私が思う慎重と臆病の違いについて

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私は自分のことを慎重な性格だと思っている。実際、何かを思いついても何日もよく考えてから行動に移すタイプであるし、素早い判断などは全くできない。そのせいでよく教員から怒られたことがあり未だに腑に落ちない部分が多い。結局社会に必要なのは素早く正しい判断をすることのできる人間なのだろうという結論まで出してしまったほどだ。

だが、最近はそのようによく考えてから行動する人間を臆病者!と言ったり、それは慎重でも真面目でもない。臆病なだけだ!という人間が多い。特に質問サイトなどで私は真面目にやってきた~などと本気で困った質問をしている人間に対してあなたは真面目なんかじゃなくて臆病なだけなんじゃないのなどと偉そうに反論して食って掛かっている人間をよく見かける。

性格の定義は人それぞれ違うだろうし、お前の意見は間違っている!などと言う人もいるだろうが、今回は私が思う身長と臆病の違いについて書いてみようと思う。

私が思う慎重と臆病

それぞれの性格の定義

まず慎重という性格がどのようなものなのかというと

・注意深く、軽々しく行動しない。

・リスクを大きく捉えることがあり、行動に踏み切れないことがある。

決断力のなさが強調されることが多く自己PRなどで書くとマイナス評価を受けやすい。

という特徴がある。次に憶病という性格がどのようなものなのかというと

・いつも何かにおびえており細かいことを気にするため、常に神経が張った状態でいる。

・弱気であり、回避的な行動や逃げるような行動をしやすい。

弱気、怖がりのイメージが先行して基本的に良い評価をもらえることのない性格である。

というような内容として一般的には浸透しているもののように思える。なぜこの2つの性格は混同されやすいのか。それはおそらく、すぐ行動に踏み切れない部分が他人には怖がっているように解釈され、そのことから勝手に臆病者だなどと言われたり、レッテルを貼られたりするのだろう。人間が欲しいのは「成功」という「正の結果」である。その良い「正の結果」を得るための行動を起こすことができず、行動に躊躇している所が近い部分があるのだろう。

結局何が言いたいのかというと、性格は人間が元々持っている気質で決まるのだから、慎重で行動に踏み出せなかろうと臆病で人におびえてしまう人間であろうが、否定したりせずこの人はこういう所があるんだと思ってあげたり、私は別にあなたがどんな性格でも否定したりしないということを伝えてあげるだけでも違うんじゃないかと思う。

だが、今の社会で一番大切なのは誰とでも仲良くなれるレベルのコミュニケーション能力や目上の人間の指示になんでも従い環境に適応できるような環境に応じた適応力などである。なぜそのような要素を持っていない人間でも習得を強制されるのか?

それは、この社会が気の強い人間や人を蹴落とすのに一切の罪悪感のない人間ばかりで構成されている思いやりを失っている社会だからである。だから人を馬鹿にしたり、真面目さや慎重さを臆病に置き換えたり、バレなければ犯罪じゃないなどと言えるような人間が最も幅を利かせることができて多く目立つのである。世渡りというのはそういった人間とも問題なく付き合えて仕事で所属している組織で「正の結果」を出すことであるともいえるかもしれない。

図太い連中も所詮人間関係が怖いから従っているだけの臆病者

逆に社会に適性があると言われているのは何があっても動じない図太い人間や人を傷つけたり、蹴落としたりすることに躊躇のない人間、強気で自分の意見をしっかり言えながらも周りとの協調性をしっかり保てる人間らしい。

しかし、上記の性格を持っている人間が適性があると言われている大きな理由は現代社会の構造とマッチしているだけだからである。彼らも会社や社会に振り落とされないようにしがみついて周囲に合わせているだけの臆病者であるともいえる。

彼らは会社に雇ってもらっている場合がほとんどで見方を変えれば会社や社会に依存しているから安定した地位にいられ、格下である無職やニート、障害者を見下して馬鹿にできるだけに過ぎない。彼らも急に会社からクビになったりしたらその時点で収入は0となり、無職同然になり生活していけなくなる。ライフラインだって失業保険ぐらいしかなく、結局は新たな会社を探し、またそこに勤めるという形で依存先を変えていくしかない。

私は人の性格を否定することはその人に対する人格否定であると思っている。当然その中にはお前性格悪いから直せと矯正を押し付けている人間も含まれている。私はその人間の元々の性格に口出しする人間の気持ちが知れない。行動に踏み切れずに躊躇してしまうのは、その行動へのリスクが大きいからだ。周囲が失敗しても認めてくれる環境なのなら別にいいだろう。しかし、大半は失敗を許さないもしくは失敗したら会社が終わりを告げるなどという大きなリスクを抱えている場合が多い。

性格を変えられるなどと言っている人間も見かけるし、アニメ作品にいる臆病な性格の女子キャラクターも最終的には克服する展開も多いので誤解する人も多いかもしれないが、基本的に性格は改善できるものではない。改善できたという人間は思い込みの力を利用して脳の出す信号に嘘をつくことに成功しただけだろう。私は何度試みようとそんなことはできなかった。

自分の性格は棚に上げ、人の性格を臆病者だと人格否定している人間は私から見れば「腐った」という人間の性格の中でも最悪の性格を持ってしまっている私からすれば絶対に付き合いたくない人間だ!どれだけ臆病な人間よりも人格否定を平気で行う人間の方がよっぽど下劣だよ。そんなに批判がやりたきゃ否定好き同士の同族で勝手に争っていろ!

私は性格を改善しろと言ってくる人間とは付き合いたくないし、信頼もしたくない。

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