自殺は世間一般的には悪いこととされている。が、日本では年に3万人の人間が自殺している。これがどういうことだか人間たちはわかっているのだろうか。
このことは私から見ても明らかに異常であると言える。3万人もの人間が自ら命を絶っているということであるのだから自殺する人間が0になることで初めて日本が平和な国であることが証明されるのではないだろうか。自殺する人間や殺しをする人間が続出しているようでは平和であるとは言い難い。
私は自殺した人間が悪いとは言い切れない。死にたいぐらい辛い目にあっても寿命で死ぬまで耐え続けろというのはおかしいことだと思う。現代はただでさえいじめやパワハラ、生きるハードルの上限の高さから考えてもどれだけ頑張っても普通に振る舞えない人間なら死にたいって思うこと自体がおかしくない事だと言える。今回は私が自殺が悪いことだと言い切れない理由について書こうと思う。
死にたいという感情は誰の心にも生まれる可能性がある
自殺いう行動を起こすきっかけになるのは死にたい、死んでしまいたいという強い気持ち、いわゆる希死概念である。これはどのような人間にも生まれる可能性があると言え、自分はうつや自殺とは無縁であると断言しているような人にだって陥る。
きっかけは様々で失恋だったり、会社をリストラされることだったり、いじめを受けたりなどそのきっかけがいつ自分にめぐってくるかは分からない。きっかけが来るのは明日かもしれないし、10年先かもしれない場合もある。
希死概念を抱いたことのない人にはわかりづらいかもしれないが私が希死概念が発生した時は数日間頭から「死にたい」という気持ちが離れなくなる。それを放置しておくとその気持ちは「死んでしまいたい」に変わり、最終的には「死ななければならない」という強迫に変わる。そして最後の一線を越えた人間は自殺してしまうのである。
それでも私は自殺は悪いことと思えない
死にたい気持ちが頭からなかなか離れない私は自殺を未だに悪いことだと思えないし思いたくもない。自殺したいと思っている人は8割が本気だと思う。たとえ死にたいと言い続けている場合でも少なからず死にたい、消えてしまいたいという気持ちは持っていると思うからだ。
自殺というのは本当に追い詰められた人間が問題ごとに対してもう対処できる方法を全て試してもどうしようもないから最後の手段として実行してしまう場合が圧倒的に多いと思う。
どれだけ働いても生活できない
いじめにあっても攻撃は収まらないし転校できない
相談しても適切な回答を得られるどころか批判される
そして挙句の果てには問題が改善しないのは本人が適応するための努力が足りないからだと説教される・・・こんな状態では自殺する人が減るはずもないだろう。この様な説教を受け続け、常に死にたいという気持ちに取りつかれていた私はだからこそ自殺は悪いこととは言い切れないのである。
自殺した人間は一般的には悪であると言われて生きているうちに相談すればよかったのに、○○(自殺原因)ごときで死ぬなんて情けないと死人に鞭打つごとく批判され、自殺をこれからしようとしている人間に向かって自殺は良くないという言葉でただ止めるだけの対応をする無責任な人間が多い。
その人自身が様々な対処をしてもどうしようもなかった場合だってあるかもしれないのに。
自殺しようとしている人間が現在進行形でいじめにあっている場合、自殺は良くないの一言で止めた場合、止めた貴方はその自殺しようとしている人間の気持ちやその後を背負う覚悟があるのだろうか?そのような人間は無責任に自殺は良くないという言葉を投げかけて、生きると決めたのならあとは自分で何とかしろなどと言うスタンスを取る偽善者ばかりである。
自殺を止めるのは自殺したいと思っている人の気持ちを聞いてしっかり理解し、しばらくの生活をサポートしてやるぐらいの気持ちを持っている人がやってほしい。俺は自殺を止める役割をしたんだからあとは自分で何とかしろとかいうスタンスの奴は止めるな!!!死にたい人の気持ちも理解しないで死ぬなという言葉だけをかけるだけのやつは偽善者ですよ?
自殺は悪いと特に理由も考えずに一方的に言うだけの人間は頭のおかしい私以上におかしい奴にしか見えない。どうしても自殺を止めたいという人間はこの機会に自殺したい人間の気持ちについて色々調べて考えてみたらどうだろうか?というか他人の自殺を止めたいならそれぐらいしなさいよって話です。