日本の人間は対策しなければこれからも減り続けると思う

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少子高齢化が危惧されている今日。しかし・・・私は逆に現在の日本に住んでいる人間は多すぎるのではないだろうかと思っている。この国の面積はそんなに広いわけではないのに1億近い人間が住んでおり、そんな人間が多いから少ないものを奪い合い、常に競争を強いられ蹴落としあうという状態が続いているようにも見える。

ポケモンXYではこの問題を振りかざす悪の組織のボスに対して主人公側が分け合うことで解決しようと提案しているが、実際の人間は分け合うどころか居場所を作れない奴が悪い、努力が足りないなどの言葉を使って蹴落とすのがほとんどだ。良い人間も少なからずいるが。

私も埼玉の過疎地住まいゆえに、人間こそ少ないものの地元の閉鎖的な環境に嫌気が刺すことも多い。だが、人とのつながりが薄く自由に生きることができる東京は過疎地とは逆にあふれかえるほどの人間が存在しており、それも逆に気持ち悪いと感じてしまう。今回はなぜ私が人間が多すぎると感じてしまうのかを書いてみる。

日本の人間は東京に集まりすぎている

現在の日本には1億2700万人の人間が存在していると言われている。これは医療技術の発達で高齢者が長生きできるというシステムが確立されたおかげで長寿の国であるともいえる。

しかし、この小さい島国には1億もの人間がいるのにもかかわらず、日本各地に過疎地や限界集落が増え続けている。私が思うにそれは

人間たちが東京に集まりすぎているからだと思っている。

大阪や京都など地方にもそこそこ大きい街はあると思うのだが規模で東京にはかなわないし、東京出身だが田舎で暮らしている人よりも、田舎から東京に上京してくる人たちの方が圧倒的に多いのを見ればそれが分かる。なぜ東京に人間が集まるのか、やはりそれは日本の首都であり、様々なものが集中している利便性の高さからだろう。東京が田舎と比べるとどれだけ利便性が高いか見てみると

・電車は5~10分に1本ペースでやってくる。

・職種が多い。様々な企業の本社が集中しているので東京に住んでいる人は多くの候補を吟味できる。

・人間が多い分田舎で見られる人間たちの密接な関係が少ない。所謂ドライな関係が築きやすい。

・企業の本社は大半が東京にあるため、取引等のビジネスも盛んにおこなわれる。

などがある。しかし、その一方で住むには土地が非常に高価であるため、それなりの収入があることが前提であったり、その収入を得るために新卒でそれなりの会社に入る必要があったりとその条件は厳しい。それに加え、通勤の際は満員電車に乗らねばならず、精神をおかしくしようとも仕事を辞めたくても辞めづらいという欠点もある。

それと、国の機能がほとんど東京に集中しているのも人が集まる原因となっているように見える。人間は便利な場所ほど魅力的に感じるものだ。地方はどれだけ町おこしをしても東京にあこがれる若い人間の流出が止まらず、未来では県庁所在地などの大きな町を除いてなくなってしまうことだろう。

この国は東京に何かしらの災害やミサイルなどによる攻撃がきてしまったら終わるだろう。そう思うほど私はこの国が東京という場所に依存しているようにしか思えないのだ。

私もたまにほしい物を探して東京に行くことがあるが、行くたびに人間の多さに嫌気がさす。近年はもう秋葉原や池袋以外の東京の場所には訪れることすらない。コミケのやってる豊洲付近も人工臭くてあまり好きになれない。私がやむを得ない理由で東京に住むのなら、最低でも人の少ない・・・いや、やっぱり埼玉の方が私にとっては断然住みやすい場所だ。

増えたら減るのは自然なことではないのか?

東京の話になってしまい話題がずれたので話を戻す。ただでさえ、人工知能が発達しロボットがこれから危険な仕事やな仕事はロボットが行っていく時代がやってくる。そうなってしまえば、居場所や仕事を奪いあう競争はさらに悪化し、普通の人間が毛嫌いしているニートは大幅に増えるだろう。

少なくなっていくものを奪い合うことが、人間が多すぎる証拠なのではないだろうか?

そもそも、何であろうと数が足りているのであれば奪い合うなんてことにはならない。元々こんなに人間が増えたのはかつてのほぼ強制に結婚したというが影響していると思っている。日本の人口増加の背景にはベビーブームもあったのだと思われるが、結婚する人が増えれば子供も自然と増えるのだろう。

しかし、増え続けるものが減らないというのも私はおかしいと思う。この国には1億人の人口を維持できるほどの資源や食糧なんてないのではないのだろうか。そんな状況にただでさえロボットが入り込めば、世間にとって有能な能力を持たない人間は生きること認められず、さらに追い詰められることになる。

生きることを追いつめられた状況の人間に対してそんなこと気にすんな!生きろ!みたいに言われたところで生きるには金がかかる。それを払えなければ、どうしようもなくなるのだ。今後も人口は自然とこの国で生きられる人間の数になるまで減り続けることだろう。

本来日本の上層部はこの悪化している状況に対して何かしら対応をしなければ人口は減り続ける一方なのだが・・・どいつもこいつも臭い物には蓋と自己責任という自分たちにとって都合のいい言葉を用いて保身に走るばかり。人口が減る問題を根本から解決できないのなら一億総活躍社会なんて一生やってこないだろう。

人口を減らすのを抑えるためにできると思われる対策

私は人間が嫌いなので、減り続けることには正直賛成だが、今回は人口がこれ以上減らない方法を提唱してみる。私が思いついたのは以下の通りだ。

・今問題になっている若い人間への金銭面での負担を減らす方法を考える。

・多様性な生き方の尊重と教育の改善。全員横並びで会社員に育てようとするからつまづく人は出るし、就職難になりブラック企業が調子に乗る。

・ベーシックインカムの導入と貧困な人たちへの救済。生きづらい人も十分生きられる金があるなら生きられる人もいる。

・保育士や介護士の待遇の見直し。彼らのやり方に文句や暴言を吐いたところで何も解決しない。彼らは日々、子供や老人たちの日々の生活を見守ったり助けたりする大切な仕事をしているのだから本来は安い給料で雇ってはいけないはず。

・子育て免許制度を設立。馬鹿親や毒親の虐待を減らす。

・立場の弱い人間への暴言や暴力、いじめをして蹴落とす行為の禁止。できない人を攻撃していいなんていう決まりは存在しないし、こういうのは説教で解決する問題じゃない!

私が思いつくだけでもこれだけある。なぜどれも実行されないのか不思議でしょうがない。

私が言う人間が多すぎるというのは日本の資源や国土の広さに対して居場所や金を奪い合わなければならないほどの状態になっているからそう言っている。それらが改善されれば、もっと多くの人が安心して生きられる可能性は十分残っていると思う。だが、現状維持では人口は減り続けて自殺は増え、いずれは滅んでしまうだろうなとしか思えない。

子供を産め増やせという前に迫害や精神障害などの辛さで生きてはいるけど今にも死んでしまいそうな人間を大切にするのが先だ。いつまで上手く生きられない人間を使い捨てにするやり方を続けるつもりだ?使い捨てのやり方を続けるようでは人口はこれからも減り続ける一方だろう。

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