甘えという言葉を使用するやつを私は絶対に信用しない

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人間たちが人の欠点を指摘する際に使う言葉に「甘え」というのがある。これって便利な言葉だなって思う。なぜなら、

他の人間の欠点、しかも多くの人間が普通にできることを全くできない人間を突く時にはとても有効だと思うからだ。

私はこの言葉を使用する人間の事は絶対に信用したくないと思っている。今回はその理由について書いてみる。

甘えを使う奴は自分の経験を盲信している

私が思うに甘えという言葉を苦しんでいる人間に対して平気で言える人間は

自分の歩いてきた道が絶対に正しいと盲信している奴が多いように思う。

どんな人生を経験してきたかなんて言うのは人によって違う。ものすごく恵まれた環境で生きてきた人間もいれば、劣悪すぎて自殺を考えてしまうような環境で生きてきた人もいる。持っている持病だって人によって違うし、考え方や物事のとらえ方も異なっている。

それをひとくくりにして「規則正しい生活ができない奴は甘え」とか「努力できない奴は甘え」とかいうのはどうなんだろうか。私が見てきた中には頑張り続けない奴は人間じゃないとかを普通の事みたいに言っている馬鹿もいた。こんなの頭のおかしい私ですらこいつら頭おかしいんじゃないだろうかと思わざるを得ない意見である。

以前私は死ぬ気で頑張り続けるということが迎える最悪の結末をこの記事で破損した車のガソリンタンクを例にして説明した。人間の心も同じで休ませなければ死を考えるようになってしまい最終的には自殺してしまうことだってある。そんな人たちに向かって自殺は甘えなどという奴は浅はかにしか見えない。

そんなに自分の経験が正しいと思っているのか。そんなに正論が大事か。自分だけが経験してきた価値ななど他人にとっては何の価値もない!正論を武器にして他人ができないことを非難する人間など思考停止している馬鹿にすぎない!

できることや得意分野は人それぞれ違う

甘えという言葉を多用するやつには言っても無駄だと思うが、

できることや得意分野は人それぞれ違うものである。

文系科目が得意な人間もいれば、理系科目が得意な人間もいるし、機械に詳しい人間もいれば、歴史に詳しい人間だっている。甘えなんていう言葉を使うのはいい部分に目を向けず、悪い部分ばかりを突いて「~ができないのは甘え」と言っているように思う。

そもそも、生きるのに休むことなく頑張り続ける必要があるのだろうか?そんな社会風潮だから年3万人の人間が自殺という最悪の選択をせざるを得ない状況が出来上がっているのではないか?私はそういう人は自分の考えを押し付ければ乗り越えられるということを盲信しているだけの想像力が足りない情けない人間だと思ってしまう。

人間常に頑張り続ける必要なんてないと思うし、それに対して甘えという言葉を多用する奴は信用したくないししない。人の欠点を突く暇があるのなら、自分を成長させる効果のあることでもやってろ。私はそんな風に考える。

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