普通の人間になれず苦しむ人は普通になるのを辞めればいい。

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年末。この季節になると(とはいっても実質1年中だが)街に恋人たちがあふれかえる。クリスマスとか初詣とかで。いじめを受けた人間や恋愛が不得意な人間、青春コンプレックスに苦しむ人間の中は毎年のようにその光景を見て苦しんでいることが多いだろう。

こんな状況になるのはやはりこの世にはびこる恋愛至上主義のせいだろう。クリスマスは恋人と過ごす、モテる人間はかっこいい、童貞は情けないとかそんな感じの考えだ。ここで私は提唱する。普通になるのを辞めてみるのはどうだろうか?

私もいじめにあった経験上、かつては普通に戻ることを目指していた時期もあったが、それを世間は多数派のために作られていると知った時、あまりの馬鹿馬鹿しさに普通なんてバカみたいだと気付くことができ、他人の恋愛を全く気にすることがなくなったのだ。今回は恋愛至上主義に苦しめられるメカニズムと普通を目指すのを辞めるメリットについて書こうと思う。

カップルを見て苦しいのは自分がそれを普通だと思っているから

なぜ人間は恋人がいない状態で楽しくイベントを過ごす仲睦まじいカップルを見ると恋人のいない人間は辛くなってしまうのだろうか。私から言わせてもらえば

世間では恋愛することが普通だと当然のようにもてはやされているからだと思っている。

恋愛できない男は情けない、半人前だ。などなど思い当たる言葉はいろいろあるのではないだろうか。そもそも恋愛しないことは犯罪というわけでもないのに普通じゃない奴だと認識されてしまう風潮。私はこれってずっとおかしいのではないかと思って生きている。

子孫を残すことは生物の本能としては間違っていないことだと思うが、恋愛をすることってそれに含まれるんだろうか?恋愛のできない奴は生物として劣っているんだろうか?以前童貞の記事で書いたが

・・・とまあこんな考えも小さいころから教えられてきた普通という概念に洗脳されているんだろうなと今なら思える。記念日は恋人と過ごすのが普通・・・そんな考えを持つ時点で普通という枠にとらわれている証拠だ。そんなことを思って苦しむのなら世間の普通など無視して、自分の好きなように過ごしたほうが精神にも健康にもいい。私はそう思う。

普通から脱却する方法

非リア充となってしまっている人々が普通から脱却する方法。それは

自分が誇りに思えるものを持つことだと思う。

そもそも、普通という概念に影響を受けてしまうのは中身のない人間が多い。中身がないつまらない奴だからこそ普通の概念に感銘を受け、洗脳されていってしまうのだろう。ただ、その代わり多数派に所属するという安心感を得ることができるので生きやすくはなるし、少数派を下に見て優越感を得ることも可能。という一応のメリットはある。

だが、そんな小物みたいな生き方で幸せなんか来ないと思っている場合が大半だろう。私自身もそうだと思う。なぜなら異常と周りから見られいじめや迫害に合い、もうそれが嫌だから普通という概念を学んで人間もいる。しかし私はそのやり方を推薦したくはない。

なぜなら、普通になる努力をして普通になったところでそれをほめてくれる人、認めてくれる人、評価してくれる人なんてどこにも存在していない。いじめをされている場合だって辞めてくれない可能性の方がはるかに高い。

同世代の人間からはいじめをすれば都合よく自分を変えてくれる奴に思われるだけだし、年上の人間には面倒事が減ってよかったと安堵されるだけ。そして最悪の場合自分自身に俺が我慢して周りに合わせているのにどうしてこいつは・・・という考えが生じ、以前の自分と似たような人間に嫌々変化させた価値観を押し付けるどうしようもない嫌な人間になってしまうことだってある。

逆に誇れるものを持ってありのままに生きてみると、得意なことがあるということから自信も持てるようになるし、場合によっては周囲からの誹謗中傷が全く気にならなくなるほどにまでなることができる。そもそも人間はすべての個体に好かれるようにできていない。だからその程度の変化で気持ち悪いなどと発言して来たり、距離を置かれて離れていった人間など切り捨ててしまえばいいのだ。

もうすぐ新年。少し過ぎればバレンタインがやってきて恋人があふれかえる季節になるだろう。恋人をなんとかしてでも作って解決する方法もいいけれど、世間のいう普通という意見なんか無視して、自分に誇りを持って生きてみないか?多数派の人間が理解しているなどと言う理由で恋愛至上主義を無視して生きる。そのことによって新しい道が開けることだってあるのだから。

そして、これが私にとって2017年最後の投稿となるだろう。今年もご愛読していただいた皆様、ありがとうございました。来年皆様が少しでも安定して過ごせますように。そして、いじめをして理不尽を押し付けることに快感を感じて優越感に浸りあざ笑っている馬鹿人間は一刻も早く滅亡しますように。

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コメント

  1. 一力 篤史 より:

    私も確かに今回の記事のような光景を見ると苦しい時が今もよくあります
    特に学生時代が苦しかったですね
    知り合いといいますか(今は知らないふりをしている)恋愛している人が多くいたので、恋愛が出来ない私にとってはとても辛かったですね
    (周りからは彼女出来ないことやジョニーさんがおっしゃった童貞卒業出来ないのはクズなど色々言われました)

    今でも障害抱えている友人いるんですが「俺、彼女いるんだ」とか「あたし、彼氏いるんだ」など、恋愛はいいよとか童貞や結婚、恋愛主義などの話題とか ふられるときがあるので、こんなこといっていいのかわかりませんが、障害抱えている人までも恋愛することまたは恋愛主義が普通て言いたいのかなと感じましたね

    正直、私は恋愛を自慢してくる人たちまたは恋愛の話が嫌になってストレスが溜まりましたね(夏祭り、クリスマスのイベントが特に怖かったです)

    ジョニーさんが言ってた誇りに思えるものをやった方がいいと書かれていたときは安心というか少し楽になりました
    私のように恋愛や童貞卒業など普通になることを悩んでいる人は他にもいるんだなて思うと嬉しいというか良かったというか

    私、今後は今のところ気が合う人がいればしたいですが、どちらかというと好きなこと趣味でやっていけたらなその方が充実にすごせると私は思いますね

    長文になってしまい申し訳ありません

    • ジョニー小林 より:

      一力篤史様 コメントありがとうございます。
      私は恋愛は現代では必須ではなく、人生の中の選択肢の一つだと思っています。なので恋愛したい人は積極的にやっていいと思いますし、したくない人はしなくても全然問題ないことだと思います。障害を持っていようが持っていなかろうが自分が恋愛したければやるだけのことだと思いますしそれは他の事も同じです。
      自慢をしてくる相手に対しては、聞き流すのが一番なのですが難しい場合は自分は興味がないという意志を相手にはっきりと示すのが良いのではないかと思います。それで相手が怒ったり関係が切れるのであればそれまでの友人関係だったと思い切り捨ててしまいましょう。自慢ばかりしてくるような人間には相手を自覚なしに傷つけたりすることも多いですしこれ以上自分が傷つく必要はないはずです。
      人と比べて劣等感に苦しむよりも自分が充実した人生を送ることができる方法を探していく方が私は良いと思っています。何が良くて何が悪いかと思うかなんて人それぞれ違いますし、それが普通の定義に必ず当てはまるということはないですからね。