探しの大変さやメンバーとの連携の悪さも相まって、嫌な思い出として残っているのだろう。

だが、私は総合の時間の全てが苦痛だったわけではない。中には班を組まずに1人で旅行の企画を立てるという回もありそれだけは楽しかった。実際に旅行に行くわけではないが、どこの観光地を回ってどこに泊まって・・・などの計画を立てることで実際に旅行に行っている気分になれた。興味のないことはスルーするが、興味のあることについてはしっかりやるというどうしようもない人間なのだろう私は。

実際、この旅行の企画を立てるという内容が、私が今現在バイクで行ける範囲で遠出してウォーキングするという今休日にやっていることに繋がっているようにも思うのである。行ったことのない場所に行くのは新鮮で楽しいものである。

私は嫌な思い出が多すぎて今でも嫌いだが、総合の時間で身に着けられる物事を調べる能力はいずれ何かしら自分主体で動く必要が出てきたときに役に立つこともあると思う。そう考えると総合的な不必要ではないと思うのである。

だが、最近はスマホさえあれば知りたいことを検索欄に入力してネットのページにアクセスして簡単に調べられてしまうので、本や資料などを探さなくてもいいのかもしれない。便利な時代になったもんだ。

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コメント

  1. 猫虎丸 より:

    初めまして、学校、職場などでいやがらせを受け、人、特に男に対して恐怖をもっている猫虎丸といいます。今までの記事読んで共感できる内容があり、感激しました。特にいじめや学校に関する考えには、共感しました。自分もいい思い出ないので、同じ人もいるのかて感じました。
    今回の記事について自分も同感です。特にこの中で共感したのは
    「当時は調べることに使える道具が少なすぎた」な項目で↓
    まさに私が苦しんだのは、これでして、調べるにしても当時はネットは学校で使うとことは出来なかったですし、図書室で調べることが出来ませんでした。
    私もグループや一人での発表会も忘れ物をしたり、テーマと関係ないもの調べてたりしてメンバーに怒られたことも多くあり、苦しみました。
    もし、今の時代で小学生だったら便利なスマホなどのインターネットを使って検索して調べること出来ますし、メンバーみんなから責められることはなかったんじゃないかと考えてしまう時が多くありました。
    うまくまとめることが出来ず、すみません。

    • zyoken より:

      猫虎丸様 コメントありがとうございます。
      ネットだけでなく図書室までもが完全に使用不可ということは総合学習を経験した時代が私よりも更に前なのですかね?ネットはおろか図書室まで使うなと言われたらもうどうすればいいか分かりませんよね。もはや私たちの時代のあの科目は限られたものを使用して立派な発表結果を作り上げなければならないという拷問なのかもしれませんね。私の場合故郷のゆかりの人物のはずなのに資料が大きい町の図書館にしかないとかいう状況でしたから。
      今の総合学習がどのようなものになっているのかは分かりませんが、だいぶ楽にはなっているでしょうね・・・スマホでネット検索を書ければ知りたいことはなんでも出てきますからね。