死ぬ気があれば何でもできるという考えについて

Pocket

自殺しようとする人間に投げかけられる言葉に

死ぬ気があれば何でもできる。

というのがある。私はこの言葉を使う人間は根本的な勘違いをしているような気がするのだ。そう思うのも、死ぬ気になっている人間は何かを成し遂げようとする気力などすでになくなっていると思うからだ。今日は死ぬ気があればなんでもできるの言葉に対して私が思うことを書いてみる。

自殺、死のうという気持ちが出るのはすべてに絶望しているから

そもそも人間が自殺したい気持ちになるのは自分の人生を始めとしたすべてに絶望しているからなのではないかと思う。死にたいと思っている人間は生きる気力に溢れた何かをやり遂げようとする人間みたいに

よし、今から俺は死ぬんだ!絶対に死んでやるんだぞおおお!!!

みたいな熱血的な考えは一切ないのである。あるのは・・・

色々挑戦したけど全部だめでもう何もしたくない・・・死んでしまおう・・・

という消極的な思いだ。死ぬのには勇気がいるだの言うけれど、勇気なんてなくても心が荒らんで精神がおかしくなって八方ふさがりになり人生を”詰んで”しまえば人間は簡単に自殺してしまう生物なのだ(他人に迷惑をかけてでもしぶとく生きようとする奴もいるが)。だから首つり自殺も線路に飛び込む自殺も一行に減ることがない。そんな弱った状態の人間に向かって死ぬ気があれば何でもできるなんて言葉をかけるのは浅はかな考えだなと私は思ってしまう。

死ぬ気があれば何でもできるが通用するのはその言葉をかけた相手にまだ生きたいと思う意志があるときだけだ。生きたいと思う意志がないから自殺してしまう。そしてその意志がなくなる原因は人間が普段何気なく行われている原因だと思わぬことなどにあったりすることだってある。

中には既に様々なことに挑戦し、その結果が全てダメで心を打ち砕かれてしまったがゆえに死にたいという人間もいる。それが分からずこの言葉を無責任に投げかける人間がどれだけ多いことか。そして、この言葉を未だに盲信する馬鹿がいるから、年間3万人の自殺者は一向に減らないのだろう。

本当に死んでほしくないならこんな馬鹿丸出しの言葉使うな!

この言葉を使って自殺を引き止めようとする奴に言いたい。

死ぬ気があれば何でもできるなんて馬鹿な言葉を無責任に使うな!

死ぬ気になって何かをやり遂げれば必ず報われるなんていう時代はバブルが崩壊した時点でもう終わってんの。今はほとんどの人間がどれだけ費用や人権費を安く抑えられるかの合戦状態で余裕がある人間なんか富裕層の一部ぐらいだろう。いや、今は富裕層ですら余裕など持ち合わせていないかもしれない。

死ぬ気がある人間はなんにもできないほど衰弱している。車で言えばガソリンタンクが破損してガソリンを入れれば漏れてしまう状態だ。そんな状態の車にガソリン入れて無理やり走らせるのか?

この言葉をかける奴は相手が死ぬのを思いとどまったとしても、その後助けを求められても、一切助ける気もなくお前が自分で何とかしろみたいなこと言うだけなのだろう。自殺を引き止めたんなら少しは協力する姿勢を見せてみろもしくは自分で死ぬ気で何かを成し遂げている所を見せてみろと言いたい。

死にたいと思う人間の中には死ぬ気で頑張ったものの結果を出せず誰にも認められない人間や、失敗が許されない環境でミスを犯したせいで会社はおろか社会での居場所を失った人間だっている。そんな人間にもお前は努力が足りない死ぬ気で頑張れば何でもできると言い続けるのか!?様々な要因で生きる気力を失くしている人間の大半は何かしようとして動くなんてことはできないんだよ!!!

死ぬ気で生きることを推薦する書籍も大量にあり、例え世の中の大半の人間が推薦する考えだったとしても底辺にずっと居続けた身である私は嫌いだよこの言葉。

スポンサーリンク
スポンサーリンク
スポンサーリンク

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする

スポンサーリンク
スポンサーリンク

コメント

  1. 彼方 より:

    記事、読ませていただきました。初めてコメントさせていただきます。彼方と申します。私も死ぬ勇気があれば何でも出来るという意見には反対です。中学生の時に祖母が「人間死ぬ勇気があれば何でも出来る」と自殺のニュースが流れた時に私に言いました。当時(今もそうですが)、私はいじめられていた後遺症で死にたいと思うときが多く、全てに絶望して自殺を決意した経験があったため、祖母の意見にどうも納得できず、「出来るわけないじゃん」と反発しました。すると、祖母は黙ってどこかに行ってしまいました。私が祖母の意見に反発したのは初めてだったため驚いたのか、自殺を擁護する意見に不快感を抱いたのかは今でもわかりません。しかし、「人間死ぬ勇気があれば何でもできる」という意見にはどうしても賛成できませんでした。今もそうです。祖母に限らず私以外の家族は皆基本的にポジティブ思考であるため、常にネガティブである私には賛同できないことも多いです。私以外の家族に共通しているのは、どれだけ苦しくてもしんどくてもそれでも何とかして生きていようという意気込みが感じられます。決してテンションが高かったり、熱血という訳ではないのですが、何か私とは違うものを感じずにはいられません。話していてもどこか噛み合わず、価値観が合わない気がしてなりません。私がまだ若く、親や祖母よりも世間を知らないから彼らの意見が世間でいう普通で常識で正しいのかもしれません。確かにまだ学生である私よりもずっと長く生きてきて社会にも長く出ている彼らのほうが社会のことをよく知っているでしょう。しかし、「死ぬ勇気があれば何でもできる」という主張を含め、「環境や自分の甘えるな」、「自分よりつらい思いをしている人間なんていくらでもいる。お前は恵まれている」と、どうも納得いかないことも多いのも事実です。私が社会をまだ知らないせいでしょうか。話がそれてしまいました。申し訳ありません。祖母の発言も、生きる希望がある人だから言えるのだろうかと思います。私はあまりそのような意気込みはないため、自分に対しても他人に対しても簡単に言ってはいけない言葉だと思いました。支離滅裂な文章で申し訳ありません。失礼いたしました。

