この国はいつまでいじめ容認被害者非難をし続けるつもりなのか

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人間という生き物は強い者に価値があるというような考えを持ちがちな生き物だと思う。それを表しているのがいじめ容認と被害者非難だと思うのである。

そもそも、大半の人間はいじめが発生した場合加害者の方ではなく被害者の方にばかり改善や矯正を求めようとする。自分にとって不快な要素を持っている人間とはかかわらなければいいだけなのになぜこのようになるのか・・・私には理解できない。

いじめ容認をする奴は野性的な悪い自己中であるとしか思えない

私が思うにいじめ容認を肯定する奴は野性的な思考の持ち主だとしか思えないのである。なぜならそのような意見を振りかざす奴に限って考え方や態度が放漫だったり、悪い意味での自己中人間でしかないと思えるからだ。こういう所は動物の群れと一緒だ。

私は自己中と言われる人間にはいい自己中と悪い自己中がいると思っている。いい自己中は人に危害を加えずに自分のやりたいことや考えを貫きとおす人で、悪い自己中は人に危害を加えても罪悪感を一切感じたりしない上に人を傷つけることで優越感を得る人間だと思っている。

一部の人間はなぜか弱いものを見下すことで優越感を得たりストレスを解消したりする。それは暴力だけではなく説教などの一見正しいと思われる行動でも見られる。人を見下して自分が上の位置に立つことは気持ちいいのかもしれない。

しかし、それでいいのだろうか?人間は原始的な動物から脱却し、それをしないように考える力を持ち、ここまで文明を発展させて来たのではないのか?そうでないなら・・・

古代から現代まで進化した過程で人間の本質は何も変わっていないのだろうとしか思えない。

悲劇のヒロインという便利な言葉

また、いつまでも被害を受けた恨みやから逃れられない人間に向かって

「いつまでも悲劇のヒロインぶってんじゃないよ!」

などという言葉が投げかけられることもある。これ、第三者が辛い思いを抱えている人に向かって使うのに便利な言葉だよなって思う。そもそも被害を受けた人間が誰かにかまってほしい、可哀想だと思ってほしいから辛いと訴えているとでも思っているのだろうか。

いじめや犯罪の被害者のうち大半が苦しみ続けるのはいじめや暴力によって自分は精神を破壊され心に大きな傷を負ったのにもかかわらず、加害者の大半が何も罪に問われることはなく平穏な生活を送ることができるということに対して辛いと思っているのだと思う。

確かにそこから悲劇のヒロイン症候群に陥る人間もいるのだろう。だが、悲劇のヒロインなんて言う言葉を平気で使う連中はこの状況がどれだけ辛いことなのか分かっているのだろうか。所詮第三者だから知る由もないのだろうけど。

そもそも悲劇のヒロイン症候群ってどんな傾向なのかと思って少し調べてみたが大体以下のような症状だそうだ。

・自分が不幸であることを周りにアピールする(いじめの被害者であることを言うだけで不幸アピールに捉える奴もいるとか・・・)

・自分が不幸であることで安心する(幸せになろうとしない)

・自分が被害を受けているという被害妄想を抱く傾向にある(妄想じゃなくて実際に被害を受けている人の方が多数だと思うが・・・)

ということらしい。確かにいじめを受けた人間にも同じような傾向がみられることもあるような気がする。だけどさ・・・

少なくともいじめや暴力で辛い思いをした人間の中に周りに不幸アピールをしようなんて思っている奴なんてほとんどいないと思うよ。それに自己肯定感を持てばいいっていうけどこれはかなり修羅の道。私もいまだに自信持てるのは女子キャラクターの研究関連だけだし、男に差別されたせいで男が嫌いだから自分の性別が嫌いなままだよ。

・・・過去に縛られていないで忘れろ?だったら脳の記憶を自由に消すことができる方法を見つけてから言え。話はそれからだ。

ここまで来ると少子化が正しいことのように思えてしまう

理不尽に耐えろ、打ち勝てと言っている奴を見たことがある。だけど、そんな意見を聞き続けた私は以下のように思うようになった。

それは、今よりも人間の数はもっと減ったほうがいいんじゃないかっていうこと。

人間の数が多いから少ない席を巡って争いが繰り広げられる。人間の数が多いから多数で小数を追い詰めて優越感を得ようとする。人間に格差があるから富裕層と貧困層の格差が広がり続ける・・・人間が多いから考え方が多い者同士で結託して少ないものが生きづらくなる。

近年は少子化が著しく進んでいるという。だが、周囲を見渡せば人間はまだたくさんいるので私は人間はもっと減ったほうがいいとしか思えない。少子化が正しいことだと思ってしまうのである。人間が減れば、少数の人間が追いつめられることも減るだろうし。

人間はいつまで愚かな加害者擁護と被害者非難を続けるのか。それで何歳になっても苦しんでいる被害者が存在しているのがなぜわからないのか。臭い物には蓋をするの方式で向き合わないのは被害を受けた人の気持ちが分からないそっちなのではないのか。そういう行為が常習化しているから悲劇のヒロインがたくさん生まれるのではないのだろうか?

周囲に理解ばかり求めるなというのならそっちも悲劇のヒロインなどと言う便利な言葉使って非難せずに黙っていろ!!!と言いたい。

結局人間は自分が幸せならいいという最低な生き物なのだろう。非難の考えをぶつけられると私はそういう奴らと同じ人間であることが心底嫌になる。

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コメント

  1. 二次元だけが癒し より:

    男の場合は特にそうですね
    どれだけ酷い目に遭おうと「甘えるな」、「理不尽に耐えろ」、「昔のことをひきずるな」だの罵声がとんでくることが多々あります。なぜ男というだけでこのような扱いを受けなければならないのか、そもそも理不尽がまかり通る事を誰もおかしいとは思わないのかと自分は考えます。
    自分もジョニーさんと同じく人間嫌いですが、圧倒的に男の方が嫌いです。
    野蛮で攻撃的なのは男の方が多いと思います。自分もたまに男であるのが嫌になることがあります。二次元においても、好きな男キャラは5人くらいしかいません。

    • ジョニー小林 より:

      二次元だけが癒し様 コメントありがとうございます。
      こう言った意見がまかり通ってしまうのは昔から築き上げている「男は強く誰かを守るものであれ」みたいな考えが原因だと思っています。そういった風潮のせいか男は耐えることを放棄したりや嫌な思い出を忘れられなかったりすると女々しいとか言われますからね。私はもうそんな古臭い考えにはうんざりしたのでそう言った意見を言った人間は信じないようにしますし、考え自体に刃向うようにしていたりします。自分にも少なからず非難という形でダメージはきますが、自分の考えを大切にすると差別されてばかりの人生も少しはマシになる気がします。それでもたまに自分が男であることが嫌になるのは私も一緒ですね。人間はおかしいことでも当たり前と認識してしまうとそれがいつの間にか当たり前のことになってしまうから厄介です。
      好きな男キャラがいらっしゃるのですね。私も自分で認めた男キャラは7人ぐらいです。認めている男キャラがいるとはいえ男キャラの大多数を占める煮え切らない態度ばかり取る主人公男に嫌悪感を持っているので、結局は一途で色々優秀な女子キャラクターの方が好きですね。