皆様は生きている上で「選択によって人生は大きく変わる」というような言葉を聞いたことがあるだろうか?私は何度もあった。実際、人生は選択の連続でありその言葉は事実なのだろう。しかし、その選択が自分にとって誤った選択であったとしても後戻りはできず後悔しても過去に戻ることはできない。そもそも選択した結果は選択した時点では見ることすらできず、選択後の未来でようやく見えるものでもある。
私も数十年生きてきた中でたくさんの選択をしてきた。しかし、そのほとんどが良い結果に結びついた経験はなく、むしろどんどん悪い方向に転がって行っているようにしか考えられない。チャンスを無駄にしているだけだと言いたい人間もいるだろう。だが適切な行動や方法がわからない以上家庭は二の次でその選択をしてどうなったかの結果がすべてなのである。今回は私が選択で人生は大きく変わるという言葉を信じられない理由を私がこれまで人生でしてきた選択を用いて書いていこうと思う。
学校の選択
学校を選ぶことは人生を大きく左右することであると私は今でも考えている。学校によって学力レベルも授業内容もそこにいる教師、指導方法なども違うので、一度間違った選択をすれば地獄のような目にあうことだってある。私はその地獄のような目にあった側の人間だ。大人になれば関係ねえだろと言われれば黙るしかないのだが。
私は地元で嫌われていじめの対象にされてしまった結果、高校は私の地元にも会ったのだが(現在は廃校)いじめ加害者が何人か進学するという話を聞いてしまい別の町にあるところへ行くことを決めた。とにかく広い世界を見たかったというのもあるが。しかし、これが間違いだったのかもしれない。
中学校では味方もほとんどいない状況でいじめに耐えるのが手一杯で成績は2交じりの3という当時はどうしようもない成績だったのでなかなか進路を決めきれず、真面目という肩書きを信じてギリギリのところで後に母校となる高校に進学を決めた。しかし、それがダメだった。その高校は運動大好きすぎて運動音痴を平気で差別する馬鹿の巣窟だったのである。
サッカーができなければ責められる、マラソンが遅ければ責められる、咳喘息は理解してもらえない、辛いことを相談できるスクールカウンセラーはいない、運動会で適切な動きができなければ以下略・・・真面目さゆえに指導も厳しかったので人間共は多分うっぷん晴らしに運動ができなかった私に矛先を向けていたのかもしれない。教員は何人か話を理解してくれる方々は居たが、それでも指導に引っかかれば敵になる。私がいじめられているのにわが校にいじめはないと断言までしている。何のために必死こいて真面目が売りの高校に入ったのか正直わからなくなってしまった。転校もできなかったので人間共からの攻撃に私は3年間耐え続け、すっかり委縮してしまった。
今の知識を持った状態での私であれば指導が厳しい高校ではなく自由な校風を謳っている高校に進んでいただろう。真面目という言葉に騙されてはだめだ。いじめのない学校なんて今のゴミみたいな教育指導法から考えれば存在しないのだから。
進路の選択
ここで言う進路というの学校ではなくの職業などのことだと思ってほしい。正直私は自分が受けた仕打ちをこの先に生まれるであろう未来の子供たちには絶対に経験してほしくないと思い、教員になるために大学へ進学したようなものだったので、会社へ就労することは全く考えていなかった身だった。
しかし、大学入学後になるとそんな気持ちも数々のいじめ自殺を見た結果、本当に悪い大人はすぐに隠ぺいに走り、うやむやにして自分は雲隠れして生き残るというような手段を取り、そのせいでネットの人間たちが大騒ぎしてネットリンチやネット私刑が生まれるのを目の当たりにして、上級国民などの言葉が生まれるのを見てきた私は子供を育成する過程では真面目にしなさいだの悪いことはしていけないなどと言うくせに財力や権力を持った巨悪にはへこへこ従うだけで誰も対抗する気がないんだと絶望し、人間嫌いが悪化し教員になる気持ちが薄まって教職課程を取るのを辞めてしまった。しょせん私には荷が重すぎることだったのだろう。
大学卒業した先の進路が会社への就労もしくは教員になることだけではないことに気づいていればよかったのかもしれない。しかし視野の狭い私はそんなことにも気づかず研究で追い詰められたこともあって人間たちから馬鹿にされる証であるNNTを持ってで卒業することになった。その後、精神科で発達障害の検診を受けて、仕事は選んでいいし、個人でやる道もあるということを知ったが、私の生きづらさは解消されることはなかった・・・
無職期間には自衛隊への入隊とか、人間と関わる仕事を積極的にやるよう言われたりしたこともある。そういう誘いに乗っておけば大きな変化が訪れたのかもしれない、しかしそういうことは私の考えの「私はいじめに耐えて学校を卒業するというずっとやりたくないことを今までずっとやってきた。もうやりたくないことはしたくないし、生半可な気持ちでやることじゃない。やるぐらいなら死んだほうがまし。」という答えしか浮かばなかったのでやらなかった。
