理由があって働けない人間にまでニート扱いするのはどうかと思う

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無職者を無条件で批判し叩ける「ニート」という言葉・・・以前このニートという言葉に対しての私の怒りを書いたが、現代では無職者すべて(身体や精神に全く問題がないのにもかかわらず自分の意志で働かない人間だけでなく、障害などがあって働けず生活保護を受けている人間も批判の対象になる)をひっくるめて指すような言葉のように扱われてしまっている。

本来ニートという言葉は身体に全く問題がないのにもかかわらず、自分の意志で働こうとしない人間を指す言葉のはずである。しかし、近年は理由があって生活保護で生活している人間や障害があってなかなか働き口が見つからないというような人に向けても使われているように見える。今日は理由があって働けない人間までニート呼ばわりする意見について私の考えを書いていこうと思う。

無職という理由だけで人をニート呼ばわりする奴は思考停止人間

まず最初に無職という立場にいる人間にも色々ある。私のように発達障害に気づかずに長年苦しんできた人間、脳性まひなどで体を動かすことすらできない人間、周囲と違ういじめなどの苦痛から学校を退学せざるを得なかった人間、片親で子供がまだ小さいためパートで働くことすらできず、生活保護に頼らざるを得ない人間・・・そんな楽していきたいなんて微塵も考えていない人間たちまで「ニート」呼ばわりするのはどうかと思う。

彼らは好きで無職でいるわけではない。それぞれ特別な事情があって仕事をすることが不可能もしくは難しい状況にあるのである。

そんな奴らは想像力の足りない考えることを放棄している思考停止人間だ!

そもそも人間は自分の身に実際に起こったことでないと相手の気持ちに立てない部分があると思う。だが、少し想像力を働かせればの苦しみを想像する、もしくは感じることはできるはずである。ただ、そういったことを想像することができず、人を傷つけるような発言をしても罪悪感を一切感じない厄介な人間もいて、中でも一番厄介なのは障害などを克服して自分でもできたのだから他の人間でもできるということを盲信して自分勝手な価値観を押し付ける人間なのだが・・・

誰もが同じ生き方をできるわけではない。前を向ける人間もいればずっと恨みを抱え続ける人間もいる。切り替えが簡単にできる人間もいれば切り替えが全くできない人間もいる。50kgのものを楽々運べる人間もいれば10kgのものすら運ぶことが難しい人間もいる。

それと同じように仕事をしていないという理由だけで、ニートという単語を用いて理由があるのにも無職である人間を批判し続けるのは私はどうかと思う。

障害持ちでなかなか仕事が見つからない何社受けても受からない日々が続いて絶望をしている人間に向かって、自分が忙しいことのストレス解消をするかのように何の抵抗もなく人間こそ考えることを放棄している思考停止人間なのではないだろうか???実際はストレス解消ができるサンドバックが欲しいだけではないのか?

人を傷つけても罪悪感を感じない人間やはさぞかしこれまで幸せに生きて来れたんだろうな!思考停止状態で常に周囲に合わせることができるのなら批判されることだってないだろうし、人をネット上で批判することでストレス解消もできているのだから!

私はたとえお前は弱者、キチガイ、臆病、逃げてばかり、現実逃避だと言われようともそのように言う人間に多い自称普通を名乗る鈍感でしたたかな人間にはなりたくないものだ。

そういうことを言う人間を見るだけで吐き気がするし、そのような人間になるのが生きることだというのなら私は早くこの世から去りたいとすら思う。人の意見を完全に聞き流せるほどしたたかで図太くなるのは私には無理みたいだから。

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