生きたくても生きられない人間の分まで生きろって平然と言う人間が分からない

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皆様は生きたくても生きられない人間がいるんだから命あるお前は死なずに生きろというようなことを説教などで言われたことがあるだろうか?私はある。人間にとって命は大切なものらしい。まあその理屈は私にもなんとなくはわかる。大切な方が亡くなってしまうとそれを実感することになるからだ。

ただ、私のように腐った人間たちによるいじめやパワハラなどの攻撃の形で私自身の命は大切ではない、お前なんかいなくたって変わらないと言うメッセージを受け取ってしまうと自分の命を大切にできなくなる。なのでこういう説教を聞くと逆に

お前バカなのか?と言いたくなってしまう。

なので今日は生きたくても生きられない人間の分まで生きろとか言う人間についてと私の考える死にたい人間を少しでも減らす方向に持っていけるのではないかと考えている理想論について書いていくことにする。

こう言うこと言う人間は相手の上澄みしか見ていない

以前私はいじめやパワハラ、虐待などを受けると自分の命を大切にできなくなるという話を書いたことがあるが生きたくても生きられない人がいる云々の理論を言う人間たちは死にたくなるほど酷い目にあったことがないか、心無い人間たちから酷い目に遭わされたことがあったとしても必ず克服できることを盲信している人間であるとしか考えられない。

多分そういうこと平気で言う人間は相手の上澄みしか見ていないのだろう。死にたいと思っている人間の言葉を会ったこともない「生きたくても生きられない」人を持ち出すのだから。もちろん自分の知り合いや身内に生きたくても生きられない人がいるからこそ言っている可能性も否定しないが、それでも間違っているように感じる。どっちだとしても「死にたくても死ねない」人間の考えを無視しているのだから。

人間は自分が痛い目に合わないとその立場を理解できない生き物であるということは二十数年生きてきて実感しているし、逆にどん底から這い上がって苦難を乗り越え成功するとそのうちの一部の人間は放漫になって苦しんでいる立場の人間を馬鹿にしたり自己責任論を振りかざして押しつぶそうとしてくる奴もいる。なんなんだこれは・・・と絶望したものだ。

生きたくても生きられない人がいる?だからなんなんだ?死にたくても死ねない人間だっているんだ。私だって今でも金の面で地元から出て行けないこと、どれだけ対策やプランを組み立てても突破できない時、推しへの否定意見を聞いたとき、精神がおかしくなる時に死んでしまいたいと考えることがある。

私が精神障害であることも甘えだお前は普通だと切り捨てられて一番死にたかった時期には30になる前に死んでいるとすら考えていた。だが、私はつい最近30歳を超えた。これも女子キャラから分けてもらった力を原動力に理解してくれる支援者さんとの出会いを経て何とかやってこれた結果だろうこれから先どうなるかわからないけど。理解してくれる方や女子キャラがいなければこんなに長く生きてなかっただろう。

死にたくても死ねない人を生み出さない社会にするのはどうか

とはいえ、互いに違う意見をぶつけ合い続けてもずっと平行線のまま何も解決することないのだろう。なので私が死にたい人の負担を和らげる可能性があると考えている唯一の方法ともいえるであろう以下の提案をしてみる。

この醜い世界を「死にたくても死ねない人」を作り出さない社会にするのはどうだろうか?

働けず金に困って相談に行ってもはい、頑張って生きてねで切り捨てるのではなく、最低限の生活を保障することで金の面の不安は取り除けるし、いじめは教師たちがマイナスの要素としてみるのではなくプラスの要素として見て向き合い、自分のたちでどうしても対処できない場合は警察などの介入も積極的に行う。人間はニートだから無職だからと相手を決めつけず偏見を取り払って説教なども接していければいいのではないかと私は考えてみた。そして最後に生きづらさの根源と言ってもいい自己責任論と自助>共助>公助の考えを捨てる。これで何人かは救われる可能性があるし自暴自棄になって無差別殺人を起こすような「無敵の人」になってしまう人間も減らせるのではないだろうか?

とはいえそんなの理想論でしかなくてそれができていれば自殺者だって2万人を超えることはないだろうし、生きづらさで死にたいと考える私のような人間だって出てこないだろうし・・・もうできていれば私だって死にたいって思うことも減ってるはずなんだよな・・・多数派に振り回されるのはもううんざりだが、社会は多数派のためにあるが大半の人間の考えることのようなのでこれからも犠牲になる人たちは出続けてしまうのだろう。ああもう人間が大嫌い。

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コメント

  1. どんべえ より:

    ホント狂った世の中ですね。
    自殺に関していえば、自殺を止めた人が表彰されるとか
    本当に不愉快に感じます。

    上澄みしか見ていない人もひどいが、逆に下澄み? を知る人
    もひどいと思います。
    「元、死にたかった人だが努力して考えを変え今は幸せだ」
    「お前のような奴を何人も見てきた。よし、お前を救おう」
    こういう奴らは、私たちの苦しみを全て心の問題として
    「認知の歪みを直せ」「自意識過剰を捨てろ」「自我の執着を手放そう」
    といったことを言います。
    これって自己責任論と何が違うのか 認知の歪んだ私にはわかりません。

    今の精神医学(弱者救済論)が正常至上主義である限り
    どうしようもないと思います。

    • zyoken より:

      どんべえ様 コメントありがとうございます。
      自殺を止めたとしても助けた人は自殺しようとした人の人生を背負ったり、面倒を見るわけでもなく大半が「頑張って生きてほしい」と言っているのしか見たことないですしなぜ表彰しようとするのかわかりませんよね・・・自殺しようとした人は色々と考えたり対策をたてたりしても全てダメだったから選んだ選択のはず。頑張って生きたところで辛さが続いてまた自殺したくなってしまう場合だってあるかもしれないのに。自殺を止められた方は警察に保護されたという記述もよく見られますが、一生安全な生活が保障されるような保護をされるわけでもないのに。
      下澄みを知った人ですか。いわゆるこの世界の洗脳に従うことにした人間、私がよく挙げている苦しかったことを努力で克服した結果同じ立場の人間に高圧的に接するようになった人間なのですかね(橋下のような人間ですかね?)・・・おそらく過去の自分を見ているようで嫌になっているから矯正してやろうと考えているのか、本気でそう思うようになってしまったのだろうと考えていますが、そういう人間を見る度私も結局多数派が全てなんだなってげんなりしますね。
      人間たちはこの問題に真剣に向き合う時期がとっくに来ているのでしょうが、大半は自分は大丈夫問題ないという絶対の考えで動いていると考えられるのでそう簡単に変わることはないんでしょうね。変わるとしたら100年後か200年後・・・いや、もっと先なのかもしれません。今でも弱い立場の人間を虐げている人間たちはたくさんいますからね。