2018年あけましておめでとうございます。今年も我がサイトでは人間たちの普通に逆らうべくたくさんの考えを書いていきたいと思いますのでよろしくお願いします。
さて、早速新年一本目の本題に。ここを読んでくださっている皆様は一度ぐらいは以下の考えを聞いたことがあると思う。
不良が更生→偉い、立派だ
いじめにあった人間が引きこもり→社会のクズめ
私この考えが好きではなくむしろ消えてほしいと思っている。なぜならこの考えを掲げる人間は人間という生き物を個人としてではなく集団としての利用価値でしか判断していないと言えるからだ。未だに社会の歯車の概念が残っている以上この世界には利用価値で見てくる人間が大多数だ。
不良の更生は社会の利用価値としては昔は悪いことをしていたが今では働いてくれているから問題ない、逆にいじめにあって引きこもりになっている人間は社会から見れば何の利用価値もないので生きているだけ無駄だから悪いことなので死んでしまえ(実際は死ぬと色々面倒なので脅しをかける方が多数か)と私から見れば利用価値で人間を判断しているようにしか見えない。今日はこんな考えが未だに強く残っている理由と対策について書こうと思う。
なぜこんな考えがいまだに強く残っているのか
こんな考えがあるのも不良更生の学園ドラマが存在し、人気を博していたのが大きな原因だろう。いじめは大昔からあったものであるにも関わらず、警察事件として認知され始めたのは最近である。たいした問題として取り上げられなかった時代にいじめにあっていた人間はその後どうしたのだろうか?全員自殺してしまったなんてことはないだろう。つまり・・・
私はその時代にいじめにあっていた人間こそが現代で高齢引きこもりとなっている人間なのではないかと思っている。
当時の荒んだ環境の中で、いじめにあい誰に訴えてもそんなもの耐えて何ぼだ、試練だなどと言うような根性論や精神論を言い聞かされ続け、悪いこともしていないのにストレス解消のため不良共に暴力を振るわれいじめにあい続ける日々・・・
こんな日々が続けば人間と対人関係など築けるようになるはずがない、外に出たいなんて思えるはずがない、自分を助けてすらくれなかった社会のためになろうだなんて思えるはずもない!そして、よっぽどの根性がなければ引きこもりになったっておかしくない。
逆に更生した不良はいじめをしたことをあの時は悪だったと武勇伝や思い出話のように語り、同じような考えを持つ仲間たちと笑い話にしてしまう。つまり反省もしていないし精神ダメージもろくに受けていない、むしろ自分の悪い行いについて全く気にしていないもしくは自覚がないという場合が圧倒的多数だろう。少なくとも私が見てきたそういうタイプの人間はこの考えにほぼ当てはまるような奴らばかりだった。
そして後遺症で痛みを嘆いても非難されるだけで精神科すら理解を示さない事が多数。例を挙げれば好きな女子キャラクターがネタ扱いを受け掲示板で不本意な愛称で呼ばれているのを質問サイトで嘆いて「人それぞれ」、「そんなこと気にするお前気持ち悪い」、「貴方の方が異常」などと言った的外れな回答でさらに傷つくみたいな感覚を想像してもらえばわかると思う。
要するに人間たちが言いたいのは心に傷があるやつだって隠して生きてるし、俺だって辛い気持ちを抱えているんだからお前もうだうだ言って引きこもっていないで社会に貢献しやがれということなのだろう。はっきり言ってこういうことを言いたい奴との意思疎通は諦めたほうがいい。おそらく、一生分かり合えることはない。
私から言わせてもらえば嘆き続けることは悪いことではないと思う。臭いものにふたをし続けるこの国の上層部にとってはこのまま嘆き苦しむ人が増え続け、数で普通の人を上回ればいずれは社会問題になってもおかしくないはずだから。だからこんな小さいサイトでも私は嘆きも恨みもすべて発信し続けるつもりだ。苦しむ人たちの痛みが軽減されることを祈って。
過去に縛られるなと言ってくるやつもいるかもしれない。だが私はそういう奴に向かってこう言うだろう。「私が許したら加害者は完全に許されてしまう。それは何よりも悪いことだ。」とね。
人間に期待しないこと。これを貫くのが一番
このような考え一つですぐに対立関係になる人間がたくさんいる環境で生きるにはどうすればいいのだろうか。私が思うのはやはり・・・
人間に期待しないことが一番いいのだろう。
何度も言っているが、正しいことは多数派の人間によってきめられていることであり、この世界にとって何が正しいことであるかなんて私たちにわかることではないのである。むしろこの先の未来を生きる必要のある人間は大半の正しいと言われていることを疑っていく必要がある。
人間に期待しないことで周りの無責任な意見を無視し、人間の考えに惑わされず生きていけるようになる。アドバイスなど自分に有益そうなものを取捨選択で選んでいけばいい。どう転ぼうと自分の人生は他人に口出しされる余地はないはずである。常識を疑い安易に人間を信じない。これがこの先の未来では一番大切なことになる気がする・・・と私は思う。
私は不良→更生が偉いことなどとは絶対に思わない。そいつに傷つけられた人間は傷つけられ損だし一生の傷になっている人や自殺してしまった人、殺された人だっている場合がある。私は被害者にばかり許せ恨むんじゃないと説き、問題から目を背け続ける普通の人間たちの方がどうかしているし間違っていると思う。
常識だから、皆がやってるから・・・そんな言葉これから先は信用する必要ない。もしこれを読んでいる貴方が今現在無職の引きこもり状態で周りから社会のごみだの言われているのなら、この言葉で返してやればいい。「お前が失敗した時の責任を取ってくれるつもりもないくせに偉そうに説教するな。」とね。
コメント
更生したとはよく言いますが、その者達は危害を与えた人間に土下座をしたのか、金品を巻き上げた場合は何倍にしてきちんと返したのか、そんなことをせずに更生などふざけるなと言いたいです。
二次元だけが癒し様 コメントありがとうございます。
元々悪いことをしていたけれど更生した人間の大半は謝る行為はせず、被害を受けた人間が自殺している場合も多いせいか今は真面目に働いているから云々で許されている節がありますよね。いじめ自殺の事件の加害者たちがいい例です。転校して場合によっては名前も変えて少年院で罰を受けるとはいえ、大したこともなく青年になったら出所していじめ行為を俺は昔ワルだった・・・みたいに武勇伝として語り続けのうのうと生きる。もちろん脅して奪った金品は返さないで賠償金も払わない。そんな更生なんかでもない更生した加害者たちを絶賛する大人ってなんなんでしょうね?
私はそんなマイナスを全く解消しないで更生したと言う人間やそれを絶賛する人間は大人としては絶対に認めたくないですね。力ばかりで価値を決めるような連中とは絶対に関わりたくないです。