    • zyoken より:

      彼方様 コメントありがとうございます。

      彼方様が死ぬ気があれば何でもできるという意見に納得できないのであればそれでいいのだと私は思います。いじめ後遺症や絶望は経験した人間にしかその痛みは分からないと思いますし、身内であっても考え方は大きく違いますので本質的には他人と変わりない部分も多い。いじめ後遺症を患っていても立派に生きておられるのは素晴らしいことだと思いますよ。
      ポジティブ思考は一般的によいことだとされていますが、いじめを受けた経験がある場合は作り笑いすらするのが難しいと思いますし、明るく前向きな思考を心がけろと言われても難しいと思います。私自身もいじめ後遺症があり、暗い気持ちはいじめを受けてから十数年ずっと消えたことがないです。
      結局、人間は完全に分かり合うのが難しいから大多数の人が指示する意見を正しいこととしているだけです。だから甘えるなやお前より辛い思いをしている人間がいるなどの言葉で自分の考えを正当化し、本能などを持ち出して共感しない者を否定しているのです。なので少数派に当たる私たちは世間や周りの意見などは無視して自分の考えを大切にしていくのが一番いいと思います。私も最近は他人のアドバイスは受け入れたりしないことの方が多いです。

  2. 彼方 より:

    丁寧なお返事、ありがとうございます。再び失礼します。彼方です。先ほどのコメントに脱字がありました。「環境や自分の甘えるな」というのは、「環境や自分の性格のせいにして甘えるな」の間違いでした。大変失礼いたしました。以後、このようなことがないよう気を付けます。
    zyoken様(とお呼びしてよろしいのでしょうか…?)の言うように、多数派の意見に流されてしまうことは、意識していてもよくあります。私自身はこう思う、だから多数派の意見だからといって自分たちの意見がすべて正しいと思うなと心の中では思いつつ、自分は間違っているのではないかと自分の考えを否定してしまうことがあります。

  3. 彼方 より:

    先ほど以後気を付けると言ったばかりなのに再び失敗してしまい、本当に申し訳ございません。途中で送信をしてしまいました。重ね重ね失礼いたします。決してわざと失敗をしてブログを荒らしてやろうという気は全くございません。そこはご了承いただければ幸いです。
    ジョニー小林様(とこちらでは呼ばせていただきます)の言うように、自分の意見を大切にすることが大切ですよね。私も日ごろから意識するようにしています。しかし、私はジョニー小林様のように強くないので、周りの意見を無視することができず、つい多数派の意見に流されてしまうことは、意識していてもよくあります。私自身はこう思う、だから多数派の意見だからといって自分たちの意見がすべて正しいと思うなと心の中では思いつつ、自分は間違っているのではないかと自分の考えを否定してしまうことがあります。しかし、自分が多数派の意見と違うため、自分の意見を否定して周りにただ流されるというのは一番やってはいけないことのように思えます。そうしていると、自分が心のない人間か人形のように思えるのです。私は結局周りの人間を気にしすぎているのだと思います。自分はどう思われているのか、こんな意見を持っていたら変に思われていないかなど、自意識過剰です。私は周りにばかり集中して、自分に集中するが少ないように思います。だから、周りの意見を無視できずに悩むのだと思います。これからはより強く自分の意見を大切にしていきたいと思います。そして自分自身に集中していれば、周りのことも気にならなくなるのではないかと思えます。
    私もいじめの後遺症がまだ消えません。もうすぐ10年が経とうというのにも関わらず消えません。ポジティブになれ、女だから笑顔で愛想を振りまけとよく言われますが、出来ないものはできません。いじめ後遺症はなかなか治るものではないですね。
    何度も失礼いたしました。脱字に誤送信にどうしようもない奴です。すみませんでした。

  4. Tjueto より:

    今更すみません。
    >この言葉をかける奴は相手が死ぬのを思いとどまったとしても、その後助けを求められても、一切助ける気もなくお前が自分で何とかしろみたいなこと言うだけなのだろう。
    -↑これと似たような事がちょうど昨日もまたありました。実際、行政も個人も生きるか死ぬかの極限状態にまでならないと誰も助けてくれない。
    相手からすれば、こっちがただの困ったちゃんなんですけどね。
    わたし、ちょっとそろそろ本気でダメかもしれません。 多方面で積んでまいました。
    わずかながらまだ生きたかった。
    ブログだけでもお目にかかれて良かったです。有難うございました。

    • zyoken より:

      Tjueto様 コメントありがとうございます。
      文面からありとあらゆる手段を試しても詰みから脱出できないこと、周囲の人間や行政から見捨てられてしまっているのを感じます。
      私自身6年ほど前に詰み状態(無職、周囲の人間はみな就労状態)だった時に一部の友人から説教されたりに自分が動けば世界が変わるなんて言われたので就職以外の道を探してこのサイトの制作も含めて色々なことを試したのですが、結局大して変化はありませんでした。私自身に努力不足だと言われればやる気をなくすような人間なのでその程度なのかもしれませんが。
      私はこのサイトに書いた通り、これまでずっと死んではいけないと言われて辛かった身なので死んじゃだめだなんて言いません。ただ、最後に少しでもあなたの救いになれたのであればよかったです。