「死にたい」は生きるのがつらい人間が出すSOSだと思う

Pocket

私もそうだが、人間は追いつめられると死ぬことを考えてしまうことが多い。死にたい理由はたくさんあると思う。いじめ、能力不足や人間関係による環境への不適応など挙げればきりがない。生きていられるなら詰んだことにはならないという人間もいるが死にたいと思っている人間にはそんな判断や考えはできない。

そんな状況を私は3年近くも続けている。この3年のうちの9割は死にたいという気持ちが消えたことがない。この死にたいという気持ちは死にたくなってしまった人間が出しているSOSではないかと思うのだ。今日はこのことについて書いていく。

私が死にたいと思ってしまう原因

死にたい理由は人それぞれではあるが、例として私が死にたいと思ってしまう原因は以下のようなものが挙げられる。

・障害枠で求職を初めて2年近くがたっているが全く成果がでないこと。周囲の人間やに常に気を使い、気を張って過ごさなければ悪い気持ちになってしまう。

・いじめの憎しみによる記憶。簡単に消せるものではなく今でもいじめ連中のあざ笑う声が鮮明に聞こえる。

・私の考えやこだわり、価値観を非難されることがつらい。

・金銭面の不安。無駄金を消費するぐらいなら死んだ方がいいと思ってしまう。

・普通の人間レベルの処理速度や器用さ、世渡りの力を持っていない。仕事をしてもすぐにぼろが出て会社に居づらくなる。

・図太くしたたかな人間や悪いことしてもヘラヘラする人間に嫌悪感を持っているのでどこでも力を抜くことなどできない。

この通り思いつくだけでもこれぐらいはある。一番下は気の持ちようで自分もそのように振る舞えば精神負担を減らして生きていけるという話もあるが、運動できない部分を補うために真面目一筋でやってきた私からすれば無理な話なのである。

こんなので死にたいと思うのは贅沢だ世の中には難病にかかっていて早く死んでしまう人もいるのに!だの、飢餓や災害で苦しんでいる人に比べたらお前はまだましだだの、

お前死にたいって思ったことないだろ?それだけ順風満帆なんだろうなお前の人生。そもそも不幸なんてものは人のさじ加減によって違う。お前からすればいじめで苦しんで自殺する人間の気持ちなんて一生わからないだろうな。

 死にたいという言葉は人間が出すSOS

そんな私は死にたいを人間特有の苦しさが出すSOSだと思っている。そもそも横暴な人間が好きな弱肉強食理論に基づけば、死にたいなんて言っている人間が死のうが強い者に分類されている横暴な人間にとっては関係ないはずである。そんな人間に向かってお前よりも苦しんでいる人がいる云々とか言われたところで何も響かない。

船にSOS信号が装備されているのと同じで、人間だって辛い気持ちが積み重なればそのような機能があると思う。悪者に襲われているときや命の危機にさらされているときに助けてくれと言っているのと同じようなものだ。

このSOSを通り越し生きることへの絶望が希望を超えたとき、人は自殺するのだろう。

それなのに大多数の人間は死にたいと言ってしまうほど苦しくて苦痛な本人の意思を無視して死んではいけない、もっと苦しい人間に比べたらましだ、いじめの記憶なんかにぐずぐずしてないで社会に出ろなどという誹謗中傷を浴びせる人間の多いこと。

いじめやパワハラが人の精神を破壊し、その後の人生に大きく悪影響を与えるということはすでに精神障害に陥る無数の人たちがいることですでに証明されている。いじめやパワハラに合わないよう気を付けても、運悪くそのような環境に当たってしまうことだってある。

世の中に色々な人間がいるとはいえ、それを利用していじめを肯定するような人間が公認でいじめを働くから精神に異常をきたした人間が死にたいって言い出すんだろうが!そうやって追いつめておいて自殺しようとしたら俺たちに迷惑がかかるからやめろって何様のつもりなんだ!横暴にもほどがある!人に向かって成長しろ大人になれという前に、自分の意に沿わない者に陰険な攻撃をする自分たちが成長したらどうなんだ!

死にたいと思う人間が地球上からいなくなる日・・・来ないかもしれないが私はその日が来るのを祈っている。

スポンサーリンク
スポンサーリンク
スポンサーリンク

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする

スポンサーリンク
スポンサーリンク