気持ち悪い人間、それは気持ち悪がっている貴方たちが作ったものですよ?

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最近の人間は自分が不快に思う物や人を目にするとすぐにキモいだの気持ち悪いだの言っている奴が多い。人間は顔、遺伝子構造、生まれる環境、親、名前、性別、障害の有無など・・・自分で選ぶことのできない要素がとても多いのにもかかわらず、そこを突いて気持ち悪いと言って馬鹿にする人間の多いこと・・・

馬鹿にされ続けた人間は心が折れてしまい、自己肯定感や自信を失う。そして性格も歪んで卑屈になってしまい自信を持てず大人になっても馬鹿にされる。特に多感な時期に馬鹿にされると自信を持てと言われてもどうしようもなくなってしまう。これはとんでもない悪循環だ。

この悪循環を作り出したのは・・・自分を普通だと思い込んで、気持ち悪いと感じる人間を気持ち悪がっている人間なのではないだろうかと考えるようになってきた。

なぜ人間には気持ち悪いという概念があるのか

なぜ人間に気持ち悪いという概念があるのかを考えてみる。私が思うに

人間の本能に美しさと醜さの概念が備わっているのが原因なのではないだろうか。

人間は綺麗な物や美しいものを見るとそれは綺麗だ美しいと感じる。逆に不気味な物や醜いものを見ると不快だ気持ち悪いと感じることが多いのではないだろうか。それは人間の本能に備わっている物とも言われているので意識しなくても無意識で感じてしまうのかもしれない。私も醜い美しいは本能で感じてしまうことが多々ある。そしてこれは人間の本能に基づいている思考のようなので止めたくても止めようがないのだろう。虚しいものだ。

汚い言葉が気持ち悪い人間を生む

だが、これを小声だろうと本人に向かって口に出して言うのってどうなんだろうって思う。気持ち悪いと言われた人間は自分のことを否定され、嫌悪され、馬鹿にされた結果何事にも自信を持てなくなって卑屈になっていく。そして卑屈なところを気持ち悪いと更に馬鹿にされ、本当に気持ち悪い人間へと変貌してしまう場合もある。

これって気持ち悪い人間を気持ち悪くないという評価を運よく得られた人間が作り出してるんじゃないだろうかと考えられる。自分は人に馬鹿にされる部分が大したことない箇所だからそれを棚上げして人をけなす。なぜそういうことをする人間は「色々な人間がいるから」、「ああいう人間は後で痛い目に合う」の言葉だけで許され、言われた側には強くなれよだの忘れろだの平気で言われるんだろうか。そういう強要ばかりされていたら性格だって歪む。因果応報だって本当にあるのかどうかわからないものだというのに。

こういう事を言うと鈍感力を身につけろとかいう奴は私からすればほんと馬鹿馬鹿しい。そういう奴は鈍感バカになれたからいいのかもしれないが些細なことで精神壊す人間だっていることを知ったほうがいい。

だから私は誰に批判されようとこう言ってやる。今お前たちが気持ち悪い、キモイなどと言っている人間はお前たちが醜い言葉で馬鹿にした結果生まれたものだ!!!本当に醜いのは人を欠点を平気で突いて馬鹿にすることのできるお前たちの方だ!!!

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