以前私はテレビのニュースやを垂れ流ししながらパソコンでの作業をしていた時期があった。
当時は音が流れていると安心して作業ができたのである。しかし、それはとある理由で苦痛に変わり不用意にテレビをつけるのをやめるようになった。
見ているうちに気づいたのだが、テレビの内容はほとんどが数の多い社会的強者で多数派に受けるような内容で作られていることが多い。
殺人のニュースが報道されれば犯人像はほとんどが以下のように報道される。
・アニメのポスターを部屋に大量に張っている性癖異常のオタクだった。
・発達障害の傾向を持っていて精神的に不健康だった。
・大人しくて犯罪を犯すような人間ではなかった。
こんな犯人像ばかりで大人しくてオタクで発達障害の私からすれば目に毒でしかなかった。この理論が正しければ私は犯罪者予備軍のサラブレッドということになってしまうからだ。
今日は元々はテレビ好きだった私がニュースやテレビから離れたきっかけについて書いていこうと思う。
私のテレビ離れのきっかけ
私が好きな番組しか見なくなったのは今から2年ほど前、オタク叩きの内容を放送していたたけしのTVタックルを何気なしに見てしまったことによる。アニメ規制賛成派として出ていた連中の批判がひどく、即座に私にとってそいつらは私の中で自分の一生の敵と化した。
オタクのイメージは私が生まれる以前に起こっている宮崎勤の幼女誘拐事件をきっかけに上記の連中のような多くの人間から犯罪者予備軍という人間のクズのような扱いをされている。私はこの事件が起きていた当時ぐらいに生まれたので想像することしかできないが、この時代に生きていたオタクや漫画家さん、作家さんは相当辛い立場で活動をしていたことが容易に想像できる。
今はオタク趣味がライトな層にも知られるようになって収まってきたとも言われているが、まだまだ批判は続いていると自分では思っている。最近では宮崎勤も持っていたビデオの中にアニメはほとんどなく、むしろ普通のテレビ番組の録画が多かったということも判明している。
私はこれを見たことをきっかけに気に入った番組を除くTV、特にニュースやワイドショーから離れることにした。誰かが殺されて、加害者はオタクだった、発達障害だった、おとなしい人だったなどと言われれば、すべてあてはまっている私はそういう報道を見るだけで体に毒が回っているかのように苦しかったのである。
自分の好きなことが批判されたり、殺人のニュースから加害者が自分と傾向が似ていると思って苦しむ人間だっているのだ。
最後に
私がテレビから離れることにしたのはこのまま普通の人間向けに作られたものを見続けるとそのうち、「自分は生きていてはいけない犯罪者予備軍なんだ」というような思考に支配されてしまいそうだったからである。
そもそも今ではオタクを自称しているスポーツ選手やタレントさんやアイドルもいる時代で、犯罪を犯す人は圧倒的に多数派で健常者でいじめ好きな人間のほうが多いのにもかかわらず未だにこの様な偏った報道がされているのを見ると正直幻滅する。
私のようなオタクで発達障害をのような傾向を持つ社会的弱者は偏見報道という毒に支配されないためにもテレビ、特にニュースの視聴は避けるのがいいと思う。内容をまともに受け取って苦しむこと自体が社会的強者の思うつぼなのだから。
最後に偏見報道や批判をする人間に以下の言葉を贈る。
人が好きであるものを批判したり、偏見を振りかざす輩はそれが恥であることを知れ!