負の連鎖を断ち切ろうとする人間の辛さは大きい

Pocket

皆様は負の連鎖というものをご存知だろうか。負の連鎖というのは良くないことが原因となって悪循環が発生してしまうことである。

例を挙げれば

いじめにあった人間が自分より弱いものに対して同じようにいじめを行ってしまう。

親から虐待されていた人間が自分が親になった時に子供を虐待してしまうようになる。

などがある。そしてこの負の連鎖を断ち切るということはものすごい気力が必要であり、並大抵の気持ちではできないことである。しかし、負の連鎖を断ち切ること自体は、自分の心がけで可能なものだと思えるのである。

なので今日は負の連鎖を止める方法はあるということ、しかし、それを行うこと自体は辛さが大きいことであると言うことを書いていこうと思う。

自分一人の心がけで負の連鎖は止められる

私の持論だが、負の連鎖自体を断ち切ることは恨みを抱えた状態でも可能だと思っている。大半の人間たちは恨みを断ち切ることを恨みを忘れることだと言っている場合も多いが、それだけが負の連鎖を断ち切ることではないと思うのだ。

私はいじめを受けたり暴言を吐かれたりした経験から、人に絶対に攻撃しない、暴言を吐かないを今現在でも徹底しており、こういった小さな心がけも連鎖を断ち切るのには十分なのではないかと思っている。

私は自分が攻撃をされたからといって、自分より弱い物に攻撃する人間は最悪だと思う。しかしそうなってしまった人間をそうならぬようにケアしたり保護したりして救わない限り、負の連鎖は続くだろうし攻撃性を持ってしまう人間が弱いものを攻撃すると言う負の連鎖はこれからも続いていくのだろう。

しかし、心の負担は大きいもの

とはいえ、負の連鎖を止めるなんてこと自体は止めようとする人間の心に大きな負担を強いるものだ。連鎖を止めようとしたところで心の痛みは解消されることなんてない(本当に裏切ったりしない心から信用できる人間が友人や恋人にいればそうでないのかもしれないが)。

自分は相手から押し付けられた身勝手な理由で迫害や暴力を受けていたのになぜ何も保障されないのか・・・今でもそのようなことを考える。そしていじめられる方が悪い論やSNSなどで暴言を言っている人間を見ると怒りが沸いてくる。

私は人間嫌い、結婚はしない、クズな言動や行動をしている人間を見ると反射的に腹が立ってくる、誰にでも疑ってかかるようになったという後遺症は今でも残っている。もはやこれはどうしようもないことであると思っているし、人間との関わりを友人のみの最小限にすることでなんとか保っていられる。

負の連鎖を断ち切ったところでクズな人間はいなくならないし、世の中はこれからも相手を思いやれない冷たい世界へと変貌していくだろう。SNSのニュースに投げかけられたコメントを見ているとそうなってくとしか思えない。

捉え方次第で~なんて私には意味がなかった

中には捉え方次第でなんとかなるなんていう人間もいる。確かにそのやり方で乗り越えられたり、社会的に成功出来た人間だっているから有効な人もいるんだろう。しかし、私から言わせてもらえば捉え方を変えたところで全然意味がないの一言に尽きる。

捉え方として有名なのは辛いのはこの世での試練なんだとか修行なんだとか、いじめられているのは前世で悪いことをしたからなんだとかが有名だろうか。だが、それで耐えたところで待っているのはいじめ自殺や過労自殺ではないだろうか。

私はここでも触れたが、いじめにも耐え、説教にも耐え、大学まで何とか行くことはできたがその後にダウンしてしまったタイプである。こんな私がいじめられているのは前世で~とか説教されやすいのは精神を強くする修行のためなんだ~なんて正直思えない。修行のために何度心を潰されなければならなかったんだ!としか思えないのである。

捉え方次第で~を否定するつもりはない。しかし、私には捉え方を変えても恨みがたまるばかりで全く効果がなかったように全く効果がない人間もいるのだと言うことを知ってもらいたい。ただそれだけのことである。

断ち切るも断ち切らないも後悔しない選択を

これらのことから私が思う最適な方法は

自分が後悔しない選択を取ることだと思っている。

負の連鎖を断ち切る場合を選ぶのであれば、ぜひとも自分の心に無理のない範囲での断ち切りを実践してほしいと思う。加害してきた人間がどうしても許せないのであれば許す必要は全然ない。私だってなんとか断ち切ろうとはしているが恨みを捨てられることは今後よっぽどの好転が無ければ無理だと思っているし、相手を許すと考えは持っていない。

一方で負の連鎖を断ち切らない場合を選ぶのなら加害者への復讐を考えてもいいだろう。しかし、何の関係もない人にその攻撃の矛先を向けるのなら、それは最低の行為だと言わざるを得ない。その何よりも醜い行動によって痛ましい無差別殺傷事件が引き起こされるのだから。

最も必要なのは被害を受ける前に人間を守ったり、被害を受けた人間の心をケアして、恨みや取り除き苦しみを理解してあげる事なのだが・・・いじめられる方が悪いみたいな考えが渦巻いているこの国でそのような方法がメジャーになるのはまだまだ年月がかかりそうである。悲しいものだ・・・

スポンサーリンク
スポンサーリンク
スポンサーリンク

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする

スポンサーリンク
スポンサーリンク

コメント

  1. 二次元だけが癒し より:

