年相応の生き方を勧める奴は思考停止人間でしかない

Pocket

人間の中には年を取ると

あんたいい年にもなってまだそんなことやってるのか。などと平然と言ってくる奴がいる。

私はこういうことを聞くたびになぜ人が好きでやっていることに口出すのだろうかと思うばかりだ。今回はなぜ多くの人間が年相応の生き方を強要するのかを疑問に思っていることを含めて書いていこうと思う。

私は何歳になっても女子キャラクターと関わりを持ち続けたいと思っている

私自身もいい年して女子キャラクターの研究をやっている年相応の基準で見れば大きく外れたようなことをしている人間だ。しかし、私自身の意志は人間共が何を言おうと死ぬまで女子キャラクターと関わりを持ち続けたいと思っている。

そもそも私は女子キャラクターをあまり恋愛や性の対象として感じていないし、人間は年齢が何歳であろうと本当に信頼できる存在以外は大嫌いなので恋愛方面で興味を持つことはないと思っている。結婚もする気はない。

だが、人間たちはそんな私を異物・異端扱いするのは目に見えている。人間たちの普通の基準で言えば中年以上の年齢になった人が女子キャラクターについて興味を持っていることは異常なことであるという暗黙の了解が渦巻いているからだ。

例え、私が現実の人間は嫌いだから手を出すつもりなどないなどと言っても無駄だろう。今でも誘拐犯が逮捕されると犯人が所持していた女子キャラクターのグッズが映される差別的な報道は完全になくなっていない。

楽しみを持たずにいる人間は面白みがない

私は人の楽しんでやっていることに年相応云々と口を出す奴は

きっと楽しみを何も持っていないであろう面白みのない奴だなと思うのである。

楽しみも持たずに金を稼ぐためにだけ生き続けるのは私には耐えられない。たとえ友人が多くても、いい家に住んでても、高級品を大量に買うことができても、高水準な環境のおかげで長生きができたとしても私からすれば全く面白くない人生なのである。私は長生きよりもさっさと死にたいと思うこともあるぐらいだ。

人のやっていることに口を出したり、自分と比べたり、異物扱いしている暇があるのなら、やって楽しいと思うことを探したほうが精神にもいいと思うのである。無理して病気になったり、身体を壊してしまったりしては元も子もない。

そういう人間に限って俺も差別されて辛い思いをしていたからこそ道を踏み外してほしくなくて言うんだとかいうけど、そういう目にあっていたのに逆に追い詰める立場にたって追いつめて傷つけてどうするの?馬鹿じゃないの!そんなのはいじめを受けていたけど、その後は加害者側に回った人間と何も変わらない。

全員が高水準な生き方ができるのであればこの地球上からすでに格差や差別がなくなってなければおかしいだろう。一つの物事に対して頂点を目指しても落ちてしまう者はいる。それならその辺の人間に何か言われようとも私は私だけが歩ける道を探して色々な物事に挑戦していった方がよっぽどいい。私の尊敬する円堂キャプテンもこう言っている。

「自分の大好きなものに嘘をつくな!」と。

歳相応に従った生き方は可能性を潰す

私は若者でも自分の言いたい意見は主張していいと思うし、中年になっても派手な服を着てもいいと思うし、高齢独身者であっても恋愛してもいいと思っている。それにどれも素晴らしい選択だ。

それに歳相応なんて言葉に従って自分を無理やり型にはめる生き方をしたら自分が持っている可能性が潰れてしまうのではないだろうか。確かに型にはまるのは楽だろうし、嫌われることも少なくなるだろうし生きやすくなるかもしれない。

しかし、それで本当に充実した人生を送ることはできるのだろうか。歳相応になることで得られる生きやすさの代わりに今度は自分に嘘をついて生きることになるので、結局生きづらさから抜け出すことはできない。

自分が今何歳かなんて気にしなくていいのである。まだ早い、今更遅いなんて思わなくていいから自分に正直になろう。好きなことをやることが楽しさを生み出すと思うし、生きる活力にもつながると私は思うのである。面白くない人間よりも面白い人間になろうじゃないか。

スポンサーリンク
スポンサーリンク
スポンサーリンク

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする

スポンサーリンク
スポンサーリンク

コメント

  1. 一力 篤史 より:

    確かに好きなこと又は趣味を時代遅れとかまだやってるの?気持ちが悪いていう人たちいますよね
    人の好きなことの気持ちも知らずに、なんでこういうこと言えるのかなて思ってしまいます

