オタクにしない育て方なんてないのではないか

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最近子供をオタクにしない育て方と書かれたサイトを目にした。それによるとオタクに育てない方法としてはオタクに該当する人間が育てない、禁止・規制せずに普通に作品を見せていけば自然とやめるなどの意見があった。

しかし私はそれらの育て方がなんか違うように思えてくる。実際私は特に規制されずに幼少期からポケモンを育成し、小学校時代はロボットアニメを見る日々を送っていたが、そう言った環境にありながらも止めることもなく立派に女子キャラクターの考察や研究をする人間になってしまったからだ。

そんな私は完全にオタクにしない子供の育て方なんて存在しないという結論に行きついている。なので今日はオタクにしない育て方について思うことを書いてみる。

オタクにしない育て方なんてないと思う

子供をオタクにしない育て方なんて言われても私は

そんな育て方は存在しないと思うのである。

人間というのは親や身内だけでなく周りの人間の影響を大きく受けて育つ生き物である。もし付き合っている友人がアニメ・ゲームオタクでその友人から勧められ、そこから興味を持ってしまう可能性だってあるのだ。それを考えれば絶対にオタクに育てない方法なんて不可能ではないだろうか。実際、私の友人から全く興味のなかった友人の友人にオタクコンテンツを勧めてはまらせた(いわゆる布教という奴か。私はやったことないが)という話を聞いたことがある。

それ以前に、オタクに育つことの何が悪いのだろうか。自分が自信を持って没頭できるものを持つことは自己肯定に繋がり、心無い人間がしてくる攻撃から身を守る手段になることもあるし、有名なことでなくとも詳しいことがあるというだけで強みになることもあり人生を充実させることだと思う。

レッテル貼りを気にしている人間も多いのだろうが、私から言わせてもらえばそんなもの気にして強みのない子供を育てるぐらいなら、興味を持てることをやらせてあげろと言いたい。

また、人間という生き物は皆何かしらのオタクであると私は思う。スポーツに詳しい人間はスポーツオタクであるわけだし、ファッションに詳しい人間はファッションオタクである。オタクという言葉はなぜかアニメなどにばかり使われるが、本来はもっと広い意味を持っている言葉のはずだ。

それとサイトに書かれていた人間の種類をオタクかそうでないかに分けている2極論はおかしい。人間は本来皆違う生き物でこの国の場合同調圧力や同じことに従うことで似たように見えているだけだろう。それに馬鹿にする人間の多いこと・・・

オタクの種類なんて幅広いものだと言うのに、深夜アニメや美少女系コンテンツだけ敵視して分けようとする傾向のある人間はほんと嫌な生き物だと思う。

ネットの記事に翻弄されず本当に大切なことを教えよう

ネットの記事なんていうのは、研究者や専門家が書いている物を除けば私からすればその多くが役に立つことがない。そもそも書き方自体が本当にライターをしている人なのだろうかと思うぐらい特定の物や人物を煽り対立を促すような内容のものも多い。

私自身、今になって女子キャラがメジャーになったように見せかけて、実際は更に生きづらくなったのではないかと思うことが多い。

私も十数年ほど前のまだ情報の発信の仕方が分からなかった消費型のオタクだった頃は金に余裕さえあれば頻繁に秋葉原へ足を運んでいたし女子キャラの生息地である元気になったしここは自分がいてもいい場所だと思えた。でも今はもうそんな気持ちは微塵にも感じず秋葉原に行っても居場所だと感じることはない・・・今この事は関係ないかもしれないが。

人間は好き嫌いがあり、自分が好きであってもそれが嫌いである人間には嫌われてしまう。だったら子供をオタクになるかどうかなんて気にせずに人間として生きるにあたって大切なことを教えるよう育てればいいのではないだろうか。

私はオタクであっても生きる上で大切なことを知っていて相手を思いやれる人間の方が考え方が標準でも気に入らない相手に対して嫌がらせやいじめを行う人間よりも好感が持てるし、そういう人間であれば交流したいと思える。大切なことを教えて育てることによって相手を馬鹿にする事しかできない人間よりも立派に育つはずである。

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