人間という生き物は自分が当たり前にできる事を他人もできて当然だとついつい考えがちのような気がする。
私自身でもそこは思い当たることがあり、運動ができないことを真面目にやってないと勝手に思われたこともあるし、逆に私が別の人から女子キャラクターの名前を覚えられない、だからたくさん女子キャラクターがいる作品はちょっと・・・などと聞くと覚えることができない人もいるんだと思ったことがある。
自分の普通は他人の普通ではない
ここで私の能力を例に見てみる。
・私は女子キャラクターの名前、誕生日、プロフィールを1分もあれば把握できるが、これが難しく、最後まで見てようやく全員の名前とプロフィールを覚えられる人もいる。
・逆に50M走を7秒台で走ることを難なくやってしまう人がいるが、私はどれだけ走っても8~9秒台以上の結果を出せなかった。
これらの事から、自分が普通だと思っていることであっても他人には全く出来ない、逆に他人が難なくこなせることでも自分は全くできないと言う例などどんな人間であっても山ほどあると思うのである。普段の生活からそれが分かるのであれば特に問題はない。
その一方でそれを努力不足だの怠慢だの言って非難してくる輩も一定数存在している。特にその事柄が多くの人間が難なくこなしていることである場合、そういった悪い扱いを受けた人も多いことだろう。私も運動面を責められることで辛い思いをしたし、運動会の集団パフォーマンス(組体操などのことだとでも言えばいいのか・・・)では動きの遅く力が強くない、そして男らしさのかけらもない私は完全にアウェイな思いで出来る奴らに責められながらも練習に参加した。
今でも思い出すことは多い。運動会の総合得点で別のクラスに負ければお前が足を引っ張ったから負けたという暴言、この世の中は結果が全てだ(この前の鬼太郎でねずみ君も言ってたっけ・・・)、役に立たない知識ばかり覚えるなら勉学に生かしたらどうなんだ、そんな役に立たないものからは早く卒業したほうが一番いいだろうね(教員)。そんなことを言われ続けた私はこう思った。
こいつら役に立つことばかりを優先してして全員つまらん!こいつらと付き合うぐらいなら誰の役になんて立たなくてもいい!こいつらが楽しめなくても私が楽しめるために女子キャラの勉強するわ!
と考えてしまったのである。しかし、こう考えたのは悪いことばかりではなかった。女子キャラクターの事を学んでいるうちに分かったことがある。自分でできる当たり前のことは他人にとっては真似できないことなのかもしれないということに気づけたのだ。個性豊かな彼女たちをいろいろ見て学んだからこそそれが分かったのかもしれない。
まあ、それ以前に女子キャラクターのプロフィールを短時間で把握できる能力が大半の人間にとって役に立たない、興味のないものであるという認識なのは十分理解しているが。
能力が役に立たないと思ったら発展させてみるのがいい
自分の能力が役に立たないものなのではないかと悩んでしまった場合は
人のためになんかならなくていいし、自分のためだけでいいので役に立つと思えるよう形に発展させてみるのがいいと思う。
私は現に女子キャラクターのプロフィールを把握できる能力を創作に生かした。すると、あろうことか女子キャラクターのプロフィールを簡易的なものであれば5分ぐらい作れるようになったのである。というのも・・・
女子キャラクターのプロフィールを把握する→そのキャラのプロフィールを自らの知識として持てる→自分のキャラを作る際に知識として持っている属性をすんなりと自分のキャラに当てはめられるようになる→キャラの設定作成や生成をスピーディーにできるようになる。
というメカニズムが働いたからではないかと思われる。そしてこの能力は今では創作をする上で欠かせないものとなっている。
そもそも他人基準で役に立つのか立たないのかで考えるのはすごく虚しいことなのではないだろうか。自分は○○しかできない・・・と思ったら最初は自分のためだけでもいいから、何かしらの形に発展することを考えたほうがいいのかもしれない。最終的にその能力を人の役になんか立てなくたってかまわない。自分の能力は自分のために使おう。
そもそも、当たり前のことができないと言う理由で人を馬鹿にすること自体がおかしいことである。今は役に立たないことであっても、それが未来にどんな結果をもたらすかなんて誰にもわからない。それが吉になろうが凶になろうが他人の持つ能力を馬鹿にする資格なんて誰にもないし、どこにもない!
人を平気で馬鹿にしているのに心当たりのある人間は自分で勝手に定めた当たり前の基準がおかしくないか見直したほうがいいと思う。
それでも馬鹿にする声が永遠に減らないのだから、やっぱり人間って本当にろくでもない生き物だと思ってしまわざるを得ない。
コメント
こんばんは私も発達障害のものです
今回の記事読んで感じた事がありまして、私が当時、学生時代特に社会人にはいってからは確かに他人ができて自分に出来ないことはないて思ってたことがあったり、他人から見てあいつ使えないだか、役に立てねぇだか、邪魔だかとか色々言われて、あのときはこんなことが出来ない自分が悪いと自分を責めてました
まぁ私もあのときはこれでも普通の人一般なんだといったのですが、やはり変わり者だとかバカにされましたね
今思うと 当時、同級生、後輩の人たちからバカにされたなておもったり、
私も運動は特に苦手で、無理して身体壊してまで出来ないことが出来るようにするのが馬鹿馬鹿しく感じましたね
私は好きな趣味といいますかあるんですがジョニーさんの言う通り今は役に立たなくても、自分のためなり、発展なり、楽しめればいいと私は思います
一力篤史様 コメントありがとうございます。
多くの人が問題なくできることが自分にはできず、そのせいで迫害をされ続けて自信を失い自分を責めてつらい思いをされて生きてきたのですね。私も素早い動きや効率的な動きなど普通の人間がなんなくできることができず、未だに精神を壊したり自責することがあるのでわかります。
その一方で世の中には無駄なことはないという言葉がありますが、私はその言葉は本当だと思っています。私の女子キャラクターのプロフィールの把握の話でもしましたが、他人にとって有益をもたらさなくても自分にとっては興味があり、有益な行動につながる可能性のある能力が持っているのならそれは伸ばしていくのがいいと思います。現在ではYoutuberの皆様のような動画職人、スマホのアプリを作って金銭を稼ぐスマホアプリ職人という10年前では全く考えられなかった職業について金銭を稼いでいる方もいらっしゃるのですから、これから先の未来に何に需要が起きるのかは全くわかりません。
馬鹿にする人間は関わらないのが一番です。そういった人間は普通のことが当たり前にできる自分が正義だ!という確固たる考えを武器に善意に見せかけた悪をぶつけてくるので話しても分かり合えないと思います。そして自分は相手を馬鹿にしたり、能力だけで判断し見下したりしないように気を付けていきたいものです。