昔はよかったと言うけれどそれは本当なのだろうか?

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よく、歳を取っている大人が最近の作品や物を見て

「今のものにはついていけない。昔はよかった。」

などと言う言葉を言っているのをよく見かけることがある。私はバブルがはじけた後に生まれた身なのでその大人たちが生きていた昔を知ることは一生ないのだろう。

だが、私が歴史の勉強や身内から聞かされた昔の話を通じて歴史の本などを読んできた限りでは今もよくはないけれど、大人たちが美化するほど昔もそこまでは良くなかったのではないかという結論に至っている。今日はそのことについて書いてみる。

昔の方がよかったと私が思うこと

・オタクへの弾圧が今よりも過激ではなかったこと。

・集団で働くのが難しい人は個人商店経営者になるという道があったこと。

・バブル時代という経済的に最高の時期があったこと。

私が昔の方がよかったと思う事柄は上の3つである。

まず一つ目だがオタク叩きは1989年に宮崎勤の起こした事件がきっかけで90年~95年ほどまではアニメが好きというだけでバッシング、絶交、批判などの誹謗中傷を受けていたという発言をする人が多くいる。

だが、私が女子キャラクターの研究を始めた2000年代もかなり差別はひどく、私自身もいじめを多く受け、迫害された存在だった。近年になっても殺人事件などの犯人がアニメグッズやポスターを持っていというだけでそこを強調して話すニュース番組やアニメの表現を規制したがる政治家たちを見る限りオタク差別は未だに残り続けているのがよくわかる。

昔は表現が緩かったので子供向けの枠で今の深夜枠レベルのことをやっていたそうである。放送局も私が研究を始めたころである2000年代では新作の深夜アニメが普通に民放局やテレビ埼玉などでやっていたのにもかかわらず今は民放局の枠は大幅に減り、TBSとテレ東、そしてフジのノイタミナ枠に少し残っているのみ。テレビ埼玉に関しては新作アニメの放送が2年に1回ほどまでに減っていて、ほとんどBS11と東京MXがメインである。被害妄想だというのであれば、この問題を全然わかっていないなと心底呆れる。

そのことから89年より前の世代であれば今ほどの差別は受けなかったのではないだろうかと思うことがある。昔のアニメは名作も多いので今でも特集で紹介されたり、語り継がれている。私がこの頃のオタクであればまた違っていたのではないかと時折思うことがある・・・それでもやはりオタクである限り安堵の日は訪れないだろうとも思う。いつまた差別のニュースやテレビ番組を見てしまうかが分からないのだから。

次に二つ目だが、当時は物を店に置いておけば売れるという時代だったことやショッピングモールや大型スーパーがなかったこともあり、殆どの人は地元の商店街で買い物をしていたのがほとんどではないかと思う。今ではほとんどの商店街がシャッター街になっておりさびしい限りである。私も小学校時代には個人商店を経営するのが夢だったことがあり、現代の状況を考えれば羨ましいと思ったことが何度もある。

最後の三つ目だが私はバブル時代がはじけた後に生まれた世代なのでバブル時代を経験したことが一切ない。歴史ヒストリーなどで話を聞く限りではとても楽しそうに見える。どんなにミスをしても遊んでいようと仕事をクビになることだってなかったのだろうし、今の時代に生きていると本当にこんな時代があったのだろうかと不思議に思う。

昔の方が悪かったんじゃないかと私が思うこと

・いじめの黙認、発達障害の無理解、警察や軍隊の不真面目さや横暴さ

・見合いというシステムで未婚の人間は強制的に結婚させられる制度があったこと

・技術力の発展途中だったこともあり、場所の行き来が難しかったこと

私が昔の方が悪かったのではないかと思うのは上の3つである。

まず一つ目だが、これが私が昔の生まれでなくて一番よかったと思う理由である。現代でようやくいじめ問題が取り上げられるようになったばかりであることもあって、昔当時のいじめは被害者が自殺して社会問題にしない限り・・・いや、問題にしたとしても今でも横行するいじめられる方が悪い、いじめられたぐらいで自殺するなんて男のくせに情けない、甘いなどと言うような風潮が今以上に充満していて、弱いと認定された男たちは今以上に冷たい言葉に傷つけられていたのだろう。

それに昔というのは第二次世界大戦が終わった直後である戦後時代の影響を強く受けていることもあってか、今よりも男なら強くあれと言うような根性論や精神論が飛び交っていて、体罰も容認されていた昔は私のような気が強くない男にとっては今以上に生きづらい世界だったのではないだろうかと思える。この時代によく言われていた「お前の根性叩きなおしてやる!」私は人の気持ちを無視するようなこの言葉が大嫌いだ。現代にいる高齢(40代以上)のニートになってしまっている人たちはおそらくこれらの問題の犠牲者だと容易に想像できる。

学校で歴史を学んでいると古代から明治時代まではしっかりと学ぶようにできているが、第二次世界大戦を過ぎたあたりからの近代史は大きく触れることもなく、簡潔にまとめられている。この事から考えると昔に当たる近代は平安時代や戦国時代と比べてもろくな時代ではなかったのだろう。もし本当に良い時代であったのならもっと詳しくやってもおかしくないはずである。

次に二つ目だが、昔は結婚相手が見つからない場合は強制的に見合いというシステムで結婚させられていたという話を聞く。私の両親も見合いで結婚したが、今でも仲良くやっているのでその点に関してはすごいと思う。現代では恋愛結婚であっても離婚する夫婦が増えているのだから。それを考えれば独身という選択肢を選びやすくなった今の方が良いと思う。

現代は健常者でも自分1人を養うだけでも手一杯な上に高い平均スペックが求められている。それなのに所帯持ちが一人前の条件だなんて発達障害でずっと苦しんできた私からすれば無謀にもほどがある。以前も書いたが、集団生活に向かない私は今後も結婚だけは絶対にしたくない。今後強制的に結婚する法律ができようものなら、それを破って逮捕されようが死刑になろうが構わないと思っているぐらいだ。

最後の三つ目だが、昔は交通のインフラが今よりも整備されていなかったのもあり一度田舎から出て東京や大阪などの大都市に来てしまうとそう簡単に故郷へ戻ることができないということもあったようで、高度経済成長期は集団就職で田舎から大量の人間が列車に押し込まれて東京に出て来ていたという話を祖母から聞いたことがある。それを考えると新幹線や特急列車などの交通網が発達している今の方がよかったのではないかと思う。

私からすれば昔も今も生きづらいのは変わらない

長々と書いてきたが、結論を言えば昔には昔の生きづらさ、現代には現代の生きづらさがあり、私のような少数派にはどっちの時代も生きづらかったのではないかと容易に想像できる。発達障害があり考えが少数派であればなおさらだ。

私からすれば昔はよかったなどと言えるほど昔は美化するほどの価値などないと思っている。もし本当に昔が価値のある時代だったのなら歴史の教科書で大々的に取り上げるだろうし、酒煙草の規制を破って10代でやっている人がこれ以外にも様々な後ろめたいことがあり、それを隠すために歴史では近代の内容をほとんど扱わないのであろう。

そういう点を考えると私は高度経済成長でもバブルでも氷河期でもない中途半端な時代に生まれてしまったのかもしれない。案外それでよかった面もあるのかもしれないが・・・

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