貢がないとオタクじゃないというのなら私はオタクじゃなくていいわ

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いきなりだが、私は貢がない女子キャラ研究家である。なぜ貢がないのかといえば収入がたいしてない上に女子キャラ研究以外の活動もやっているからである。

推しのグッズ(作られていればだが)を1種類買う、特に気に入った推しのいる漫画を購入するという行為なら毎クールやっているが、それ以外のもの・・・イベント申込み券の入っているDVDとかそう言うのは購入しない。私の優先度は推し>作品なのである。

それなのに貢がないオタクはオタクじゃないなんていう意見も飛び交っている。私は2000年代の前半から女子キャラ研究を10数年やってる身なのだが・・・まあそうなんだろう。だが、人の活動方法に口を出すのはどうなんだろうか。もし貢いでないならオタクではないにわかというのなら私はそれでいいと思っている。何せ私は女子キャラクターの研究をするのが好きなだけだから。

なので今回は貢ぐという事について書いていこうかと思う。

貢がなければいけないって誰が決めたの?

そもそも貢がなければにわか、貢げば偉いもしくは当然っていうのは誰が決めたことなんだろうか。女子キャラ界も最近は声優さんが表舞台で活躍するなどアイドル化が進んでいるのでその影響なのかもしれない。前述したアニメのDVDに入っているイベントの券も一時期CDの買い占めなどで話題になったAKB48の握手券がきっかけに広まった物なのではないだろうかと考えている。少なくとも私の活動初期に見ていたアニメのDVDにイベントの券が入っているなんてことはなかった。

私にとっての声優さんたちは女子キャラクター(たまに男)の声となり、彼女たちを命を入れてくれる尊敬する素敵な方々だ。しかし私は声優オタクやアイドルオタクではないので直接会おうとか思ったことはないし、ライブなどに行って盛り上がろうとも思わない。あまりそういう人間の集まる場所に行くのが得意ではないというのもあるが。

イベントにその女子キャラが直接来てくれるなら考えてもいいけど、女子キャラ自身がイベントに来てくれるわけじゃないから積極的に行く気にもならない。私は女子キャラにしか興味がないそんな人間なのである。

それなのに貢いだ金額、イベントへの参加不参加などを比べて馬鹿にしたりマウントとったりする人間の多いこと・・・正直そんなことよりも先に大切にするものがあるんじゃないのか!?と言いたい。

まあ、私がこんなことを金を貢ぐことを誇りにしてカーストを強いているだけの人間共になんか届くはずもないんだろうけど。普通の人間から避けられがちの集まりですら貢ぎという単位でカーストを作ってしまうのか・・・人間ってやっぱり集まると集団心理が働いてだめなのかもしれない。

貢がないならオタクじゃないなら私はそれでもいい

私は貢がない奴はオタクじゃないと言われたのなら

それならオタクじゃなくてもいいわと思っている。

そもそも今の私は女子キャラ研究家だし、肩書き自体に興味はない。私自身がオタクであると思っていたのは私にいじめをしていた人間共が私がポケモン好きであるという点を見て「小林はオタクだ!」という形でいじめの過程でそう言っていたからそうなのだろうかと思っていたからである。

それと近年の人間共はオタクという言葉を安易に使いすぎなのではないだろうか。もはやオタクという言葉には

・掲示板で誹謗中傷や叩きをする人間

・ただアニメを視聴していただけの犯罪をした人間

・周囲に迷惑がかかることを無視して騒ぐ人間

などの人間も含まれてしまっているようで嫌になる。こういう奴らはオタクじゃない全く別の人間だと思うんだけど・・・もちろん悪いのはこう言った暴れる奴らだけど、オタクという言葉にそう言う意味を結び付けようとする人間共もどうなのか。

これも人間が持っている異様な存在を排除したいという考えをオタクという単語に押し付けているというのが透けて見えて余計人間が嫌いになる。オタクという言葉は本来は何か一定の事に熱中する人だけを指す言葉だったはずなのに・・・嘆かわしい。

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