    そうですね。自分が迫害されたからといって加害者ではなく無関係な人間に攻撃するのは間違っていると思います。
    しかしだからといって迫害を受けた人間にそれを忘れろ許せと言うのはあまりに酷だと思います。精神を破壊されれば二度と立ち上がれなくなってしまうケースが多いので被害者の心のケアを大切にするべきだと思います。自分も受けた痛みだけは忘れられそうにありません。格闘技は続けているのですが日に日に復讐心だけは強くなっているので何とか精神を制御していきたいです。

    • zyoken より:

      二次元だけが癒し様 コメントありがとうございます。
      恨みを関係ない人へ向けた攻撃性に変えてしまった時点で取り返しのつかないことをしてしまっていると思います。なのでそのようにならず、苦しみ続けている人のケアを優先したほうがいいと思うのですが・・・この国の上層部にいる人たちは加害側だった人間が多いようにも思うので口だけで結局何も変わらないのだろうなと感じます。それと恨みはそれにとらわれて攻撃性を持たなければ忘れなくてもいいことです。されたことを忘れないのは人間の脳にある一種の防衛反応だとも言われてますから。
      格闘技を続けてられるのは素晴らしいです。私は過去の経験で運動嫌いなものですから。

  2. 藤木のび太 より:

    負の連鎖。私はこれを悪意のトリクルダウンと呼んでいます。
    弱者がさらなる弱者を叩くという昨今の現象ですね。
    こういった現象は私もこれからますます加速すると思います。
    何せ国の要人の一部やマスコミ。ネット等で声の大きい社会適応力の高い人たちが
    弱者の上手いいじめ方を指南しているのですから。(私にはそう見える)
    そういったことを見るたびイライラが募り、無力な自分に発狂する。

    こういう私のようなタイプは自分は自分でしか救えないのだと思います。
    「闇落ち」したら無差別殺傷事件なのだろうか?
    いずれにせよ、人生の好転を目指し、納得のできる生き方を目指し
    永遠にあがき続けるだけですね。

    話は変わりますがイライラで辛いときは、漢方の抑肝散というものが個人的
    に良かったです。ドラッグストアや病院にあるので試してみてもいいかもしれません。

    • zyoken より:

      藤木のび太様 コメントありがとうございます。
      トリクルダウン理論について調べましたが、悪意今回の場合に当てはめるといじめるものがいじめればそれを見た人関係ないと思われる人間たちが悪意をもって攻撃に加わり叩くということでいいのですかね。国の上層部の一部はマスコミであり、ネットで声の大きい人間がいじめ陽動をしているのはわかります。大人がそのような陰険ないじめをしている時点でそれを子供が真似て更に不幸に・・・人間一人の力で世界を動かすのは難しいですからね。私は対策として報道番組は遮断してほとんど見ていないですね。見ても得るものは何もないので。
      ストレスを軽減する漢方があるのですね。過食して体を壊してストレスを減らすよりは良い方法だと思います。

      • 一力 篤史 より:

        負の連鎖ですか…
        今回の記事を読むと私もはてはまるのがありますね
        私も学生時代、部活で先輩、同級生、後輩から馬鹿にされたり、私の容姿や性格や行動クラスメイトや色々な人たち(特に女性または美女)からキモいだとか好まないなどの暴言、二人きりになったくらいで嫌がる、彼氏と思われたくない、言われ挙句の果てにセクハラなど疑いもかけられたもの(クラスメイトの女性や
        高校の元友人の彼女から)なので、ストレスが溜まるばかりでした
        女性恐怖症になった原点も学生時代からかもしれません
        それでいじめなどの悩みとか話せばいいのものを色々な人たちに愚痴というもので当たって困らせたり怒らせてしまったりとかありました
        今思い返すとまずいことをしてしまったと後悔ばかりです。申し訳ありません。
        (謝るべきはその人達なのですが)

        悪口いわれた、いじめなど受けたならその悔しさをバネにして見返せとか、怒られて伸びるまたは成長するというかいいことなんだという話はよく聞きますし、否定はしたくないですが、一般の人にはいいように感じ、うまくいくかもしれないですが、私にとっては良いことなかったし、逆に鬱になりました
        私もジョニーさんと同じく被害を受けた人の心のケアすることが大切だと思いますが、色々と難しいかもしれません。
        過去に人に迷惑をかけてしまった大馬鹿者ですが、苦しみを少しずつ理解出来る、暴言を言わないようしたいものです。

        • zyoken より:

          一力 篤史様 コメントありがとうございます。返事が遅くなって申し訳ありません。
          それだけ馬鹿にされれば不満が溜まって愚痴を言いたくなるのも当然だと思います。ですが、愚痴を言う相手が信頼できる人間(身内・親友など)であれば多少はいいのではないでしょうか。溜めてばかりいると、そこから自殺衝動に繋がったり、暴力行為に発展してしまう場合もありますから。あとは、信頼できる心療内科やカウンセリングを見つけて、そこで吐き出すのも手です(信用できないと思ったら病院を変更したほうがいいです)。
          悔しさをバネに~というのはそれを実行できた人間もしくは加害側の人間の言葉ですね。受け入れられないのであれば流してしまっていいと思います。過去に迷惑をかけてしまったことを反省できるだけでも素晴らしいものです。傷つける側の人間は基本反省せずに悪い場合は武勇伝のように語ることもありますから。