私と過食と減量の話

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私は昔から体重が平均よりそれなりに重い人間であるのだが、最近減量活動をやっている。

とはいえライザップをやるとかジムに通うなどということはしていない。私がやっている減量活動は過食をせず、野菜と多少の肉と麺を食べ、日課であるスクワットとウォーキングをするということだけだ。

今回はなぜ長年過食を続けて太い体系を維持(とは言わないか)してた私が急に減量に取り組み始めたのかを経緯も含めて書いていこうと思う。

私の過食はいじめ後遺症などから来るものだった

ここでは何度か書いているが私は今でもいじめ後遺症に苦しんでいる人間である。

私の住んでいる地域は大したことのない田舎だったこともあって、転校も不登校も許されなかった。今でいえば私は苦登校児だったのだろう。教員に相談しても解決しなかったし、味方と呼べる味方もいなかったので完全に八方塞がりだったと思う。

当時は同級生やいじめ加害者に否定されてばかりだったので教員から良い評判を貰うのに必死だったが、結局教員にいい評価をもらったところでいじめは解決することはないし、被害者が自殺などの取り返しのつかない行動をしない限り加害者は許されるのである。

多大な後遺症を抱えフラッシュバックで苦しんだ私にとって唯一それに抵抗できる手段が自分が美味しいと思うものを大量に食べることだったのである。

少なくとも食べている間は苦しい思いを忘れることができた。また、健康診断でほぼ肥満判定しかもらったことのない私が唯一普通判定を貰えたのは中学1年生の春の健康診断野とかだけだった。もし中学校が悪い環境でなければ・・・いや考えても無駄か。

また、私の過食は嘔吐はなく、大量の食べ物を詰め込むというようなタイプでもなく、自分の好きなものを満腹になるまで食べ続けるというものだったが、元々栄養吸収率の高い体質だった私にとってはそれでも効果が大きかったようである。

人間にはそれぞれ身体に限界がある

だが、人間という生き物は人それぞれ違いはあれどエネルギーや脂肪を身体に溜められる限界というものが必ずやってくる。

私の場合過食を続けたがために、学校の健康診断で初めて血液検査をした結果脂肪肝になっていることが判明。肝臓gptの数値もかなり高い状態でその時には106程だったと思う(本来の健康的な数値は30ほど)。この時点で私は体重が100kgを超えているわけでもなかったが皮下脂肪よりも内臓脂肪が付きやすい体質であることが判明し、医者にこれ以上増えたら肝硬変になって死ぬと言われたぐらいだった。

その時は学生時代で余裕もあったので一時的に減量活動をして重さを減らし何とかなったが、卒業研究や仕事、障害者支援施設での活動がうまくいかないことなどが重なって過食が悪化し、リバウンドしてまた健康診断を回避するためだけの減量をするという状態を繰り返していた。今思えば好きなものを好きなだけ食べるということが私にとっての心の支えになっていたのかもしれない。

今減量に取り組んでいるのは人間への失望から

減量やダイエットを始めるきっかけというのは人それぞれ違う。恋人に体系を理由に振られた、周囲の人間に差別的な視線を向けられたので見返すためなど様々だ。

私の場合人間が無意識で向けてくる差別的な視線に疲れたという分かりにくい理由だったりする。説明すると人間のほとんどにはなぜか

太っている=健康管理ができていない=(邪魔などの理由で)差別しても構わない

という暗黙の了解のような考えが存在している。現にネットを覗けば

太っている人間は幅を取るからデブ税を導入しろだの悔しかったら痩せてみれば?というような挑発だの不快にしかならない言葉が大量に転がっている。

気にしなければいいのだろうが、私の場合はそういうわけにもいかないタイプなのでこのような言葉にはかなり苦しめられたのも事実だ。世の中には太っている人間を好むいわゆるデブ専の人間もいるらしいが、私はそういった人間には一人たりとも現実で出会ったことはないので都市伝説だと思っている。

私自身もそこまで体系は気にしている人間ではなく、正直人間嫌いなので自分や他人の体型など痩せていようが太っていようがどうでもいいと思っている。これまで痩せる事へのメリットとして聞かされたものは以下の事があるが、正直どれもメリットを一切感じない。

・痩せることでイケメン化しモテる・・・人間が嫌いなのでモテても嬉しくない。そもそも痩せても顔面が良くなるわけではない。

・痩せることで健康になる・・・生きることに積極的でもないし執着しているわけでもないので、健康になったところで女子キャラクターの研究以外にすることはない。

・馬鹿にされていた人間に認められる・・・これはもうアホなんじゃないかと。見た目で人を平気で馬鹿にするような人間に認められて何が嬉しいのか。その人間にとって都合のいい存在になるだけだなんて私は嫌である。

