ネット掲示板は落書き帳ではない!発言には責任を持て!

Pocket

net_ijime_man

ネットの掲示板やSNS。そこでは匿名で自由な発言や質問ができる便利なコミュニティの一つである。現実では後ろ指を指されるような自分の興味のある話題について熱く語ることができたり、考えや価値観の合う人間がいれば、ネットを通じての友人を作ることも可能であるとても良いものだと思う。

しかし、このネット掲示板には恐ろしい側面がある。それは現実でうまくいかない人間や攻撃的な人間が発散のため、特定の人間をたたいたり、現実で気持ち悪いと思っている人間の悪口や悪評、書いている人を煽るような攻撃的な言葉でストレス解消の道具にしていることだ。

それに加え、最近発達したまとめサイトでは、記事に対してコメント欄の人間がな反論を書いたりしているのも多く見受けられ、その記事の内容が私の似たような意見だったりすると私もかなりの精神ダメージを受けることもある。ネット掲示板の内容なんて落書きなんだからまともに受け取るだけ無駄という意見もあるが、私から見れば自分と似たような意見に攻撃的なコメントが書かれているだけで見るのも嫌になってくる。

今日はネット掲示板で悪口を見て苦痛な思いを感じる私の意見を書こうと思う。

ネット掲示板の書き込み=落書きだという考えはどうかと思う

一般的にネット掲示板での書き込みは落書きだと言っている人が多い。しかし私はそんな見方はできない。私は掲示板の内容ですら、どこか見えない現実で起こっている隠ぺいされた事件だと思うからだ。そんな落書き感覚で書いている人間によって、掲示板にいる人たちを馬鹿にしたり煽ったりしていることが現実では確実に批判されるだろうことが、ネットの世界では起こってしまっている。

私は発達障害を持つので、発達障害関係の掲示板に同じような考えを持つ同士を探しに良くいくことが多かったのだが・・・最近辞めることにした。それは発達障害であるだけで甘えだと批判する人間が多すぎて、精神的に苦痛を感じるようになったからだ。

少数派は現実に居場所がない。だからこそ、ネットの世界のコミュニティ等に居場所を作ろうとする。私もそういう人間だった。小学校時代から生きにくさを感じ、毎日が苦痛だった。だからこそ自由な発言ができるネットには自分の居場所や話が分かってくれる人もいるだろうと思った。しかし実際にあったのは発達障害の人間の意見に対してそれを説教、否定する人間ばかりであった。しかもそのような意見はどんなサイトや記事にも必ずそのような輩がいた。

感受性が非常に強くすべて物事を受け止めてしまいがちな私は、「ここにいたらさらに精神を駄目にしてしまう」と思い、ちょうどその時にネット掲示板では批判や荒らしをスルー出来ない人は向いてないという言葉を見たことでネット掲示板に居場所を作ろうと思うのを止めた。ここには私の居場所はないと思ったからだ。ただ、このことをきっかけに誰かではなく自分の手で作ることができるこのサイトの設立を思いついたので、悪いことばかりではなかったのだが。

ネット掲示板を落書きだという認識で、記事の内容に対して死ねや甘えなどの暴言を描く人間は少なくないだろう。だが、そのような軽い意識で書いた言葉がその記事を読みに来る人間をどれだけの人数傷つけることになるのか考えてから書いてほしい。そういった暴言書き込みで傷つく人間は沢山いる。傷つくのが嫌なら見るなという古い考えはもう通用しないのである。

説教や暴言のような書き込みを平気でしている人間達へ

ネット掲示板で社会的弱者などを批判して優越感を得ている人間は仕事持ちであってもニートや無職よりも最低のクズ人間だと私は思う。批判する人間がやっていることは現実にある精神的暴力の”いじめ”をやっている人間と何ら変わりはないからだ。ネット掲示板は落書き場所であるからどんなことを書いてもいいし、読む側は基本的見るなもしくはスルーしろという考えが充満していることが私は一番おかしく感じる。

最後にそんな”いじめ”で優越感を得たりストレス解消をしている人間に一言。
ネット掲示板はお前らのためのストレス発散場所ではない!掲示板の書き込み=落書きという認識を捨てろ!

暴言書き込みの無い平和なネット社会がやってくることを私は願っている。

スポンサーリンク
スポンサーリンク
スポンサーリンク

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする

スポンサーリンク
スポンサーリンク