皆同じと言って同調圧力をかける奴は信じられない

Pocket

私は昔からなのだが

「○○(例:辛い)のは皆同じなんだよ。」という言葉を聞くと嫌な気持ちになる。

確かに生の基準であるはずの普通に生きることすら辛い現代では皆理不尽や辛さに耐えて生きているというのも間違ってはいないのだろう。

だが、だからといって死んでしまいたいほど辛い思いをしている人に対してそれを言うのはどうなんだろうなと考えるし、そういう風に平気で言える奴のことは信じられない。今日はそのことについて書いてみる。

結局自分が安心したいだけではないだろうか

前から何度も言っているが

人間の不幸の基準というのは個人それぞれによってものすごく差があるものだ。

小さなことを幸せに感じる人もいれば大きなことを達成しないと不幸だと思ってしまう人だっている。私はこの言葉を言う人間は辛いと発言している相手にこの言葉を言うことで自分にそれを言い聞かせて安心したいだけなんじゃないかとしか思えない。

皆同じという言葉を用いる裏には「私も苦労しているんだからお前も同じように苦労しろ」という同調圧力が見え隠れしているのを感じている。私はそもそも苦労っていきるために必要なことなんだろうかと疑問に思っている。必要なのは苦労よりも何かを学んで自分のものにするもしくは昇華させることなんじゃないだろうか?

人間は本来「皆違う生き物」のはず

人間は物事や見たものの対する感じ方や捉え方などは千差万別なもので誰一人として同じ考えを持つ者はいないと言われている。野球が好きな人もいればサッカーが好きな人もいる。車が好きな人もいれば電車が好きな人もいる。

辛いのは同じなんて言われたところで「そうなんだ自分より辛い人もいるのに何言ってるんだろう」なんて私は絶対に思えないし、そうを言われてしまうと自分が間違っているんじゃないかと心の中では動揺することもよくあるのだが、自分の考えを思い出すことで持ち直すようにしている。

それは私の考えがたとえ他の人から見ればおかしいものであっても私にとっては納得いく内容であるからだ。辛さの感じ方は人それぞれ違う。それが私が出した結論だ。勿論この結論はすべての人にとっての政界ではないことも理解している。

公正世界仮説を持ちだして辛さを訴えた人を説教をするのなら、私はその人間の事を信用することは永遠にないだろう。皆同じ思想を持っているなんて幻想に過ぎない。

私が考える励ましの言葉

大切な人に生きているのが辛い等と言われたら私は皆同じという言葉ではなく

「辛い気持ちを抱えているのね。それならどれだけの時間がかかったとしても心が回復するまでゆっくり休もう。」という言葉をかけると思う(思うなのは友人が少ないのもあって辛いと相談されたことはないのだが・・・)

辛い気持ちを平常の状態に持ち直すには時間の経過が必要だと思っている。ストレス源となる要因や原因と自分を遮断して思う存分休み、精神の状態を安定させることこそ必要なことなのではないだろうか。実際、昔の私は辛いのは皆同じという言葉に騙され、休まずに無理してやりたくもないことをやり続けた結果今でも死んでしまいたいと考えることがあるし、精神も中学生以降は安定したことはない。なので今では辛いのは皆同じという言葉を信じて無理してしまったのを今でも後悔している。

私は皆も辛いんだから貴方もがんばりなさいなんて言うよりもゆっくり休んで疲れを取って、少しずつ元気になっていこう。と言える人間でありたい。

スポンサーリンク
スポンサーリンク
スポンサーリンク

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする

スポンサーリンク
スポンサーリンク

コメント

  1. デルザ より:

    ずっと見てきましたがすごく共感できました
    私もいじめを受けてきた身なので・・・

    力ないな~男らしくない、ハキハキしろ情けない、ガリガリ~女の子みたい~ひ弱だね~、同名の人がいて「おいニセ者!」
    パシリ「ジュース買って来い」、運動系で足手まとい「役立たずノロマ、クズ、死んじまえ」
    思い出すだけで嫌になります。

    ただ・・・文面から見るにあのサイトをご存知でないのかな?と感じました

    「義務教育からの脱出」

    グーグルで検索すると出てくると思います
    なぜいじめが起きるのか?
    それは義務教育の目的が健全な人間を育てる場ではなく・・・

    社畜という名の奴隷を造るための生産工場
    低賃金でも文句を言わずに働く従順な労働者(ロボット人間)を育成するための養成所

    国や教育機関がまともにいじめ解決に乗り出さないのはなぜなのか
    これだけでピンと来るのではないかと思われます

    いじめ、ブラック企業、ブラック部活、格差社会、貧困、自殺、不登校、引きこもり、

    とにかくぜひ「義務教育からの脱出」をご覧いただければと

    いくつかの文面から自分は普通になれないダメ人間と書かれていますが
    そんな事はないと思います。そもそもいじめや自殺者を出す社会が普通なのでしょうか?

    あのサイトを見ればジョニー様もより自身を持てると思いますよ
    普通である必要なんてない!女子キャラクターが好きでも何も後ろめたく感じる必要などない!!!と・・・

    • zyoken より:

      デルザ様 コメントありがとうございます。
      パシリ扱いされたり、男らしくないと言われたりなど、辛い経験をなされたのですね。私も頼りない情けないと間接的に言われた経験があるので~らしくないという言葉は今でも好きになれないですね。そもそも~らしくないと言うのは自分の希望にそぐわないから、お前は適切な形に矯正しろという意味が込められた言葉だと思っています。
      義務教育からの脱出というサイトは以前死にたいぐらい追いつめられていた時に読んだ経験があります。多数派は正解でないこと、学校が全員の最良ではないなどいろいろなことを学びましたし、学校は反抗しないロボット人間の量産工場として機能しているという内容は共感しましたね(全ての内容に共感できたわけではないですが)。私が普通に慣れない~と書いてしまうのは周囲から悪い部分ばかりを指摘され続けたことと高校の時にいじめ連中に皆勤賞で復讐をすることを考えていたのですが卒業直前に倒れて1日に休んでしまい果たせなかったことがあるのでそのあたりから来ているのだと思います。