・自信がつく・・・自信を無くした理由は体型とは別の場所にあるので痩せたところで自信が戻るとは思えない。

私は上記のような無意識の差別や日本の人間に多い過剰な痩せ賞賛を聞き続けるのに疲れてしまい、減量してしまえばそのような声を聴いても問題なくなるのではないかと思い減量に取り組むことにしたのだった。簡単に言えば人間への失望が減量への原動力なのである。

それと同時に過食したところでストレスが消えても肝臓に脂肪がたまって身体がだめになるのなら過食したところでどうしようもないのではないかという考えも生まれ、食への興味が一気に失せてしまい何年も苦しんでいた過食が自然と止まった。

今回の減量が2か月以上も未だに取り組めている要因としては、2年間続けていたウォーキングと立ち仕事の勤務とのおかげで足の筋力がそこそこ鍛えられていたという下地があったのが大きかった。ウォーキングと勤務に加えて、スクワットも加えたことで足の筋肉が締まって以前よりもスマートになり、足が疲れにくくなったという実感を得ることもできた。

私は急激に太ったタイプではなく、元々太い体型をしていたタイプが緩やかに太ったというパターンだったこともあり、80kg近い体重を長年支えていたこともあって、スクワットやウォーキング、立ち仕事などで足を壊すということがなかった。減量を始める直前までに感じていた体調の悪さが現在では一気になくなり身体が楽になったのも事実だ。

私は太った人間に安易に痩せろと言うことのない存在でありたい

私が今回健康診断を回避するためでない本格的な減量活動をしているのは今回の件で肝臓の危険や差別による不快感を感じたことがあったからであり、決して前向きな理由で痩せてかっこよくなろうみたいな気持ちがあったわけではない。ただ単に人間の差別感情やバッシングに対して呆れて面倒になったという面白くもない理由があったからだ。

そもそも体型に関する差別があれど100kg以上太っていても命や健康面や生活面に問題がない、差別を特に気にしない、健康じゃなくてもいいと思えるのであれば無理して減量活動する必要はないと私は思っている。体型への価値観だって人それぞれだろうし、痩せているから偉いと言うことは絶対にない。

私は今後、更なる減量に成功したとしてもリバウンドしたとしても太った人に健康のために痩せろ!と安易に言わないようにしたいものだ。それが相手を傷つける可能性は十分に考えられるのだから。

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コメント

  1. 一力 篤史 より:

    私もストレス溜まってしまったとき(特に普通の奴らから批判やいじめなどのフラッシュバックのストレスが多く)は食べることが多かったですね
    運動とかは苦手なので、自分にとって唯一の発散方法でした

    確かに痩せてる方がイケメンとかよく聞きますがこれについてはちょっと納得いかない部分があり何て言うのか差別を感じました

    ただお恥ずかしいことなのですが、
    私、相手に対して体型を武器に言い争ってたことがありまして(言ってしまった理由としては、自分を馬鹿にするような発言を言われて言い返したり、発達障害の特性で傷つけるつもりはないのですが思わぬ発言で相手を怒らせり傷つけてしまったことが多かったです)
    今思うと何てこと言ってしまったとか色々後悔はしています
    申し訳ありません

    私は健康でいられる範囲バランスとれれば私はいいと思います

    安易に痩せろていう連中は人生を満足していない大馬鹿者だと思います

    • ジョニー小林 より:

      一力 篤史様 コメントありがとうございます。
      食べることは生きるために必要なことですので、好きなものを満足するまで食べ続ける過食は手っ取り早く幸福を得られ、過ストレスを消すには手軽でちょうどいい方法なのだと思います(もちろん食べること自体を苦痛に感じる人も存在しますが)。
      太った人間への体型差別はもはや人間の本能に太っている=健康管理ができていない=非難してもいいの公式が出来上がっており、安易に痩せろと言ってくる人間はそれを完全に正しいと盲信しているようにも見えます。この主張をする人間は相手にしても話にならないことも多いので放置しておくのが最適です。相手の体型を非難した経験があるようですが、それを後悔し反省しているのならその気持ちを忘れずに今後は体型を馬鹿にするような発言をしない様に気を付けていれば問題ないと思います。世の中には反省できない人間も多くいますからね。