    やはり一般の人たちはその世間一般の趣味と言っていいのかわかりませんが、(例えていうなら恋愛などのドラマや音楽、車、スポーツ、オリンピックですかね?)に夢中というか人に合わせることで批判されないと思っているのかなて感じます私としては、もちろん趣味としてやっているならそれは私は構わないですし、卒業しろとか、批判の言葉はかけませんね
    ただ私やジョニーさんの好きな事、趣味を卒業しろだの、やってることが異常だの言って差別するまたは批判するのは、私が言っていいのかわかりませんが、人としてどうなのか?そんなこと言われたらどういう気持ちになるんだ考えろて言いたくなりますね

    • ジョニー小林 より:

      一力 篤史様 コメントありがとうございます。
      私も学生の頃自分のやっていることを卒業したほうがいいと教員に言われたことがあります。とはいえその時に卒業したほうがいいと言われたのはポケモンの育成関係ですが。結局卒業せずに今でも3DSでポケモンを育てる日々を送っています。その頃は私に向かって非難をする人間ばかりでしたが、近年はポケモンgoのおかげで老若男女問わずプレイされるようになったので卒業しなくてよかったと思っています。
      趣味っていうのは本屋に行くと様々なジャンルの雑誌があるのを見るとわかりますがコアなものもたくさんあって、私たちの知らない場所で色々なことが行われています。趣味趣向だけで犯罪者予備軍とかいう人間については正直、非難していないで自分の好きなことでもやったらどうだとか言いたいですが、逆にそういう人間は好きなことがないから人を叩くことを生きがいにしている暇人なんだな・・・と呆れますね。

  2. 藤木のび太 より:

    私も年相応の生き方、つまり大人な生き方はできないし、したくありません。

    大人はプライドを捨て個性を捨て世間に合わせなければならない。
    皆同じ顔。皆同じ考えで一糸乱れず行進を続け場の空気を保つ。それが社会性。
    何が楽しいのかさっぱり分かりません。
    さすがに人間一人一人は違和感を感じているようなのですが・・・。

    ネットを見れば「くだらないプライド」を捨てろという言葉ばかりですが、
    私にはむしろお前らがプライドを捨てすぎとしか思えません。
    弱者や不祥事を起こした人を徹底的に叩く奴こそ、
    その「すばらしい自尊心」を捨てろと言いたくなります。

    • ジョニー小林 より:

      藤木のび太様 コメントありがとうございます。
      私は好きなことを捨てるのなら世間が褒めるような大人になんてならなくていいと思いますね。全て同じ格好で同じ考えで一糸乱れぬ動きをする人間など私から見れば異常そのもの。その影響で今でも運動会や体育祭は練習をしている風景ですら見たくもないですね。そんな立派な(自称)人間たちの集団に認められたところで一時的には満たされる可能性はありますが、心から満足することは永遠にないのではないかと思います。
      プライドですか・・・私はプライドをあまり意識したことがないのですが、女子キャラクターの研究に対してはであった子たちそれぞれに対して誇りを持ちながらやっていますね。誇りを持っているからこそ、自分は相手を加害するような立場には立たないようにしようと心がけています。

  3. 二次元だけが癒し より:

    たしかにこの国は年齢差別が異常ですね。昔、質問サイトで40代ぐらいの人が大学に行ってみたくなったと相談したところ、非常識だの、年齢を考えろだの罵倒が飛び交っていました。
    本来学ぶ事に年齢は関係ないはずなのになぜそこまで年齢によって区分するのか
    年齢で生き方を決め、それから踏み外せば人生終了という考え方がこの国の生きづらさの原因の一つだと思います。

    • ジョニー小林 より:

      二次元だけが癒し様 コメントありがとうございます。
      年齢差別、非常に激しいですよね。私は年齢で生き方を決めてしまうと、人生の楽しさが激減すると思っています。やりたいことがあるのならばやって後悔したほうがいいです。そこから新しいものが生まれる可能性もありますし、これまで素晴らしい発明や概念を生み出した人たちは年齢など関係なしに自分の興味があることを突き詰めたからこそできたのだと思います。
      大学は年齢など気にせず勉強したいことがあるのならばぜひ行った方がいいと思います。むしろ大学に入っていい会社に入社しなければならないという考えに支配されている若い人間たちよりも合格しやすいかもしれませんし、近年ではそれぐらいの年齢の方が大学に入学しているということも珍しくはないです。罵倒した自分の年齢に適応している人たちの方がはるかに非常識であると私は思いますね。