今回は私が人間を嫌いになった経緯を話していこうかと思う。このサイトで私もよく人間は嫌いだと言っているがすべての人間が嫌いというわけではない。一部の身内や信頼できる友人や支援者の方の事は信用しているし、嫌いという感情を持ったことはない。そんな私も昔はおかしい部分がありながらも人間たちと普通に遊んでいた人間だったような記憶がある。
小学生のころから潜在的にそうだったんじゃないか
私は嫌なものは嫌と言っていた反面、人に意見を言えない人間であった。というのも別の意見を言っても反論を食らって言い返せなくなることも多く、強い者に従え的な風潮もあったからだ(それでも引き下がらないとお前一人でやればと言われる。嫌なものは嫌と言っても受け入れられずやれと言われていた。それが学校という魔窟のやり方だからどうしようもないが)。だから人間って嫌だなーという気持ちはいじめを受ける以前から持っていたようにも思う。
特に女性は嫌だった。小学生のころの女性は子供思考がちな男よりもありとあらゆる意味で強いので男で行動が遅い上に面も良くない私は命令されたり強く当たられることも多かった。私は別に悪ガキみたいな行動をした覚えが全くないと言うのに。たぶんおそらく動きが遅いのが原因だと思うのだが本当のことはわからない・・・
それに加え協調性もないので、誰かと何かをやるのも不得意だったこともあり総合の学習の時間は地獄でしかなかった。当時はインターネットも普及し始めたばかりの頃だったので、調べ物も上手くできなかったので教師からそんなんなら一人でやれと怒られることもあった。
元々の気質もあるのだろうがなので仕方なく嫌なものを嫌と言わない温和な私を演じて暮らすしかなかった。それでも行動の遅さや運動神経の無さは隠すことができなかったので当たられることも多かった。教員たちからはおおむね良い評価を貰い、同級生からは優しい(という名の偽りの評価)を貰ってはいたが・・・色々なことを知らなかった当時の私は褒められて悪い気はしないからいいか。みたいに考えて暮らした。そのせいでいじりを受けることは多くてそれが辛かったが。
今思えばこれってまんま思考停止人間の考え方だよなぁと思ったのは成人してからの事だった。それと同時に私は潜在的に人間と関わることが嫌いだったのではないだろうかとも思っている。
いじめ勃発
それに加え、中学になると男共からいじめを受けるようになった。いじめに関する詳しい詳細は以下のリンクからどうぞ。
いじめを受けることで発散できない鬱憤が積み重なり、それが私の内部を攻撃的に変えていった。だが、それでも誰かに手を挙げることはしなかった。当時から私は「手を出したら加害者と同レベルにまでなり下がる」という言葉に縛りつけられていたので、どれだけ惨めな思いをしようと反撃はしなかった。
その後大学で信用できる人間とは出会ったが改善された・・・と思ったら4回生の時には友人と会うこともなくなり、研究が上手くいかず過食を繰り返し体が不健康になりそれに加えてニートにもなった。全部私が悪いのだが。
その後も派遣、施設、障害枠の職場、無職、今の職場の順で渡り歩いたが、人間に浴びせられたきつい言葉たちは脳内から消えず今でも苦しむ羽目になっている。
人間は制御できない生き物
これらの経験から私が学んだのは
人間は誰の力をもってしても制御できない生き物であるということだった。
悪いことをしていなくても嫌われる人間からは嫌われるし、虐めてくる人間はその行為が快感になるのだから止めることはない。それだったらもう分かり合えなくていいやという気持ちも出てくる。私が何もしなくてもSNSや掲示板では今日も特定の相手への叩きや対立する物同士の争いが絶えないし、今のイナズマイレブン界隈でも争いばかりで見ていると余計に人間が嫌になってくる。
とはいえ、私には運よく好きなもの・・・女子キャラがある。それをやり込んだりなんとか強みにしたり生かせないか研究できるだけでもいいのかもしれない。中には迫害やいじめをされることで物事に対する興味を失ってしまう人もいるのだから。
私が人間嫌いになってしまったのは自分を抑え込みすぎて普通の人間に擬態しすぎたのが原因なのかもしれない。嫌う人間が一定人数いると言うことが分かっていれば・・・とはいえ、素を出して好き放題にする今度は大人たちに目をつけられ、疑われるようにもなってしまう・・・やはり今の教育制度で苦しくなってしまう人間は一定数存在しているのだろう。
ここでも触れたが私は人間同士は分かり合うことができないという考えをベースにしているからこそ友人が少ないからといって躍起になったりはしないし、それに加え女子キャラたちを思う存分研究し堪能しているから青春コンプレックスにもあまりとらわれることがない。問題はいじめの後遺症ぐらいなのである。
私は人間から受けた痛みで苦しむのであれば一度人間嫌いになり人間はそう簡単に分かり合えないと言う考えを持つことをお勧めする。極めれば孤独に耐えることもできるようになる場合があるし、メリットは中々あるものだ。