私の経験上選択は他にもあったが、今回はこの2つを挙げさせてもらうことにする。
間違えた選択をしたってよっぽどのことがなければ死なない
人間からは攻撃され馬鹿にされ、その結果精神障害を患い過食持ち、今では人間なんか嫌いと頻繁に口に出すようになってしまった私は今でも選択で大きく人生は変わるという言葉を聞くと全く信じることができないのである。自分を変えられるほどの大きな選択もできない私が悪いのかもしれないが。
人間は歳をとってその結果からが勝負という話も聞いたことがあるが、スクワットを積み重ねたり、きつい階段を週に何回も登る運動を繰り返しても面が悪いので人間から嫌われるキモいおっさんになる未来しか想像できない。そんな今現在私は「女子キャラ研究者になる!」選択をするように行動しているが、結局日々の運動以外は何もできていない上に最近は体調不良になることも多く正直私よりも一回り近く若い女子キャラたちの方が適切な選択をして立派になって行ってるのを見ると泣けてくる。
精神薬を飲んだところで気持ちは楽になったことはないし、むしろ薬を飲むことで脳に悪い影響が出ることも多く、車を運転しないと生きていけない私の住んでいる地域では通勤などの日々の生活が負担になるだけでどうしようもなかった。
前置きの話が長くなってしまったが、私が今回痛いのは選択をしたところで大きく変わることはなくても死んだりすることはないということである。死ぬ可能性が出てくるのは悪いところで借金をするとか自殺を選択するとかそういう時だけである。
なので大きな変化がなかったとしても自分の選択は間違っていなかったと自分だけでも信じてあげれば少しは心が楽になるのではないだろうか。例を挙げれば毎日3キロウォーキングしているけど5キロ歩いたらその選択をした自分を少し褒めてあげるとか。これは自己肯定感の上げ方か。
それに現状維持を衰退の証として嫌悪する人間も多いのも事実だが、別に全ての人間が人生を変える必要があるわけではないし自分が必要ないと思うのであれば無理をする必要だってない。人間は一人一人違う生き物。誰かの言葉をきっかけに頑張ってもいいし、逆に気に食わない場合は無視したっていいはずだ。貴方の人生は貴方の物なのだから自分のしたい選択を選ぶようにしよう。そうすれば後悔することはないはずである。
コメント
お久しぶりです。
今年に入りいろいろ状況に変化があったので
久しぶりのコメントになります。
選択と言えば今年は大きな選択をしたことになります。
安定した職場(ただし一生単純作業)を辞め、
結果的に料理人を目指すため調理系に転職しました。
もう40過ぎなのにどうなることやら。
私は”のび太”であることを辞めたいという気持ちが
捨てられないようです。
というわけで改名します 藤木のび太→どんべえ
管理人様も女子キャラ研究者になるという選択は良いと思います。
発達障害にとっての幸せは、惚れ込んだモノに突っ走ることですからね。
転職は後悔する気はないですが良い選択であってほしいものです。
どんべえ様コメントありがとうございます。改名了解しました。
料理人になるためにご転職をなされたのですね。40代となるとそう簡単に転職することも難しい状況だと思いますので、料理人が本当にやりたいことであってもなくてもご立派な決断です。
私は仕事は自分が続けられればそれでいいと感じている身である上に身体や生活に色々問題を持っているので(体は元気なのですが、精神や睡眠方面で)やりたいことである女子キャラ研究者は今の状況では仕事にならない上にアニメも私にとっての苦手ジャンルが多くなってきているのでかなり選んでみており、その影響でこれといった研究も3か月の終わりごとにこの子の扱いは悪かったキャラ格差付けるなと書きなぐっているだけのモンスターペアレント状態なので情けないものです(今年のこのサイトの投稿の多くに書いていますが、2020年10月から推しに選んだ中でも特に気に入った子が炎上して消えろなどといじめレベルで叩かれている扱いを受けているため自然と人間なんか嫌いと小声で言うぐらい精神状態が悪かったりします)。詩を書いたり絵を描いたりは続けているのですが、電子書籍として出せそうなものは書けていません。絵も写真を取り込んで元にして写し書きしているだけでこのサイトに乗せられるようなものはないです。これでも女子キャラの誕生日やプロフィールを一度見れば覚えられる、女子キャラの設定をオリジナルでよければ5分で作るみたいな特技はあるのですが、前に話したときこれは見方を変えれば普通の仕事にも生かせるんじゃないかって言われてしまいましたね・・・
私のここ1年の大きな選択は投資のつみたてNISAをさらに増やしたぐらいですね・・・正直これは私のいずれ来る一人きりの生活のための用意なので大きな選択ってわけでもないですがね。