人間が自殺することは一般的にはたとえいじめや虐待の後遺症で苦しくても、どれだけの人間に馬鹿にされて差別されて苦しくても悪だとされている。私にとって死んではいけないというのは間違ってもなければ正しくもない。この世で決められたことは人間がそう決めたことでしかなく、この世で最初から決まってる本当に正しいことなんてないのでそうとしか思えない。
今回、私が書きたいのは話の合間でよく耳にする「生きていかなきゃいけないんだから」という無意識的な生への肯定への反論である。こういう言葉は私のようなずっと差別されて馬鹿にされ続けさっさとこの世界から去りたい人間にとっては有難迷惑でしかない。
今日は生きたくないのに君はまだ若いんだから長く生きなければいけないんだを言われて困っている人に向けて、私の考えを書いていこうと思う。
こんな話をする世間のレールを踏み外すことなかった人間
あくまで私が言われた人間たちを観察した経験上ではあるが、さりげなく生きなければならないと話に混ぜ込んでくる人間は
社会のレールを踏み外すことなく歩けた中年ぐらいの人間であることが多かった。
会社には首になることもなく40年間近く勤め上げることができ、再就職先にも恵まれ、家庭もある。そんな感じなことを行っている人が多数派だった。逆にそんな彼らだからこそ生きるということや命の大切さを分かっているのだろう。
しかし、私は彼らと違い全く違う道を歩んだ欠陥人間だ。中学高校では運動能力の低さでいじめに合い、死ねだの死んで当然だとまで言われる。自己を肯定する手法などあらゆることを試して解消を試みたが、未だに女子キャラクターと一部の良い人間以外の生物は大嫌いで家庭なんか絶対に持ちたくないし、イライラで過食してしまう傾向もある。子供に私の脳の欠陥である発達障害などを遺伝させたくないと強く思っているから子孫なんて残すつもりはない。たとえ80まで生きたとしても最後は孤独死の未来しか見えない。
そんな私がそのようなことを言われれば嫌な気持ちにもなるしこれ以上そういった人間に自分の内面を話したくないという考えも出てくる。やはり発達障害で苦しみ続けた人間にとって普通の人生を歩んだ中年ぐらいの人間との相性は非常に悪いのかもしれない。
信じる人間や参考にする人間は自分で決めよう
私は幾度とこのような人間を見る機会があったので、その過程であるものを得られた。それは信じる人間や参考にする人間を自分で決められるようになったことだ。
例え支援者であっても、少しでも信用できないと感じたらそれはそれでいいんじゃないかと思う。現に私も支援者のような立場にいた人間の中にも信用できなかった人はたくさんいる。これは私のいや違う。私は自分自身の意志で信用できる人を決めているのだ。
人間には相性がある。当然価値観も一人一人違うのだから、話を聞いていて少しでも自分の考えと違って共感できないなーと思ったら共感しなくたっていいしする必要はないと思う。長生きしたくない早く死にたいという気持ちだって持っていて全然かまわない。
私だって長く生きたくないのにまだ若いんだから長く生きていかなきゃいけないんだという考えにはすごく反発心が生まれるし反吐が出るほど気持ち悪い。多数派の考えに共感しないことや早く死にたいと思うことの何が悪い!!!
コメント
自分は自殺が正しいとか、間違っているとか断言することはできません。ただ、この世から本当に消えるべきなのは人を自殺にまで追いこむ人間の方だと思います。
自分は死にたいというよりは幽霊になりたかったですね。人間に干渉もしないし、干渉もされない存在に憧れを抱いています。
二次元だけが癒し様 コメントありがとうございます。
人を追い込む人間こそ消えるべきという意見には同意ですね。彼らは自分の正義感を振りかざして、自分は正常なんだ正しいんだと思って自分から見たら正しくない(と思い込んでいる)人間に対して強いバッシングをしますからね。
幽霊になりたいですか・・・確かに幽霊であれば一部の霊感の強い人間以外には干渉されることもないですからね。ちなみに私は女子キャラクターになりたいですね。女の醜い争いだの薄い友情だのがない世界を一度でいいから感じてみたいのです。