今年のハロウィンこと10月31日は衆議院選挙の投票日であり、すでに期日前投票が始まっていることはすでに皆様も知っていることだろう。私は過去にこんな記事を書くぐらいの人間なので投票率が千葉(書いた記事当時の話)に次いで低い埼玉であっても選挙の投票には20歳を超えてからずっと参加している。だが、投票に行っても差別は減らないいじめは減らない生きづらい人間は増え続けているという何も変わらない現状を見ていると投票に行くのをやめたくなる。
人間たちは投票に行けば変わる行かなければ自民党の思うつぼと口々にいうが、私は民主党が政権を取ってそのあとすぐに自民党が復帰してから以降数十年で何も変わっていないと体感しているのでああそうなんかいぐらいにしか思えなくなっている。今回は何故私がここまで投票が億劫になってしまっているのかを書いていく。
投票に行けば日本が変わるを未だに実感できない
前述したが選挙へ行くよう呼びかけする人間の中でよく言われている言葉の中に投票すれば日本も変わるというものがあるが、私は未だにそれを実感できない。それでいて投票に行かなければ政治に文句を言う資格もないし口出すなとそういう人間に言われるので仕方なく行っているようなものだ。
結局、私一人で日本が変わるではなく私一人が行ったところで他に行かない人間が続出すれば何も変わらない生きづらい日々が続くという風にしか感じないのである。実際、自民党が再び政権を取った2013年から今までの間生きづらさを感じなかったことは一度もない。
先代の総理である菅さんも言っていたが、この国は国を頼る前に身内や支援者に頼り、最後に国に頼れという考えが思考の基礎に根付いているように感じる。この言葉を聞いた時、この考えが撤廃されて腫れ物になった人間を見捨て続ける限り、いじめ自殺も犯罪もなくならないだろう、ベーシックインカムなんて夢のまた夢だろうなとしか思えなかった。
投票したい党の代表がいない
私の住んでいる場所は埼玉の中でも限界集落なので比例代表として立候補の議員はたいして数がいない。いたとしても1~2人だ。たいていが自民党や立憲民主党の所属者ばかりで私が今のところ唯一信用できるれいわ新撰組の代表(だからと言って橋下がかつていた維新所属の議員がいても絶対入れたくないが)。どうせなら無所属の人にでも入れたいが最近は無所属の人すらいない。正直なところを言ってしまえば、私のような生きづらい人の味方になってくれる人なら誰でもいいが自民や立憲の人間たちがそんなことを考えているとも思えない。
全員が全員入れたい人の出馬している地域に住んでいるわけじゃねえんだよ。東京のような都会に住んでいて色々な人を選べる自分たちと一緒にしないでほしい。だったら都会に引っ越して来いってか?ちょっと何言ってんのかわからない。
私の地区の投票場所は憎い思い出のある学校
選挙の投票は地区によって分かれており、大体が市役所をはじめとする公共の施設で行われることが多い。最近では期日前投票がショッピングモールの大ホールで行われることも多いようで、ホールのあるショッピングモールのある町に住んでいる人間がうらやましくてしょうがない。私もそれができれば買い物ついでに投票に行くのに。私の住んでいる地域には隣町に行かないとそんなものはないから無理な話だ。
その一方、運悪く私の住んでいる地区の投票所はよりによって地獄のような苦しみを味わさせられた地元の学校なのである。そのため年に数回とはいえ投票するだけで学校に行かなければならず、毎回嫌な気持ちになっている。地元の学校にろくな思い出なんかないから余計に。
市役所で期日前に入れてくればいいだろって人もいるだろう。だが、平日は勤務で私が勤務を終えて帰ってくる頃には市役所は閉まっている。期日前に入れてくればいいだろって思ったやつ全員に聞く。いつ行けばいいのだ?私にはわからない。
入れには行くけど今回も消極的な気持ちは拭えない
こんなことを言いながらも私は今回もウォーキングのついでに憎しみのある学校に設置された投票所に立ち寄り、投票をすることだろう。結局この国は変わらないという消極的な気持ちを抱えながら。
結局誰が政権をとっても落ちぶれた私にはそうなったお前が悪い、さっさと立ち直れ自分の事は自分で何とかしろという言葉をかけてくるのは変わらないのだろう。いじめ対策だって今の岸田さんの内閣になってからようやく規制を強化するよう動き出す始末。9年前の大津の事件・・・いや、それ以前に多発して起きていたいじめの事件の時点で何かしら動くべきだったはずなのに。
私は
・女子キャラクターを性犯罪と結び付けて消そうとする議員は消えてほしい。っていうか異端なものや存在差別する奴は政治家やるな。
・いじめなどを強く規制してこの生きづらい国が少しでも生きやすくなってほしい。
・私のような高度な社会に対応できない普通の人間からかけ離れた人間でも生きたいと思えて悩みなく生きていける国になってほしい。
の3つの気持ちを持ち続けながら今回も投票に行くことにする。無理だろうけどね。
コメント
そうですね。私も今回も特に入れたくなる政治家は
いませんでした。
好きになれないけどマシな政治家(政党)もしくは1番嫌な政党に
敵対的な政党に入れるしかないと思います。
「嫌われる勇気」「ありのままの自分を愛せ」「不適応スカウター」
話は変わりますが、最近ますます”本人の心の問題”論が増したと
思います。寄り添うふりをしてこちらに改善を求めてくる。
この考えも「認知の歪み」と言われるだけ。都合のいい言葉だ。
いじめ対策もどうせいじめられるほうに原因がうんたら
で弱者側に改善を求めるのがオチでしょう。
国や福祉に何かを期待しても無駄だという思いが増えるばかりです。
どんべえ様 コメントありがとうございます。返事が遅くなり申し訳ありません。
私も今回も入れたいと思った人は全くいませんでしたね。誰がなったところで私腹を肥やすだけで議員になった数年を過ごすのでしょうおそらく。
嫌われる勇気はアドラー心理学で言われていた言葉ですよね。私は人間が嫌いで明確に嫌悪感を人間から向けられたことが多々ありますので別に今更嫌われてもこっちから嫌ってやるさの姿勢でいます。
ありのままを愛せですか・・・自分が男であるのが嫌な私にはそれは不可能に近い考えでもありますね。
不適正スカウターは初めて聞いた言葉ですが、新卒時代企業の適性検査や性格検査みたいなやつがそうなのかなと感じました(実際それに正直に答え続けた結果落ち続けた経験もあります)。それらが組み合わさって認知の歪みで済まされてしまうのは都合の言い側にとっては便利な事ですね・・・
そしてそれを受け入れられたり乗り越えた人間以外は救われない。まさにディストピアですね。
国や福祉への期待などもはや難しいように思いますが、せめて障害年金が簡単にもらえるようになったり、ベーシックインカムが制度として成立したり、カウンセリングが保険適用になればとは思いますがそうなるのも十数年以上先になるでしょうね。