人間は目が肥えすぎて不満が溜まると叩きに走る

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人間という生き物は良い食べ物や高級な食品をを食べ続けると舌が肥えて不味いと感じるものが増える。私はそれは目でも同じではないだろうかと考えている。

最近のアニオタの一部はリメイク作品に少しでも不満や欠点があると今の人間は新しいものを生み出せない、オリジナルの方がよかったと懐古厨に変貌して叩きに走る人間が多い。ここ最近リメイク作品が増えてきたのもあってそんな意見を目にすることが増えている。こうなってしまったのは

視聴者側の目が良いものを見続けることで目が肥えその結果不満が生まれて叩きに走るようになるからではないだろうか?

今回は私がそう考えるようになった理由を書いていくことにする。

リメイクはオリジナルを超えて当然という過剰な期待

リメイク作品は当然ながらオリジナルが放送されてから10年、20年後に作られていることが多いため、オリジナル版の放送当時よりもアニメ作品を作る上での作画力や演出技術も上がっていて当然である。これによって

視聴者側は無意識のうちにリメイクはオリジナルと同等かそれ以上の作品であることが当然という過剰な期待を持っていると考える。

また、昔の作品は当時使用することができた技術を最大限に生かして作品を制作して、ストーリーも丁寧に作られていることが多い。そのため、オリジナルを視聴した思い出が強く残っている人間たちは特にこの傾向が強くなる傾向にあるのではないだろうか。私も女子キャラ研究初めてもう十数年近いので自分がそんな醜い存在にならないように注意しているが、まあ私の見ている女子キャラアニメがリメイクされることは永遠にないだろうからその心配もあまりないけど。

そのオリジナルを制作した先代の偉大さをプレッシャーを受けた制作側が迷走してストーリーが変な方向に動いたり、まとまりのない話になって不満が出てきたり、最終的には適当に終わらせたりするようなだしたり

そもそもという馬鹿者も結構いるが、メジャー作品にしか目を向けないからではにだろうか?探せば私が理解できないような世界観の作品やなども結構ある。まあ私も作画もストーリーもどうでもいい、この女子キャラがいるからこの作品みるというやり方を十数年やってるから人のこと言えないのだが。

目を肥やし叩いたところでそこにいるは醜い自身

私は良いものを見ること自体は良いことだと考えている市自分の世界を広げるのにも有効だと考えている。しかし、良いものを見すぎて眼を肥やしそれより悪いと判断したものを情けないと決めつけ叩きに走ったりする行為はどうなのだろうか。例え有名なものに比べて劣っているところがあったとしてもそれをオリジナルはここが良かったのにリメイクダメダメだな情けない・・・などとSNSで偉そうに言っているのを見るとこいつは何のために作品を見ているのだろうと呆れてしまうこともある。

この世界にはリメイクもされずに埋もれてしまう作品が数万はあるだろう。私の見ている作品なんかほとんどそうなる。それらに比べればリメイクを施された作品は今の技術を最大限に生かしたまたあの時のキャラに会えるようになる。それだけで十分な奇跡だと思うのだが。

自分の意見をSNSで公式に投げつけたところで何も変わることはないだろう。私もイナズマイレブンとかポケモンの時がそうだった。最近では恐ろしさに展開を変えてしまう過激な信者に媚びる公式もいるそうだが・・・その時点で自分の考えを曲げることを選んだのだから創作者としては失格だろう。

オリジナルとリメイクを比べて叩きに走る人間は自分が公式に過剰な期待を押し付けるだけの醜い存在になり果てていることを自覚した方がいい。

目が肥えすぎるのもいいことばかりではない。私はそういう人間は相手にしないようにして公式には期待せず自分の推した子を信じてこれからも進んでいくつもりだ。なかなか難しいところではあるが。最終的に目が肥えることとあまり関係ない内容になってしまったのはすいません。懐古な人間が私はそれだけ嫌いだということなんだろうけど。

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