嫌なら見るなも私から見れば醜い言葉

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私は日頃から気になっていることがある。なぜ人間は普通を装って擬態しているくせに匿名という権利を持つと攻撃的になるのだろうか?ということである。そしてそういった人間の一定数が使ってくる言葉に

嫌なら見るな!

というのがある。私はこれが信者になれないなら見るんじゃないとでも言いたいかのように反対意見の人間に噛みついているように見えてしまい気が滅入ってしまう。私から見れば盲信する奴も叩く奴も同じ穴の狢が言い争っているようにしか見えない。過度な公式崇拝はファンが離れ作品の衰退を招くし、過度な叩きも同じである。

まあそんな私も推しにした女子キャラへのこだわりが強いので推しや推しのいる作品が叩かれたり炎上するならそれは嫌であるが(女子キャラの居場所はその作品しかないので逃げることができない対象を攻撃している卑怯者にしか見えないので)、その反論に嫌なら見るなを使うのは気が引ける。もちろんイナズマオリオンのような作り手側の適当さや怠慢(作画崩壊は含まない)が原因にあるのであれば言われても仕方ないのだが。

なので今回は私がこの嫌なら見るなをなぜ醜い言葉だととらえている理由を気になったいることを踏まえて書いていこうと思う。

嫌なら見るなを直訳すれば俺たちは楽しんでるから文句言うな

私なりに嫌なら見るなを解釈するのであれば

俺たちは楽しんでいるんだから文句を言うんじゃねえ!

という形で解釈している。まあ正直作品を見るというのは楽しい気持ちでやるのが一番いいものだ。しかしストーリー展開を受け入れられない、推しに選んだ娘の扱いが悪いもしくは作り手側から大切にされていないように感じる、そういうのを含めて売れた作品の場合は殿様商売に感じてしまうなどの症状に陥った場合は素直に離れるのが一番いいのも事実だ。

こういう奴に限って展開の結果裏切ったという立場のキャラを平気で叩くのであるそのキャラを推している人間がその場にいるということを考慮どころか考えることもなく。ああ、信者は公式を崇拝して盲信しているだけだから誰が叩かれ用途別に問題のない血も涙もない話の通じない連中だったんだっけ。

私はこのような考えに恐怖を感じたので今のオタクと交流しても無駄なんだろうなと感じてしまった。元々愚痴や文句があふれているネットの人間への信用は普通の人間並みに低い上にアニオタではない女子キャラ研究家の私の価値基準は女子キャラの可愛さや素晴らしさ>>>アニメの面白さなので、人の意見は読んだことはあってもロクな交流したことなんてないけど。

やはりオリジナルが最強なのかもしれない

ネットでの激しい暴言に疲れ果てた私は今現在では

版権の作品の女子キャラたちは参考、癒し枠程度にとどめてオリジナルを作って展開するのが一番いいのかもしれないと考えている。

正直ここで私は何度か言っているが版権の作品を追う場合、女子キャラたちが

・話が展開していくうちにどうなっていくのか

・どのような方向に成長するのか

・どのような結末を迎えるのか

・不遇な扱いになるかならないか

などは作り手の一存に託されることになってしまう。だから推しが不遇な扱いになってしまった場合推しの扱いが悪いことを嘆いたところで人気キャラを推しているクソオタクにあの子の推しはマナーが悪いだのあいつは頭がおかしいだの言われて結局孤立することになってしまう。版権は公式が作り出したものが正義なのだからどうしようもない。実際宮下愛ちゃんの事件の時それを嫌というほど味わった。

なので私はオリジナルをメインに活動することに決めた。自由に作れるし、私のような絵も描けないタイプは声優様の声が付かずキャラもコイカツなどのツールで作れる範囲でしか動かせないが、やはり自分の理想を具現化した子は当然ながら自分が好きな要素だけで構成されているので実子と同然なので愛着も強い。最近はイラストコミッションも豊富なので金銭に余裕があればイラストレーター様に自分のオリキャラの絵や小説を依頼することもできる。

勿論版権の子たちをどうしても話にしたいのであれば二次創作という手もあるが、によって間違った解釈が広まるのって結構昔から言われているし、原作や公式のやり方に納得がいかない場合(恋愛系などで主人公男に推しと結ばれないなど)、二次創作で作られたを正史と思い込んだ結果オタクからも嫌われる人間になってしまうって結構よく聞くのでなかなか難しいところである。

嫌なら見るななんて言うのは簡単だ。しかし、それで全て片付けてしまうのはどうなんだろうか。キャラ格差や腐った展開のストーリーを繰り出すことで当然ながらファンは減っていくし、売れたら殿様商売みたいな感じでそしてそれを嫌なら見るなという言葉を盾に擁護する信者たち・・・こんなんじゃなんでこの作品好きだったんだろうと思ってしまう、キャラは好きだけど公式は嫌悪する元ファンやそこからさらに悪化して生まれるアンチがいても当然のこととして考えるしかないか。アンチもアンチだが、アンチを発生させない作品作りも難しいんだろうな。

似たような意見にストーリーや作品の変化についていけなくなったら、作品の対象から自分が外れたのであるという言葉もあるが、その言葉についてもまた機会があったら書いてみようかと思う。書いたところで不満は何も解決しないだろうけども・・・何より私は殿様商売をする公式よりも高額なお金を払ってでもしっかり依頼を聞いて作品を作ってくれるフリーのイラストレーター様の方がよっぽど信頼できる。今年の瀬にそんなことを思ったのだった。

少しでも作品がブレイクすると好き勝手なストーリーを作って手を抜く公式も公式だし、少しでも不満があるとすぐに叩くアンチもアンチだが悪い部分に目を向けず、嫌なら見るなとただほざくだけの人間も同じ穴の狢だ。そして私は人間ってやだなと今日も思うのであった。

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