中学3年生。それは進路を決める重要な時期でもある。この頃になるとレベルの高い高校を志望するいじめ連中はいじめをしている余裕もなくなったのか私への態度も軟化しいじめもしなくなった。しかし、体育会系とレベルの低い連中、そして私を気持ち悪がる女性陣の攻撃は止むことはなく私の心をむしばみ続けた。このようなことが3年も続いたせいか、勉強の成績もこの時が一番最低だった。されたことも多くいくつかの記事に分けて記述することにする。
私が実際に受けたいじめ~中学3年生編その1~
クラス替えは中学3年生でもあった。そのクラス替えで私は最悪と言っていいクラスに配属された。そのクラスには友人はいたものの、1年生の時のいじめの中心人物と2年生の時のいじめの中心人物がいるという状況だった。中学3年生の時にやられたのは以下の内容である。私が受けてきたいじめの中では史上最悪の内容だった。話も長くなるのでそれぞれ項目を作って説明していこうと思う。
- 修学旅行で無理やり班長にされ、班員には不満をぶつけられて帰り道では公開処刑に。
- 授業中に筆箱を奪われ、近くの女子生徒の机に置かれる。
- 運動会の組体操で、タワーやピラミッドがうまく作れないときは男全員で私を責める。
- 自分の気持ちが進路どころではなくなり担任になった国語の先生と何度も口論に。
1、無理やり班長にされ班員に責められた修学旅行
中学校の修学旅行と言えば、どんな旅行を想像するだろうか?大半の人は学友たちと班を組んで歴史的建造物を見ることによる勉強も兼ねた楽しい旅行を想像する人が多いだろう。
しかし私の場合は違った。一言でいうと人間たちに責められ、笑われた最低最悪地獄の旅行であった。
まず私のクラスでは班決めの時から問題が発生した。私のクラスでは男女がそれぞれ3人ずつ好きな人と組み、その後男3人と女3人をくっつけて班を作るやり方だったのだが、私と班を組んだ友人2人が班の代表になってくれと頼んできたのだ。私は嫌だと拒否したが、友人たちは引き下がらない。友人たちの申し出を拒否し続けているとクラスの男連中と先生に睨まれたのでそこまで大きなことにはならないだろうと仕方なく引き受けた。その後、班を組んだ女性たちからも班長を押し付けられ正式に班長になってしまったのだった。
その後、私は必死に行ったこともない関西の時刻表を見ながら旅行の計画を立てた。私はリーダー職が大嫌いなのでうまく計画作成の指示が出せず1人の女性班員に執拗に怒られた。対して協力もしてくれなかったくせに。
それでも必死に計画を作り、提出するに至った。しかし、提出で問題が発生した。担任から1日目の計画表の帰りの電車の時間が別の時間に訂正されて帰ってきたのだった。西日本に行ったことのない私はこの時間の電車があるものだと思い、書き直して提出した。当日に悲劇が起こることも知らずに・・・
そして修学旅行当日。当日の朝旅行に行きたくなくて泣いた。だが、旅行を避けるすべもなく行くことになってしまった。
初日は奈良県の観光をすることになっていて、私は計画通りに班を導き、ホテルのある京都に帰ろうとして見回りの先生に連絡した。計画の時に立てた時間の電車で帰ることを告げて・・・しかし先生からの言葉はこうであった。
「その時間の電車はありませんよ。」
この言葉を聞いた瞬間私の頭に絶望の文字が浮かんだ。駅に行って先生と話すと私が計画で修正した電車は本当になく、有料の特急電車で帰る羽目になってしまった。そうなったせいで計画作成の時に指示できなかったことを怒ったのと同じ女性班員に怒られた。当然ながら私は計画書を修正して帰してきた担任と対して協力もしてくれない女性陣に怒りを覚え、それに反論できない情けなさから落ち込んだ。
友人2人は「元気出してよ~」などと言っていたが、だったら班長を押し付ける真似なんかしないでほしかった。
その後、2日目も怒られまくり、旅館の部屋へ行けば同室の男どもに部屋の隅に追いやられて暴力され安堵すらも奪われた、食事の時は食いすぎてんじゃねーぞデブと罵られ(この旅館の料理はすごくまずくて私は嫌いだったのでそんなに食べてなかった)、散々な状態で最終日を迎えた。この最終日こそ本当の地獄だった。
2、名札1枚で公開処刑にされた私
私の中学校の修学旅行では個人情報保護のために旅行中は名札を付けないようにする決まりがあった。そのため、名札は各自で管理をしていなければならない。最終日、新幹線に乗って帰るときの京都駅でのこと。整列したのち、教師のうちの1人からもう帰るから名札を着けるように言われた。次々と名札を取り出して着けていく同級生共。最終的に名札が見つからなかったのは私だけだった。私は焦って名札を探したが結局出てくることはなかった。
- そんな名札が見つからず焦っている私をあざ笑い馬鹿にするいじめ連中共。
- そんな私を相変わらず気持ち悪がる女性陣。
- そんな状況を見てものんきに「お前は名札失くしたからお菓子抜きね。」とぬかす教師。
これが公開処刑なのかと思い泣きたくなった・・・いっそこの場で死にたいとも思った。その後は死んだような気持ちで家に帰った。いじめ連中と教師と女性陣、必要な時に出てこなかった名札に怒りと恨みを吐き出しながら・・・
ちなみに名札は家で私の鞄を整理した時に出てきた。私は名札を失くしていなかったのだ。しかし、とてつもない怒りに襲われ、気づいた時には名札を木っ端みじんに破壊していた。
これが私の修学旅行という名の地獄旅行である。こんな地獄の修学旅行を経験した身の私から言えることは以下のことである。
- 学校でいじめを受けているのなら修学旅行なんか行かないほうがいい。受験勉強してるほうがまだ有意義だ。
- 教師なんかあてにならないし信用もできない。いくら真面目に生活しても気に入られてなければ名札1枚で信頼関係は崩れる。
- 班員が信頼できない限りは班長にはなるな。
以上の3つである。今でも中学校の教師やいじめ連中、女性陣への恨みや怒りは消えない。私にはこの頃教師になる夢があったが、この修学旅行をきっかけに止めた。あんな1人をいじめて他全員を安定させる人間になんかなりたくないと強く思ったからだ(とはいえこの直後あることがきっかけで教師になろうと思い直してしまうのだが・・・こっちの気持ちは大学1年で教職課程を取ることを辞めることにした時まで続いた)。中3時代のいじめは他にもあるのだが、それはまた次の記事で。